日本への本帰国後の2年間、新婚生活はそこそこ充実しつつも、仕事では色々とあり、来月から所属するスタートアップチームの計画では、上海での生活に戻りそうな感じです。
手始めは第二週から1週間の短期出張での滞在になりますが、中国への専任担当が全社で私だけになるので、年間の半分は中国滞在にならざるえないかも。
今回は給与条件が大きくUPしたのが、救いでもありますが。
昨日上海入りし、本日は最後の旧暦忘年会。
昨日のフライトは雪模様にも拘らす、幸い順調に着き(デルタ航空偉い!流石、米国j空軍航空輸送部隊)、成田発後の5時間後の10時半には自宅に
到着したが、愛車の前輪の空気が抜けていたり、冷蔵庫が黴だらけだったりと、大変な一夜だったので、疲れ気味。
ほぼ3週間ぶりの出社だが、日本での活動のお陰で、問題はあまり無く、午後の忘年会に。
科学院院士の何老師も駆けつけてこられ、会長社長の面子も立って盛況なうちに終了。
最初に私を見つけて、手を差し出して握手してくださった、国家労働英雄にして本物の党中央幹部の老師。
こんな事、日本では、なかなか経験できない。でも、日本では人前であまり話せる雰囲気でもないなぁ。
また、100人を超す社員たち、特に10人超の部長達に改めて別れを告げたが、
外国人副社長在職最長記録だったこともあり、皆としんみりとした別れになった。
さて、明日からは上海での友人達との別れが続く。
この10年の総決算になる2週間の始まりだ。
本日、ようやくネット開通&電話番号確定。
中国に十年も居たら戻るのがこんなに大変だとは、思っていませんでした。
今日から日本側の新事業も始動です。二人三脚の大車輪、どんどん回して進めないとね。
昨夜は深夜作業で、お客様のサーバールームの移転。
100kg以上あるサーバーラックを若手も入れて4人で手作業移動。
覿面に、腰に来ました。
往復2時間の深夜ライディングの影響もあるかな。
ほぼ徹夜だったので、午後半休にして休養中です。
空気は悪いが、好天の上海です。
日本は超大型台風19号が上陸し、大変なご様子。お見舞い申し上げます。
しかしながら、上海でも影響があったのです。
台風のせいで、九州からのお客様の予定が飛行機が飛ばずに本日キャンセル、日延べに。
別件のミーティングを断っていたのに残念至極。
台風め~。
先日の不幸な火山事故から数日、そんな思いを富士通テン(旧社名。神戸工業)の経営陣は抱いているのではないでしょうか。
一つの会社の元社員から二人目のノーベル物理学賞受賞者が出たのですから。
二人のノーベル物理学賞受賞者、江崎玲於奈、赤勇 の両博士の神戸工業在籍期間は、それぞれ新卒で採用された、1947-1955、1952-1958となっており、1952-1955の3年間、会社の先輩後輩として勤務していた事が判ります。
ノーベル物理学賞の受賞者が同時期に在籍していた当時の神戸工業の採用担当者は神の眼でも持っていたのか?と思えるほどです。
しかし、帝国海軍航空隊が運用した最後で最強の傑作機、紫電改を産んだ川西飛行機の母体となった川西機械製作所が戦後解体・再建されたのが神戸工業の生い立ち。
終戦から10年以内の当時、日本の工業技術の最高峰にある企業であった事は疑いが有りません。
若き俊英を惹き付ける社風があったという事なのでしょうか。
二人の物理学者が新卒で社会人を歩みだした職場、決して偶然ではなかったと思います。
こんな社風の会社経営をしてみたいものです。
晴天だった昨日とは打って変わって、雨の上海。
寒さから少々風邪をひいてしまいました。
しかし、この変化の激しさは、正に女心と秋の空。
遠距離だから?という訳ではないのでしょうが、移ろい易いものなので、
連絡が疎らだと心配になります。
来月後半の日本行きまで気持ちが保つかなぁ。
今日のプレゼン、日本の某社に完敗でした。
先方も社長自ら乗り込んできましたが、製品の持つ心遣いの完璧さに完全に打ちのめされました。
顧客が望むものを推測して、更に先読み実装した上での提案に、スクラッチでこれから作ってゆく我々のビジネスでは、価格だけでは太刀打ち出来ません。
日本市場へ自社製品を持ち込むのは、まだまだ先になりそうです。
しかし、痒いところに手が届く製品を廉価で提供出来るってすばらしいです。
やはり、サービスの質は日本が世界一ですね。
昨日から出張で入った小倉。
一日過ごすのは生涯初ですが、まさかあんな物騒な事になっているとは、まったく知りませんでした。
全然違う町のニュースかと思っていました。