上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

黄金の豚とサラリーマンNEO

2010年10月29日 | 趣味
あの、黄金の豚のキャスティングはいったい誰が・・・役被ってるじゃん。
毎回誰かNEOからゲスト出演か?
第一話は入江先輩で、第二話は田口さんでしたが・・・。

いつ生瀬さんが「じゃん」化するか楽しみです。

洗っても動く

2010年10月29日 | 日記
会社では使用を禁じられているUSBメモリなのですが、自宅のNETブックで、SBFのレポートを作成した時など、実行委員会に提出用メディアとして使用しています。

先週も、土曜のSBFで半年遅れのレポートを提出するのに使用したのですが、そのまますっかり忘れていました。
 翌朝、夜の内に洗濯した洗濯物を取り出していると、洗濯機の中でカラカラと音が。 USBメモリ、洗濯してしまいました。
 SBFの後、シャツの胸ポケットに入れっぱなしにしていたのです。
しかし、このままでは勿体無いので再生を試みる事にしました。(でも、洗剤を入れて洗った後なので、絶望的かも。 )

 今朝、1週間掛けて陰干しして乾かしたメモリをそっとNETブックに挿してみた処、LEDが灯り、無事に認識してくれました。
塩素系漂白剤を入れなかったのが救いだったのでしょうか。
記憶領域にも問題無さそうです。
 USBメモリ、洗剤を入れて洗っても問題無いとは知りませんでした。

さて、今夜はキリンビールナイト。如何なる事に相成りますか。

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陽だまりにて

2010年10月28日 | 日記
晴天になった初冬の上海です。
天気が良かったので、結局スーツ姿で愛車に跨って出社してしまいました。
丁度今は、冬日の中にほかほかな日差しが差し込んでくるオフィスに居ます。
中国時間では現在午前9時半。午後には怒濤のような会談の連続が待っていますので、今の内にブログをUPする事にしました。

 そういえば、昨日はこのブログの読者にお会いしました。
 まぁとりとめも無い話をしただけだったのですが、緊張しますね。
以前も同じハイテクパークの日系企業にお勤めに読者に方にお目に掛かりましたが、 迂闊な事が書けなくなるなどと気にせずに思いつくままに書いている自分が居ます。
危ない所はUP前に削除しなくては・・・。

ところで、この数日は自宅のネット環境が最悪の状態で、ニコニコ動画の国会中継が途切れてしまう状態です。
 一般大衆の情報入手々段への検閲が厳しくなっているのでしょう。
26日の日本の状況も掴めなくなっています。
 忘れっぽい大衆が色々な事を忘却した頃、元に戻すのでしょうから、仕事には支障が無いので、此処は気長に待つとします。

 さて、間も無く区政府の党書記がご来訪になりますが、ニコニコしてお迎えしなくては。
 坂口尚の石の花に出てくる小役人の様に。

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愚园路の隠れ家

2010年10月27日 | 日記
すっかり冬の気温になった上海。道行く人も冬の装いです。

昨晩はHRAの懇談会で、愚园路にあるレストランで会食。
 外見からはそれと判らない建物で、上品な中華を頂きながらの一時を過しましたが、まるで隠れ家で密談している様でした。
 集まったのは7人と少人数でしたが、弁護士や会計士の方達と非常に有意義な意見交換が出来ました。
 しかし上海の邦人社会は狭いですね。11月にTESを視察頂く巨大メーカーのプロジェクトに既に参画している保険会社の方が同席していて、様々な展望が見えてきました。

今朝は朝一で日本とネットミーティング。こちらの方も来月1週間弱、弊社に滞在になります。 (11月も忙しい月になりそうです。)
ネットミーティング後は日本からのお客様(というかOHS上部の証券系会社の方)と歓談。
先程の日本のお客様は私と同じ歳、こちらの方は一つ上と、珍しく同年代の方達との会話が続きます。
上海の事情などを御話しているうちに、あっという間に午前中が終わってしまいました。

さて、昼食は今夜に備えて愛車を飛ばして照之谷でスルメイカちゃんこ鍋。
体が暖まりました。(キリタンポ鍋にしなかったのが惜しかったですが、次回に楽しみは取っておく事にしました。)

 明日は日本から重要な案件の来客と、政府の偉い方の来訪で応老師と同席が続き、夕方からは、I社の中国法人責任者の方とミーティングの予定です。
 この寒いのにスーツで愛車は辛いので、久し振りにバスにするつもりでしたが、移動時間が厳しいので、やはり愛車通勤かも。

 どうか冷え込みませんように・・・。

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本格的な寒さ

2010年10月26日 | 趣味
昨夜から、ぐっと冬めいてきた上海です。
先週まで20度ありましたが、何でも今日は最低気温1桁とか。
当然、今日は上下黒革の防寒に特化した井手達です。

昨晩は日本からのVIPと会食第一夜。
私は創業以来「残業は悪」を経営ポリシーに掲げているのですが、どうも良い印象を持たれなかった様子。
確かに、サービス残業が前提と化している日本企業の経営者の方から見ると信じられない申し様かもしれません。
後々、パートナーシップを維持する上で、不協和音にならなければ良いのですが・・・。
先方の上海でのキーマンも帰任が決まり、寂しさを感じた夜でした。

さて、今日はHRA専門家会議ですが、全然原稿を発表していないので、大人しくしていようと思っています。

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宴会週はじまる

2010年10月25日 | 日記
朝方の冷え込みが厳しくなってきた晩秋の上海です。

先週土曜日はSBFでしたが、懇親会は上海体育場に隣接する9車間川香工坊で食事。
工作機械や壁一面のプロパガンダポスターなど、70年代を思わせる非常に変わった内装のお店で、 まるで文革中にタイムスリップしたようです。
 こんな内装を笑って許せる様になった中国、大分と傷も癒えてきたのでしょう。
 お皿やコップがホーロー引きだったので、味は期待していなかったのですが、 予想に反して、次々と高級中華料理が出てきて二度ビックリでした。

 さて、今週は日本からの来客が相次ぐ宴会週となっていまが、金曜日は初キリンビールナイト参加も予定しています。

 肝臓がもつだろうか・・・。

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常々疑問に思っていること

2010年10月22日 | 趣味
田中角栄は周恩来が日本語を話すことを知っていたか?という事。
日中国交正常化会談時の失言問題。
ロシア革命の起きた1917年、19歳の周恩来は来日後2年間に渡る日本留学期間を通じて熱心に日本語を学習した。
(この当時、周恩来は未だ共産主義に傾倒していない一留学青年だった。)
周恩来総理が、1972年当時74歳であったとはいえ、田中角栄総理の話す日本語を完全に理解できたであろう事は疑いようが無い。
では何故、日中間の声明に齟齬が生まれたのか?
日本の外務省は、この事実を掴んでいなかったのか?
アメリカから田中内閣への情報提供は無かったのか?
角さん、周恩来が日本語が話せないと思って、ぺらぺら余計な事を言って揚足を取られたのでは・・・。
いつか、この疑問が氷解する日が来るのだろうか。

不信社会

2010年10月21日 | 日記
私は現在の中国を一言で現すと「不信社会」だと思っています。

全ての出発点は過去の民衆蜂起とその最後の発動である文化大革命でした。
 文革こと文化大革命は、親子密告が横行する人間不信社会を誕生させました。
そして、この不信社会が、文革終息以降現在に至るまで、隣国不信で反日デモをし、顧客不信で贋金、偽商品、偽食品を、雇用不信でストライキと経歴詐称を、法治不信で交通事故と様々な違法行為を引き起こしています。
 (この現状を打開する和階社会を実現する為に、オリンピックと万博を相次いで開催したのですが、成果は万博会場に来ると直接目にする事が出来ます。)
日本はもっとよく中国社会のこの現実を認識する必要があります。
 特に日本政府首脳が、隣国の現実を認識していないなど、もっての外です。
 知恵無き一方的な信頼は、無意味であり、傷を更に大きくします。 (ちなみに私は「愚直」という言葉が嫌いです。何も考えていない「ただの阿呆」ですよ。)
こんな事を、昨夜は映画「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」を観ていて思いました。
多少の荒治療も必要でしょうが、是非知恵の有るハッピ-エンドを両国が迎える事を願っています。

私の生ある内に見れるでしょうか・・・。

上海は日本人が国外都市で世界一多いが、日本の地方都市では無い

2010年10月21日 | 日記
昼夜の温度差が大きくなってきた晩秋の上海です。

買って10日ほどの愛車に初期不良が出始めています。
今朝は左のブレーキグリップのスイッチが故障して、握るとモーターに電力が供給されなくなりました。
元々、エンジンブレーキの代わりに、ブレーキグリップを放した状態で、更に前に押すとモーターを切る様にスイッチが組み込まれているのですが、握った状態でも同様になってしまいました。(恐らく接点短絡でしょう。)
 御蔭で今朝は10分ほど手間を取らされましたが、何処かで時間を見つけて修理に出さなくてはなりません。

 さて、次年度以降に向けたNEXTステップ準備の為の、日本とのMTスケジュールに乱れが生じています。
要因として一番大きかったのが、地方各地での反日デモとその前段のF社々員の拘束事件。
やはり上場企業の経営幹部はリスク管理上、慎重な上にも慎重な行動を強いられているようです。
(日本からの事業投資に水を差す結果になり、結局自国の利益を害する事は、関係部局も重々承知の筈ですが、これからも我々外貿部門が声を大にして働きかけて行く必要を更に感じています。次代の習氏は当地の前市長でもありますので、胡氏同様、経済重視の現実的判断をされると考えていますが。)

 また、真新しい高層ビルの林立する上海に一度訪れてしまうと、東京の繁華街程度の治安と日本語の通じるサービス、日系の店舗も多く、 また邦人も多い為、日本の地方都市の様な錯覚を持たれてしまう方も少なくないのですが、やはり隣国とは云え外国です。
 上海は国外で世界一日本人の多い街ですが、決して日本の地方都市ではありません。
 日本側としても、多少の外的障害要素は織り込み済みの上で、スケジューリングをして頂きたいものです。
(某社に対して今後のコラボレーションに加える確認事項が増えました。)
 TES及び華師大ITグループとしては、応老師の引退も先日の通達で最大で5年程延び、(先生の体力以外には)上部組織への対応上の問題は無いのですが、こちらでの展開の遅れが、市場での投資効果に反映するので、計画の大きな遅れは好ましくないと考えています。

 さて、月末の会談如何では、応老師と日本に行く事になりそうです。

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