月下樹のおと

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6/16 ハンセン病 ドキュメンタリー映画 上映会 NAGASHIMA 〜 “かくり” の証言 〜

2024-06-21 23:12:38 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


6/16(日)
ハンセン病 ドキュメンタリー映画 上映会
NAGASHIMA 〜 “かくり” の証言 〜

10:00〜12:30
マルタス 多目的ホール1・2

映画上映後
宮崎 賢 監督 アフタートーク

────────

岡山 瀬戸市 長島にある
国立ハンセン病療養所
長島愛生園と邑久光明園。
入所者らの証言を記録した
ドキュメンタリー映画。

………………

ハンセン病や、
患者の強制隔離については
ニュースやテレビの報道などで
見聞きしたことはあった。

しかし今回、
そこで生きてきた人の話を聞き
より胸に迫るものを感じた。

これは単に
過去の出来事ではない。
今にも通じる課題があると思った。

ハンセン病に限らず
今も色々な方面で
生きづらさに苦しむ人がいて、
解決されていない問題も多い。

その当事者でなければ
目を向けられることが
少ないのかもしれない。

けれど
誰でも当事者になる、
私たちの問題でもある。

解決のために
何ができるのか。

知ること、人の声をきくこと、
一緒に考えること、

私たちは
何を大事にすればいいのか
改めて考える機会になった。

……………………

まずは、
入所者の方々が
自らのことを語る映像や
過去の写真や資料などが
多く記録されていることに驚いた。

アフタートークの
宮崎賢監督の話にもあったように、
語られるまでに
三十数年かかったそうだ。

それくらい、
これまで伝えなれなかったことも
多いだろう。

自由がない、
人間扱いされないとは
どういうことなのか。

プライバシーのない
閉ざされた場所。

素行不良とみなされれば
極寒の重監房送り。

戦時中の重労働。

断種手術。
生まれた子どもは殺されて。

隔離が始まって
1947年にはプロミンという
特効薬が出来たそうだ。
けれど
1995年に廃止されるまで
らい予防法は続いてきた。

なんと長い年月だろう。

それでも、
廃止運動などがあって
やっと実現したことなのだ。

…………………

今回、
ハンセン病の歴史を
ざっくりだが調べてみた。

すると、
古くは飛鳥時代から
あった病らしい。

明治の終わり頃から、
浮浪患者の救済として
収容するということも
あったらしい。

しかし、
昭和初期には「無らい県運動」、

日中戦争が始まった頃から
強制収容が強化され

ハンセン病に対する
人々の恐怖心や嫌悪感が
煽り立てられていったようだ。

長く隔離が続いたのには
そんな国民全体の感情も
影響していたのではないか。

そう思うと、
当事者ではない多くの人も
無関係とは言えない。

人の目に触れず
話題に上がらないことで
問題が長い間
置き去りにされることはある。

同じようなことが
今も起きていないだろうか。

コロナ禍で
深刻な問題があったことも
記憶に新しい。

過去に学ぶことをしなければ
また同じような過ちを犯してしまう。

映像の中に出てきた、
ドイツの
ヴァイツゼッカーの言葉

“過去に目を閉ざす者は
現在にも盲目になる”

その通りだなと
胸に刺さった。

……………………

しかし、
映画の中では

心が温かくなる話もあった。

患者の高校ができて
学校生活が楽しかったという話。

絵や川柳など
文化芸術を通して
社会と繋がることができた話。

地元住民も参加する
夏まつりを楽しみにしている話。

失った時間は取り戻せないが、
今何が求められていているのかに
目を向けることはできる。

自分たちに
できることは何か
考えたいと思った。


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