上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

這って出社

2008年11月26日 | 仕事
熱、あります。でも、今日納品しないと御代を頂けない案件があり、無理して出社しています。
昨夜の商工クラブ総会では総領事閣下にお目通りしましたが、あまりの腰に低さに恐縮してしまいました。
上海の前は駐米公使をされていたとの由、何となく人事の気配りを感じます。
総領事のご講演も大変興味深いものでしたが、お集まり方々の顔触れも今の上海の状況を反映していて興味深いものでした。
さて、熱があるので今日が「その始まりの日」にならない様に、私は早退することにします。

写真は会場になった花園飯店から向かいを撮ったもの。

薩摩藩付朱子学者の家系

2008年11月24日 | 生活
私のご先祖は薩摩藩の朱子学者の家系だったと亡き父から聞いた事がある。
一介の田舎教師であった父が自分の生涯を家業に辿ったものだと言い訳したかったのかも知れないが、歴史の教師であった(県の歴史研究会のメンバーの一員だった)父の蔵書は一時、膨大な量であった。
その古今東西の書籍の山に囲まれて私は育ったのだが(幼少期に本棚登りをして怒られた事がある。)御蔭で、日本史も世界史も中高ではまともに勉強せずとも(教科書をほとんど開かなかった)かなり良い点がとれた。
学究の徒となった姉と違い、自分は学者向きでは無いのかもしれないが、今でも時折神田などで歴史書を買い込んでしまう。
今、読んでいるのは前回神保町で買って上海に持ち帰った2001年学生社刊、大庭脩著の「親魏倭王」。
こんな物を後生大事に飛行機で持ち帰ったのは、やはり家系の為せる業なのだろうか。

電動バイクの修理

2008年11月21日 | 趣味
先日事故で破損したカウルをどうしたものか悩んだのですが、
手っ取り早く自分で修理する事にしました。
スーパーで補修テープを買って来て、貼った上から車体に近い色で塗って完了です。
片方だけだと変に見えたので、両サイドに貼っちゃいました。
また、ぶつけて壊すまではこれで行きます。

結構寒くなった上海

2008年11月20日 | 趣味
昨日に輪をかけて寒くなった朝です。
さて、こんな日に通勤が電動バイクだと動きが緩慢になりがち。
ついに新車で事故ってしまいました。
先行していた新聞配達の兄ちゃんがバスに挟まれて無理に抜けよう加速した後、
急ブレーキ。
私は避け切れずにオカマを掘ることに。
兄ちゃんの電動バイクは後輪カバーが外れただけでしたが、こちらはフロントカウルが破断する被害。
しばし罵り合って、にらみ合う事数分。
交通量の多い所だったので、後続の野次馬から退け退け言われて、兄ちゃん、自分の被害の方が小さいのを確認すると逃亡です。
追いかけるのも面倒なので、そのまま事務所まで来てしまいました。
日常的にこんな事が街中で起きている上海です。
日本なら保険や何やらで大変なんだろうなぁ。

予想最低気温

2008年11月19日 | 趣味
今夜の予想最低気温が6度になるほど寒い上海です。
さて、最近はまっているものに上海潮と甘苦上海があります。
もっとも、上海潮はポジティブに、甘苦上海はネガティブにですが。

写真は、東湖賓館の向かいにある高級SPA。
甘苦上海に出てくる東湖路にあります。
ここが小説の主人公の店かなと睨んでいるのですが。

他人に話を聞くのに自分の都合優先?

2008年11月14日 | 生活
先日あるフォーラム経由で上海の有名大学に勤務される日本人の方から、
私の講演した原稿の送付と面会の依頼メールが来ました。
早速原稿を送り、次回のフォーラムでお会いしましょうとお伝えした所、出席できないので面会の日程を取って欲しいとの事。
(このあたりから雲行きが怪しいとは思いました。)
今日締め切りのコンシェルジュの原稿を抱えていますが、何とか時間を遣り繰りして、
こちらのスケジュールをお伝えした所、その日は「予約済みのため、後日また連絡を取らさせて頂きます。」

あの、こちらはどんなお話かもわからずに都合をつけたのですが、そんな相手に自分の都合が優先ですか?

SK大学のY先生。
申し訳ありませんが、あなたの勝手な都合の為だけに、時間をとってお会いする気はありません。

やはり象牙の塔の住人に常識は期待しない方がよさそうです。
(それとも上海流に染まったのかな?)

茶に想う

2008年11月14日 | 生活
寒いので2重ガラスの「保温グラス」なるガラス瓶を買ってお茶を飲み始めました。
少々水は怖いのですが、まぁ沸かせば大丈夫でしょう。
お茶は茉莉花茶。
冬の朝に茉莉花茶を飲むとほっとします。
しかし、このガラス瓶を見ると元女房を思い出します。
彼女が天津から帰ってきた時の荷物に混じっていたこれを使ってお茶を飲んでいました。
「中国ではこれを全員持っているのよ。」と変に自慢げに愛用していました。
まだ、改革解放政策から10年も経っていない1985年の事です。
今の天津に当時の面影は残っていないでしょうね。