上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

地下鉄での驚き2つ

2014年03月31日 | 日記

週末から普段乗らない地下鉄での移動が多かったのですが、

2回ほど驚いた出来事がありました。

最初は土曜の花見に花木路に向かう途中の事。

中山公園駅から2号線に一緒に乗り込んだ乗客に、

中学生の女子(こちらは制服がジャージなので直ぐ判ります)が居ましたが、

なにやら蛍光ペンで線引きしたペーパーを読んでいます。

「試験かな?関心関心」と覗くともなく眺めると、

12月某日の日付やら安倍首相の名前やらが並んだ文章が・・・・。

ええ、島の帰属権に関する勉強のプリントで、事細かに指導が入っています。

いや~、驚きました。中国は教育界の反応早っ!

日本は中学校で緊急プリント配って教えたら某団体が大騒ぎしそうですが。

もう一つは、花見で酔いつぶれた彼女を送って行った翌日の帰り道に、

中山公園駅から4号線に乗り込んできた農民工の6人の集団。

ガラガラの車内に嬌声(本当にヒャッハー!状態でした)を上げて突入して来ました。

全員座れて、とっても嬉しそうな彼等だったのですが、そのほとんどが、白髪の老人であった事に驚き。

こちらの人は日本人より老けるのが早いので、若しかすると私より若いのかもしれないですが。

(手に手に安全ヘルメットや塗料バケツを持っていましたから肉体労働系ですね)

しかし、まるで子供が席取り鬼を遊ぶような光景に唖然としました。

最初の中学生とこの老人達。

現場は熱心な教育を民度向上に振り向けた方がいいんじゃないかと思う象徴的な2つの体験でした。


花見

2014年03月30日 | 日記

昨日は雨間から覗いた僅かな時間に、お花見。

 

 

農地の中の空き地に桜が植えられています。

 

 

朝、浦東集合で向かった先は浦東空港の間近でした。

 

 

飛行機の排気の匂いが漂うほど。

 

 

桜は満開。一部は散り始めていました。

 

 

この後の宴会で、彼女は飲み潰れて沈没。

連れ帰るのは大事でした。

介抱にご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。


凹んだ時の回復技は?

2014年03月27日 | 日記

昨日、病み上がり体調不良の上に釘事件で凹んでいたのですが、
彼女も仕事の事で凹んでいた事が判明。

ここは、二人して元気を取り戻す必要があります。


こんな時は何をして回復を図るべきなのか?
そう、このブログの読者なら直ぐにお判りと思いますが、
美味しいものを食べに行って回復を図ります。
(基本、スピリチュアルなモノは大嫌いなので。)
さ~て、何を食べようかな。


5回目だとさすがに凹むわ~

2014年03月26日 | 電動バイク

昨日は風邪で寝込み、今朝1日半振りで愛車を車庫から出すと、何となく車体が重いので、いやな予感がしてチェック。
案の定、後輪にネジ釘がブッ刺さっておりました。
上海で2輪に乗り始めて、これで5回目。
流石に今回は悪戯されたと判っているので、駐車場番のおっちゃんにクレーム。
しかし、現場を目撃した訳ではなく、結局藪入りですが。
上海では珍しくないとはいえ、一つ間違うと命に関わる事態ですので、5回目だとさすがに凹みました。

病み上がりの体に鞭打って近所の修理屋へ運び、ストックしておいたオフロードタイヤと交換。

おっちゃんは一目見ると「悪いやっちゃな~」(安徽省弁)と。

小一時間掛って、タイヤ交換してもらいましたが、50元也。

まぁ、普段はタイヤで儲けているおっちゃんに少しおまけした感じ。

しかし、かさねがさね凹む一日の始まりです。


休日デートと桜

2014年03月24日 | 生活

北京から戻って最初の休日の土日は彼女とデート。

日曜は天気も良かったので、昨年暮れ近くに上海に来たので、

あまり上海に詳しくない彼女を愛車の後ろに乗せてフランス租界のあちこちへ。

 

 

途中、小路のカフェの庭で桜が咲いていました。

 

次に向かったのは永康路。

通り沿いに物凄い数の電動バイクが停まっています。

 

 

物凄い人だかりですが、ほとんどが欧米人。

まるで欧米の何処かの街角のようです。

 

 

 

おや、何か来ました。

 

 

車の上に人が。

 

 

酔ってばか騒ぎする不良外国人でしょうか。

 

次いで爆音が。

 

 

音の主は、サイドカーでした。

 

 

こうして、上海の休日の夕暮れは過ぎて行くのでした。

しかし、この人達、少々騒ぎ過ぎの気もしました。


2014年撮影日誌2日目

2014年03月21日 | 俳優活動

昨日今日は上海も寒い。

北京より昨晩、帰着。
日本からの応援俳優さんレベル差が大きくて、大きな役を振られすぎた方の問題で取り残しが出て、2日半戻りが遅れました。
(ネット環境を持っていかなかったのが敗因で、この5日間は世間から隔絶されておりました。)

 


さて、日曜に現場入りした北京の宿舎は映画村にある星美酒店(ホテル)。

 


もう、黄昏時で、庭木には猛禽類が巣を掛けていました。

 


巨大なオープンセットの目の前にある専門宿舎で、コップが無い事と、暖房が前日から切られている事、そしてフロントのお嬢さん達が公営企業の伝統通り押し並べて無愛想な事以外は申し分が無い。

 


御飯はいつものロケ弁当。

翌日の撮影は押してキャンセル。その翌日は待機で、出番は現場入り4日目から。

 


オープンセットでの撮影ですが、御大との掛け合いで、いきなりのセリフ抜けで大目玉。
まぁ、なんとか取り終え、ステージに移動。

 


とてつもなく豪華な(そして巨大な尾形光琳の紅白梅図の壁画が描かれていたりする、大分勘違いされた)セットが組んでありました。

今回日本から来た殆どの方は、超有名大河常連俳優の御大Hさんや、黒沢組や東映太秦のベテランの方々など、超豪華なメンバー(流石はファシスト戦勝70周年記念大作)ですが、そんな方達の中に、御歳72歳になられる、今村昌平「神々の深き欲望」や私の担任、武田一成監督の作品ご出演の大御所がおいでになり、凍える様なステージで3時間ほど一緒に出待ちしていおりました。
その方から、現場入りの3日前に劇作家の藤田傳さんが亡くなったと聞かされました。
母校が日本映画大学になった時、今村昌平開学以来の俳優科が無くなったのですが、そこで教えておられたのが藤田傳先生。
虎は死して皮を残しますが、役者は死して何を残すのでしょう。
少なくとも傳さんは劇団1980と多くの弟子を残しましたが。
さて、26日から最後の北京スタジオ入りですが、またしても御大との掛け合い芝居。
あ~、緊張するなぁ。私、芸歴だけは30年と伊達に長いのが災いしています。

翌日上海に帰り際に毛沢東役の方たちが現場入りする様子。

 


その方たちの食卓はこちら。差が付いてます。

あ、国家労働英雄の毛主席専門俳優さんと一緒に写真撮りたかったなぁ。

 


しかし、私は機上の人となり、暫し北京に別れを告げて上海へ。

 


帰り便の機内誌のい特集は映画制作だったのも何か縁でしょうか。


何だか案の定という感じ

2014年03月20日 | 日記

ロケから戻ると、やはり夜の歓楽街への取り締まり強化が実施され、

日本人も二人ほど捕まった様子です。

先日ブログに書いたのに。

良い薬になったでしょうか。

 

さて、自分はと言えば、土曜は昼から曽我部さんの主催の帰任者への送別会(実際はその場の誰も行かないというオチ付き。)

 

 

昼酒しながら懐石弁当をかっ喰らう不健全な会。

でも、この桃太郎の御膳定食は美味しかったです。

そして夜は彼女とデート。

 

 

淮海路の新しいファッションビルにあるスペイン料理店でしたが、

この苺のサングリアが結構いけました。

お陰で飛行機に乗る直前まで朝寝亡に。

危ない所でした。


今日はホワイトデーだった

2014年03月14日 | 生活

今日も快晴の上海。心なしか気温も高い気がします。

 

そして、今日はホワートデー。

先日のバレンタインデーも、今日のホワイトデーも上海の男は同じ事を強いられるのです。
曰く、100元以上する花束を買い、高めのレストランを予約し、気の効いたプレゼントを渡し、全然捕まらないタクシーで送り届けることになります。


何故か尽くすのは必ず男の方と決まっています。

そういえば先日の婦人節も同じパターンです。
たった1ヶ月の間に3回もこんな日が在るのは、どうなのでしょう。


いや、今年は元宵節がバレンタインと重なって1日減ったので、逆に感謝しなさいと上海女性なら言い放つところでしょうか。

私の今夜の相手が日本人女性で本当によかったと思います。

しかし、レストランの予約、当日で間に合うだろうか・・・。