私のいる研究棟にある退職教官が研究室を構えておられる。
長い間、ヨーテボリ大学で教官をし、その傍らヨーテボリ市議会の議員をしたり、1991年から2003年までは国会議員の職にも就き、所属の党の副党首をも務めていた。
国会議員時代
凝り固まった考え方を嫌い、様々な考え方に耳を傾け、しかも、現実主義者であるため、議員時代は政敵からも高い評価を受けていた人だ。
大学教官としての実績と併せて、こういった議員時代の経験が買われた彼は、65歳の退職後も大学でいくつか講義を担当したり、執筆活動をしている。毎日のランチの席では私のような若い研究者の議論の相手になってくれる。私も研究で躓いたり、迷ったりすることがあると、個人的に相談に乗ってもらったり、意見を求めたりする。いわば「mentor」的な存在だ。
そんな彼の70歳の誕生日パーティーが先週末、シニア向け文化会館でこぢんまりと、しかし盛大に行われた。まずライブの弦楽演奏のもとシャンペンを片手にmingleが始まり、その後、晩餐会、そして、彼の友人によるジャズバンドの演奏が続いた。
大学の同年代の同僚や中央・地方の議員、さらには文化人も多かった。というのも、彼の父親は有名な歴史学者でスウェーデン・アカデミーの終身メンバーだったこともあり、親類には文化人が多いからなのだ。ついでに言えば、彼はヨーテボリ・チェス同好会の代表もやっているので、同好会仲間もいた。
そんな会に招いてもらっただけでも嬉しかったのに、さらにビックリしたのは、ある別の国会議員にも会えたこと。以前、スウェーデンの国会議事堂の見学をした時のことだが、ちょうど開かれていた本会議の壇上でユーモアを交えた面白い演説していた国会議員がいたのだが、その人も彼の友人として招かれていたのだった。その人は国会を退き、ちょうど先日、私の住む県の県行政の知事に任命されたばかりだった。できたての名刺をくださった。
その大学教官に話を戻そう。彼はこれからもパートタイムで大学教官を続ける。願わくば、これからも私にとっての良き「mentor」として相談相手であり続けて欲しいな。
長い間、ヨーテボリ大学で教官をし、その傍らヨーテボリ市議会の議員をしたり、1991年から2003年までは国会議員の職にも就き、所属の党の副党首をも務めていた。
国会議員時代
凝り固まった考え方を嫌い、様々な考え方に耳を傾け、しかも、現実主義者であるため、議員時代は政敵からも高い評価を受けていた人だ。
大学教官としての実績と併せて、こういった議員時代の経験が買われた彼は、65歳の退職後も大学でいくつか講義を担当したり、執筆活動をしている。毎日のランチの席では私のような若い研究者の議論の相手になってくれる。私も研究で躓いたり、迷ったりすることがあると、個人的に相談に乗ってもらったり、意見を求めたりする。いわば「mentor」的な存在だ。
そんな彼の70歳の誕生日パーティーが先週末、シニア向け文化会館でこぢんまりと、しかし盛大に行われた。まずライブの弦楽演奏のもとシャンペンを片手にmingleが始まり、その後、晩餐会、そして、彼の友人によるジャズバンドの演奏が続いた。
大学の同年代の同僚や中央・地方の議員、さらには文化人も多かった。というのも、彼の父親は有名な歴史学者でスウェーデン・アカデミーの終身メンバーだったこともあり、親類には文化人が多いからなのだ。ついでに言えば、彼はヨーテボリ・チェス同好会の代表もやっているので、同好会仲間もいた。
そんな会に招いてもらっただけでも嬉しかったのに、さらにビックリしたのは、ある別の国会議員にも会えたこと。以前、スウェーデンの国会議事堂の見学をした時のことだが、ちょうど開かれていた本会議の壇上でユーモアを交えた面白い演説していた国会議員がいたのだが、その人も彼の友人として招かれていたのだった。その人は国会を退き、ちょうど先日、私の住む県の県行政の知事に任命されたばかりだった。できたての名刺をくださった。
その大学教官に話を戻そう。彼はこれからもパートタイムで大学教官を続ける。願わくば、これからも私にとっての良き「mentor」として相談相手であり続けて欲しいな。
ヨーテボリでお世話になった岡村です。
研究室が隣だった彼には大変お世話になりました。
最後のフィーカの時に彼にもらった帽子も大切に使っています。
私からも、Grattis pa fodelsdagen !
こちらこそ、ご無沙汰しております。
お祝いメールをお送りになれば、喜ばれると思いますよ。
赤の他人ですが、お誕生日おめでとうございますといわせてください。
Mentor がいらっしゃる、それは本当に稀有なことだと思います。よかったですね。って、Yoshi さんの人徳でしょう。それで、スウェーデンの習慣にのっとって、彼もケーキを周りの方々にご馳走したのでしょうか。日本と反対に。
>ゃることは財産ですね。
まさにその通りです。
人の出会いは面白いもので、僕もこの方は以前から面識はあったのですが、個人的に親しくなり、相談に乗ってもらうようになったのは、ある「弁当事件」がきっかけでした。私が研究棟の冷蔵庫に入れていたその日の弁当を、この方が間違えて食べてしまったのです。お詫びにということで、何度かレストランで昼ご飯をご馳走になり、いろいろ議論したり、面白い情報を交換することができたのです。
ごめんなさい、書き方が悪くて。
実は、ケーキどころじゃなくて、シャンペンから豪華な晩餐会、そしてライブ演奏まですべて自前で用意なさっていたのです!
「こぢんまりと」と書いたのは、私が思っていたより、かなり限られた数のゲストしか招ねかれていなかったからなんです。
あまり目立ちたがらない質素な性格で、大学内では誕生日フィーカすらなかったです。