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チッタ・ブリッティ・ニローダハ

2017-02-19 22:33:43 | ヨガなお話
毎月、第三金曜日夜、関内にて、
「ヨーガ・スートラ勉強会」を開催しています。



ヨーガ・スートラとは
2世紀~4世紀頃にパタンジャリによって編集されたヨーガの根本経典です。

スートラとは「糸」という意味を持つ言葉です。
選び抜かれた言葉が、短いセンテンスに凝縮され
糸のように紡がれて構成されている書です。

第1章 サマーディ・パダ(三昧部門)
第2章 サーダナ・パダ(実修部門)
第3章 ヴィブーティ・パダ(成就部門)
第4章 カイヴァリヤ・パダ(絶対部門)

…と、4章195のスートラで構成されています。

今、ヨーガ・スートラの翻訳本は多数出版されていますね。


私がヨーガ・スートラを手にしたのは
今から25年ほど前のこと。(ふた昔…?汗)
その当時はヨーガ・スートラの翻訳本といえば
佐保田鶴治先生の、「ヨーガ根本経典」だけだったんじゃなかったかな。
佐保田先生は、インド人でも難解なこのスートラのサンスクリット語を
厳密に翻訳されていらっしゃいます。
日本語として難解なところもあるのですが
今開催している勉強会では、この佐保田先生の翻訳を軸にすすめています。
(どうしても分かりにくいときは他の訳も使用しますが。)
この勉強会ではサンスクリット語までは追求していませんが(断片的には取り上げますが)
佐保田先生の翻訳は、原文のサンスクリット語に忠実で、
古語であるところの原文の雰囲気を、十分に感じることができるかと思います。


ヨーガ・スートラはここからはじまります。

1-1「これより、ヨーガを解説しよう」

ふむ。。。
で。次です。

1-2 Yogas Chitta Vritti Nirodhahヨーガシ チッタ ブリッティ ニローダハ
「ヨーガとは心のはたらきを止滅することである。」







以上おわり。







…なんちゃって。


実はこの1-2「ヨーガとは心のはたらきを止滅することである。」
にこのヨーガ・スートラの全文章が詰まっているといっても過言ではありません。
真の叡智に満ちている人であれば
この文章を読んだだけで全てを理解する…とのこと。

そそそーなのか。

チッタとはこころ。
ブリッティとは、はたらき。
ニローダは止滅です。

では、チッタとは何なのでしょうか。
こころ…といっても漠然としていますね。
ハート?マインド?意識? 
はい。すべてがこのひと言であらわされています。
ウパニシャッドにおいては
ブッディ、マナス・アハンカーラ、チッタ(記憶)…などと分析されていた要素が
ここではすべて「チッタ」と総称されています。
もちろん、ここにはあらゆるカルマによって派生するサムスカーラ…
つまり潜在印象や過去世から無意識に刻まれた記憶までも含まれます。

そして、次のスートラ1-3より
チッタについて、分析解説されて行きます。

スートラを前にして
この超クールな文章を読んで行くと…
サマーディ・パダという三昧(瞑想)部門の書は
心の分析書だということがわかります。
心理学であり、科学であることがわかります。

ヨーガ・スートラの第1章では
徹底的に「チッタ」を分解し、観察しているのです。

て・っ・て・い・て・き にです(汗。

難解なところもあるので
途中投げ出したくなっちゃうこともあるんですけど
それでも、逃げずにじっくりと向かいあっていくと
だんだん見えてきます。
「チッタ・ブリッティ(こころのはたらき)」を「ニローダ(止滅)」することの意味。
その圧倒的なまでの結論に、先日の勉強会でもさまざまな感想が飛び交いました。

普段の私たちの心のはたらきは止まることがありません。
漠然とした言い方になりますが
「心のはたらき」を波にたとえてみましょう。

そうですね。。。
普通の一般人である私たちは
おそらく心の湖面は「湖面」と判別つかないくらい波立っているのでしょう(笑。
深い瞑想状態を保てる人であってもさざ波は立っている。
かなり深いレベルの瞑想に達した人であっても微細な波は立っている。

では、その波を完全に鎮めるにはどうすれば良いのでしょうか。

ヨーガ・スートラの面白いところは
「では、どうすれば良いか」が
具体的に記されているというところです。
高度なガイドブックと言って良いでしょう。

読みすすめていくと
「チッタ・ブリッティ・ニローダハ」の
本当のところの意味や、ヨーガ・スートラの厳しさ
真実を追求しようという姿勢が、びりびり伝わってくるかと思います。

では、なぜチッタ・ブリッティ・ニローダハが必要なのでしょうか。

心とは鏡のようなもの。
完全にその働きが制止されたとき
そこに映るものは何か。
それが本当の私たちの正体であると。

私たちは、本当の正体を知らない。
なぜなら、波立ったこころでは知るよしもないからです。
肉体に比べると、心や意識は微細なレベルのものですが
私たちの正体はより微細なものです。
だから、どんなに知識で理解しようとしても、それは無理なのです。
どんな言葉でも説明ができないのです。


つまり
「それ」です。

心の働きが完全に止まると
「それ」が心の湖面に照り映えるのです。



…おっと長くなっちゃった。
勉強会では、次回から第2章「サーダナ・パダ(実修部門)に入ります。



☆3/9(金)10:00~12:00
「バガヴァッド・ギーターを読む会vol.6」@灯台屋さん

☆3/17(金)19:00~21:30
「ヨーガ・スートラを読む会vol.6」@関内












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