昨日、私が応募した教職のポジションについて、最終審査の3人に残らなくて残念だったけど、というニュースをもらいました。
最終面接に残った人のうち2人は既にPhDを持っている人だそうで、一人はポスドク歴4,5年だそう。3人目の人は私と同じ博士論文の最終段階にいる人らしいけど、研究業績が際立っているらしいです。また1人はハーバードを出ているらしくて、太刀打ちできませんよね。
アメリカのリサーチ・ユニバーシティでの採用は、年々厳しくなってきているみたいで、私が籍をおく院にしても、最終審査に残ったのはポスドク2人です。他の大学の話を聞いても、そういう傾向になってきているみたいです。博士号だけだと、余程際立った研究業績でもない限り難しいんですね。日本はどうなんでしょう?
アドバイザーにその話を伝えると、最初に言われたのは a blessing in disguise かもしれない、ということです。直訳すると、「変装した祝福」なんですが、分かりやすくいうと、悪いニュースに表向きには見えるけど、実のところ祝福なのかもしれない、ということなんです。アドバイザーいわく、母親業を熱心にしてかつアシスタントプロフェッサーの仕事を全てこなすのは、本当に難しいことなのよ、ということなのです。
そうなんですよね。アドバイザーや学科長とも話したのは、まず当面の目標は、ともかく博論を終わらせ、研究業績を積み上げていくことなんです。その上で、どういう道が開かれるか、期待することにしましょ。
最終面接に残った人のうち2人は既にPhDを持っている人だそうで、一人はポスドク歴4,5年だそう。3人目の人は私と同じ博士論文の最終段階にいる人らしいけど、研究業績が際立っているらしいです。また1人はハーバードを出ているらしくて、太刀打ちできませんよね。
アメリカのリサーチ・ユニバーシティでの採用は、年々厳しくなってきているみたいで、私が籍をおく院にしても、最終審査に残ったのはポスドク2人です。他の大学の話を聞いても、そういう傾向になってきているみたいです。博士号だけだと、余程際立った研究業績でもない限り難しいんですね。日本はどうなんでしょう?
アドバイザーにその話を伝えると、最初に言われたのは a blessing in disguise かもしれない、ということです。直訳すると、「変装した祝福」なんですが、分かりやすくいうと、悪いニュースに表向きには見えるけど、実のところ祝福なのかもしれない、ということなんです。アドバイザーいわく、母親業を熱心にしてかつアシスタントプロフェッサーの仕事を全てこなすのは、本当に難しいことなのよ、ということなのです。
そうなんですよね。アドバイザーや学科長とも話したのは、まず当面の目標は、ともかく博論を終わらせ、研究業績を積み上げていくことなんです。その上で、どういう道が開かれるか、期待することにしましょ。