上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

GREEから転載の日記「もし大金を手にしたら」

2007年01月08日 | 日記
人間、若し思いもしない大金を手にしたらどうするだろう?
銀行では宝籤の高額当選者用に手引書を作成して配布しているそうだ。

人生を過たない様に。

まずは欲しい物を全部買い、続いてもっと高いものが欲しくなり、最後には破滅してゆく。
(今となっては幸いだと思えるが、私にとっては二度目の実力で引いた「自覚の有る当り籤」だった。)

まさに、レッズを立ち上げた我々は、蘆田氏が漏らしたことがあるが、
「今の俺達は、まるでお金を刷る機械を手に入れたのと同じ」だった。
鉱脈を発見したと言っても過言ではなかろうと思う。
本当の山師の様な暮らしをしてやっと掘り当てた2人とその知り合いで手伝った8人はその後どうなるか・・・・
仲違いを始め、足を引っ張り合い、互いを追い出すことを画策したのだった。
(自分が少なくない比率の株式を保有している会社の売り上げが年間1千万から20億円に増えたら、あまり冷静ではいられないものだ。)

そして、古い安手の西部劇映画そのままに、金の匂いを嗅ぎ付けた詐欺師が忍び寄ってきた。
当時、株式公開準備がどんなに大変なものか、マイクロコア時代の経験で少しは判っていた私は、外部からの幹部の採用に積極的で、この経営コンサルタント上がりの詐欺師の侵入に結果的に手を貸す事になってしまった。
(今でも私が、経営コンサルタントと名乗る人種を信用していないのは、この為。)
なんと最初の株主で部長職の内、役員にならなかった私、村上氏、阿部氏の3人は彼によって突然課長に降格され、経営からスポイルされてしまう。
(私は私生活を、阿部氏は不明事項(業務怠慢?実はこれが今でも謎のままだ。)、村上氏は「レッズダイレクト」名称のアウトレットショップの経営管理を名目に行われたが、逆にこれが我々が身辺整理をする為の充分な時間を与えてくれた。)

では、私がしていた仕事とはと言うと、総務部長やシステム開発室長は大変判り易かったに違いない。
しかし、商事部長という営業でも商品開発でもないアヤフヤな職責も兼務していた私は、多くのメーカーと新製品の企画を立ち上げていった。
つまり、仕入れとして、共同ブランドに成長するまでの中継ぎ的な製品開発を担当した。
その為、様々な業種の経営者たちと資金面も含めた交渉に当たった。
(これが次に役員として参加した会社、メディアウェストでの仮面ライダーマウスの開発に繋がってゆく。)

経営企画室長として就任した経営コンサルタント氏は営業二人と倉庫番頭を追い出したとでも思っていたようだか、実態は対外交渉総合窓口、マーケティング商品企画責任者、輸入配送業務管理者の3人がその権限とノウハウを、移行する事無く、喪失したことに全く気が付いていなかった。
特に売掛買掛バランスのコントロールによる資金運用の実質責任者と商品開発のリサーチ担当者(彼は毎年その為に自費渡米していた)を外に出したことは、経営の先行きに大きな影響を残した。
また、輪を掛けて商品管理責任者を外したので、不良在庫の把握と商品回転サイクルの変動を読み切れなかったのが、我々の去ったレッズ倒産の要因だろう事は容易に想像できる。
なにせ、仕入れ先に頭を下げて支払い遅延を了解してもらいながら、売り掛け先に先付け支払いを頼みに行っていたのは他ならぬ私だったのだから。
(ここでもマイクロコア時代の経験が生きている。)

結局、ストックオプションを手放し、出資額を相応の額で取り戻し、我々3人は売り上げがピーク状態のレッズを離れた。
(ちなみに、営業課長にした彼は、モーニング娘のフィギュア化の成功を受けて進めた、グレイ等の芸能人フィギュア路線で徐々に蘆田氏と対立し、その前年に去っていた。
我々の手元にはグレイのスタッフ限定Tシャツが膨大に残ったので、家内が暫く部屋着に使っていた。)

さて、私にとってのレッズとは何だったのか。

近所のイトーヨーカドーに自社商品のテックデックが並んでいた日を今も忘れない。
(新入社員の石井君を「テック石井」に仕立ててテレビに出演させたりしていた。
競合代理店であったJRSの照山社長とは、その後もお付き合いが続くことになる。)
モデム売り時代に廻った秋葉原の家電店舗が次第にフィギュアショップに変わっていくのを痛痒い気持ちで眺めていた。
その家電・ホビー両方の会社や社長、店長達を良く知っていたから尚更だった。
「課長には、秋葉原の明かりが全部お金に見えてるんでしょうね。」
とマイクロコア時代に部下に言われたことがあったが、それこそが、レッズでのビジネスプランの基本戦略の始まりだったと思う。
伯楽である事を気付かせずに振舞う事が名伯楽の条件だと伊東社長は教えて下さったが、良く実践できたケースと思っている。
しかし、私より数歳年長とはいえ、蘆田氏という10年来の友人を失ったのは、何物にも変え難い損失であった。
今にして思うと、事務所のリビングで蘆田氏の作ったパスタを食べながら10人で次の商品展開の話をしていた時間が一番幸せであった。
拡大=幸福では無い。継続=幸福だと思う。
収支的に、ビジネスに於いては成功したが、人生に於いては失敗した4年間だった。

レッズは、私にとって、そんな思い出の会社である。

ちなみに、TMTのトッド・マクファーレン氏はマグワイヤのホームランボールを買い、海洋堂の宮脇氏は自社を新築したが、その原資がどこから来たかは、今も語らないのは不思議である。
(当然、レッズが支払った資金なのだが。)

ハッピーニューイヤー?実感無し

2007年01月08日 | 生活
毎度ながら新年らしくない新年の始まり。

この2年、元旦を上海で過したせいか、年が変わった感じがしない。
だんだんと中国人化して来ているのだろうか?

この光景が無いと新年が来ない感じ。
「喜喜」を今年はどこに張ろうか。

などと風邪をひいた、熱っぽい頭で考えています。