上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

多芸で人生を楽しむ上海の邦人社会

2013年02月28日 | 日記

うっすらとスモッグの上海に怪しく光るビル。

 

 

そんな魔都上海で、昨日は過門香で、ワインを楽しむ会に参加。

 


実は上海邦人社会の親方に日本から来た老舗企業の上海代表を引き合わせる目的がありました。

 

 

初参加でしたが、会は大盛況。
T自動車のS総経理や、商工会の方々など、数々企業代表が列席しています。
当日同店の別室では経営者協力会や運輸業者の同業者団体の会が開かれていて、上海の御歴々が勢ぞろいしていました。

 


その中でも、観客では無く、演者の方が弊社のお客様で二重にびっくり。

 


聞けば皆さん、昼間は其々お仕事をお持ちとの事です。
昨年の環境は既に過ぎ、実に楽しく暮らしている邦人も多い上海です。


解禁

2013年02月26日 | 趣味

昨夜は、永らく遠ざかっていた照之谷と地蔵に。

先ずは改装後の初「照之谷」。

 

 

いやはや、コストパフォーマンスが元々良い店でしたが、味のほうも格段に向上しています。

焼き方の職人が替わったのかな?

 

 

ボトルも入れて次回に備えます。

これはメニューに無いそうです。

続いて地蔵に。

ここでも、面白いパッケージのお酒を発見。

 

 

よくアニソン会の会長たちも二次会で流れて来るそうなので、今後は一緒に行くかな。


アニソン会と、とんかつ屋

2013年02月25日 | 趣味

土曜はアニソン会の前に腹ごしらえに、高島屋7階のかつ藏へ。

 

 

接客してくれたのは、日本人の男性でした。

店長さんかな?店員さんなら採算取れないものなぁ。

しかし、ここのトンカツは浦西では現在一位だと思います。

 

そして、古北路447号のクラブ「マーキュリー」の昼の顔、

カラオケ「歌魂」へと集合しました。

 

 

到着すると、ほかの部屋は既に満室。

ここは通信カラオケUGAが入っていて中国の若者だらけ。

正に、当ブログのタイトル通りの状態です。

週末昼間のアニソン会、今回は参加者も少ないかなと。

しかし、時間通り集まりの悪い会なので、歌っていると徐々に人数が増えてゆきます。

 

 

そして、20人OVERのギチギチ状態に。

 

 

女子比率の大変高い会になって盛り上がりました。

みんな娘とあまり年齢が変わらないのは忘れて歌い踊りまくりの3時間。

飲み物持込で、割り勘の会費は一人70元。昼のトンカツより安いです。

 

夕食は、鮨春の親方に携帯メールで呼ばれていて、美味しい御鮨と熱燗で締めた1日でした。

いやはや、月に一度とはいえ、こんな日があると、本当に若返るなぁ。


知的好奇心への冒険と人との出会いへの旅

2013年02月23日 | 日記

昨晩はSEAソフトウェア技術者協会特別イベントの食事会へ参加

会場は福州路の高名な老舗料理店でした。

 


SRA最高顧問(というか、日本でのフリーランス開発業の創始者)の岸田孝一先生から新著「ソフトウェア・グラフィティ」(中央公論事業出版)を手ずから頂く。
岸田先生がソフトウェア開発者のバイブル、「プログラミング序説」の著者であることなど、すっかり忘れて、日中ソフトウェア論やら中国世相環境などを小1時間ぶってしまって、更に調子に乗り、日本から参加していた方を新天地に誘って、富士通中国の幹部の方(元SRA社員)と二次会。
その後、ドレミに顔を出した後、3周年を迎えた静安寺のBar「SIS」に梯子酒。
NTTDATA現地法人の部長に「この若造が!」と絡みつつ3時まで深酒。
前夜の出来事を悪夢の様に思い出しつつ朝は猛省し、岸田先生の本を読みふけってしまった。
・・・岸田先生、若造は私の方でした。
さて、これからアニソン会で、娘と同世代の若者たちと昼間から交流の予定。
二日酔いの頭のまま、上海での知的好奇心への冒険と人との出会いへの旅は、まだまだ続くのでした。
今日もYOROYOROと行くとしますか。

注)「ソフトウェア・グラフィティ」本文中に、映画のフィルムを欧米の学者がプログラムの記憶媒体として紙テープ代わりに使っていたが、熱に弱くてドライブエラーが出て困ったとこぼしていたとの回想が出てきますが、これはシネテープ(映画用16㍉フィルムに磁気素材をコーティングしたもの)の事だと思います。
また、ドライブ装置のシネコーダーを映画録音現場で使用していましたが、それをコンピュータ記憶装置に転用していたと推測されます。(というか、シネコーダーのデータ出力端子はその為のものだったのでしょう)
そういえば、映画学校(映画大学)には加々良次郎先生が丹精込めて整備していたシネコーダは、まだ健在なのだろうか・・・まだあるなら、コンピュータ開発史の資料としても、中山には大事に保存してもらいたいものだが。


去った人

2013年02月22日 | 日記

今日は毒吐きブログなので、あまり読むことをお勧めしません。

 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 


人間、馬の合う合わないがあるが、私は比較的苦手なタイプがある。
年齢は私の下5歳前後で既婚。そして口うるさい独善的な女性が苦手である。
上海には、そんな苦手なタイプを具現化したの人物が居たのだが、昨日偶然、昨年9月に上海を離れていたことを知った。
実は、この1年半、彼女の立ち寄りそうな酒場を避け、共通の贔屓にしていた飯屋がランチを止めたのを機に足が遠のいていた。
それ程私にとっては苦手な人物だったのだ。
確かに、亭主の方には最近商工会で合わないなぁと思っていたが、まさか既に上海を立ち去っていたとは・・・。
知った瞬間、肩から重荷が取れた気がして、正しく晴れやかな気分になった。
存在自体が、かなりのストレッサーだったのだと思う。心の健康の為にも、ストレスが溜まる原因が無くなるのは喜ばし事だ。

しかし、一服の爽快感を味わえたことを、何故か去った人物に感謝している自分が不思議に思える。


キャリア官僚も色々大変なご様子

2013年02月21日 | 日記

昨晩は、上海経営者協力会に参加。

会場は四ツ星ホテルに移り、仕出し料理も美味しくなりました。

会ではM重工系列の同業(といっても弊社の2倍の社歴の大企業)の社長と邂逅し、新規事業展開の機会を得たり、顔なじみと久々の再会を喜んだりしていましたが、気になったのが、某領事の心配顔。

聞けば、次の商工クラブの会合で、問題になった北京の厚生省出向領事の講演が有る件のご様子。

それは外務省もさぞや気を揉んでいるでしょうと聞くと、ご本人は旧大藏からの出向のキャリアの方でした。

遠い異国でも、他省庁の始末で心配事とは、日本のキャリア官僚も色々大変な様子です。

さて、来週はその講演会。(明日と勘違いしていました。)

内外マスコミも押し掛けるのでしょうか・・・

傍聴席は確保済みなので、色々と興味深く心待ちにしています。


また雪の上海

2013年02月19日 | 日記

春節休暇中からの更新サボりでブログも久し振りのアップです。
休暇中は、大晦日会で亡父の教え子さんに再会したり、翌日から発熱で寝込んだり、初三の花火を打ち上げたり、豫園に小籠包を食べに行ったりと気ままに過ごしておりました。

 


さて、今日の上海は雪。
昨晩は中山公園でSBFの仲間と食事会だったのですが、地下駐車場の門限前に帰り着いたのに締め出され、愛車を外に出したままにして於いたので、シートには、すっかり雪が積もっていました。
暦の上では春にならんとしているのに、今日の上海のこの寒さ、異常気象でしょうか。
昨日までの花火もすっかり納まって、静かな雪景色になっています。
心なしか大気汚染も少し良くなった気がします。


おや、美味しい

2013年02月18日 | 趣味

昼食に高島屋7階の無敵家にてラーメン餃子定食を食す。

 


呉江路の王将より遥かに美味しい焼き餃子が出てきた。
雨の中でも席はほぼ満員。
同じフロアにある、先日食した「かつくら」も美味しかったが、こちらは店員の働きも良く、社員教育が行き届いている。
やはり、彼方此方足繁く通うのが吉の様である。


上から目線と反撃可能状況

2013年02月07日 | 日記

夜からの雨が雪になりそうなぐらい冷え込んでいる旧暦年の瀬の上海です。

外は人通りも少なくひっそりとして、雨を轢く車の音だけが時折聞こえています。
しかし、昨日のレーダー波照射のニュースで、私のチームはバタバタしてきています。
両国のトップが巧く解決しないと、どちらが先に撃ったかで未だに揉めている盧溝橋事件の二の舞になりかねません。

こんな時、過去の現場ならどうしただろうと思ってしまいます。

横須賀生まれの私にとって、戦闘艦の艦長といえば、戦艦三笠の傍に慄然と立ち西方を睨んでいる銅像の東郷平八郎元帥。日露戦争時の日本海海戦の事は今更書き記すことは無いでしょう。
1894年、日清戦争では海戦の初戦を飾る敵艦撃沈に際しては、敵艦が英国籍商船であった為、ひと悶着あるところを国際法に照らして、正々堂々任務遂行した巡洋艦浪速の艦長。結果的に千人以上の清朝兵(中国人兵士)が東シナ海の藻屑と消えました。

さて、119年の時は流れて平成25年。件のレーダー波の照射ですが、交戦規定の有る国に対してなら、撃たれても文句の言えない行為。ましてや紛争中の国境海域なら尚更です。
実際ベトナム戦争当時、米軍はレーダー波の照射先を狙い打つ専用の空対地ミサイルを開発し、北爆時の北ベトナムの対空レーダー基地に対して、先制攻撃と見做して発射しましたし、最近ではイスラエルが休戦期間中でも、レーダー波を照射した敵対勢力に対して使用、爆撃しています。

今回は自衛活動として、明らかに反撃可能な状況であり、日清戦争当時の東郷艦長なら、間違いなく発砲していたと私は思います。

しかし、現在は2度の大戦を経た平成の世、21世紀です。20世紀の軍国青年が闊歩していた時代ではありません。
東郷元帥の薫陶を受けた旧日本帝国海軍の末裔である海上自衛隊ですが、前々世紀の判断を今行う愚を犯すことは、前大戦の教訓から有り得ないと信じますし、本当の危機的状況になる前に対処する能力と装備を海上自衛隊艦隊は備えていると考えています。

ですが、軍事活動を担う現場での危機を回避する事が外交であると私は思っています。
理性的な対策の取れる両国の首脳陣になって、安心していたのですが。
そんな時に、こんなニュースが・・・。

北京・日本大使館で説明会 大気汚染は「巨大な動物実験」

説明した方は、環境庁からの出向の方ですが、本当にこんな上から目線の発言なんでしょうか・・・。
大使館は外交を担う外務省の一機関だと判っていての発言か、直接聞いてみたいなぁと思います。
(案外と、その機会は早く訪れそうですが。)
この時期は、帰省して暇な憤青学生や失業青年がNETで不満の捌け口を探しつつ、外では花火や爆竹が大爆発中。家族はTVの前でCCTVを強制視聴状態だと、外務省の官僚は認識して欲しいものです。

話の取り方によっては、ここで暮らしている全ての人々を実験「動物」扱いしているように取られかねません。

政治主導でも官僚指導でも、その両方でもいいから本当、巧くやってよ。
命辛々荷物抱えて引揚げ船(飛行機)に飛び乗るのも、逃げ遅れて収容所送りになるのも御免被りたいなぁ。
映画「北京の55日」状態は、もっと勘弁して欲しいですが。
(義和団事変当時、日本人を含む外国人達が北京で籠城するお話です。)