中古のゲンチャを10年乗り回して、つぶれたので新車のバイク(125cc)に買い換えました。
中古バイクは 当たりはずれが多く、この10年に新車が買えるほど修理費を使いましたので今度は新車にしました。
少し遠出をしてみたいので、岩湧からちょっと離れた 二上山へバイクで行く事にしました。
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二上山から平石峠 その1
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大阪府河南町の万葉の森広場駐車場にバイクを停めて歩き出します。
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このおじぞうさんの分岐で左の山道へ入ります。
丁度山から下りてきた女性が 一心にお祈りされていました。
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暫くは整備された山道を進みます。
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展望台に立ち寄りました。今日は晴れていますが霞んでいて遠くは良く見えません。
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展望台からは 二上山の雌岳(ひくいほう)が見えます。雄岳はその向こうなので見えません。
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鹿谷寺跡を過ぎます。向こうに見える多宝塔は 石を積み上げた者ではなくて、周りの岩盤を
削り取って運び去り、残った岩山の突起をさらに削ったものです。
この山は飛鳥時代に 大量の石材が切り取って明日香へ運ばれて 石舞台古墳やその他の沢山の古墳の石室に
使用されました。
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山道の石段は 岩盤を削って作ったものです。
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途中何箇所か 展望ポイントがあります。
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ダイトレ(ダイヤモンドトレイル)に出ました。
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暫くダイトレを進み、この標識のポイントでダイトレと分かれます。
ダイトレは左へ分岐して 起点の屯鶴峰(どんづるぼう)の岩山へ向います。
私は直進して雄岳へ向います。
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やがて馬の背の売店が見えてきました。
しかし子の売店が営業しているのを見たことがありません。
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馬の背を進みます。
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やがて木製階段の急登が始まります。
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雄岳山頂に到着です。
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二上山神社です。別名 葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみじんじゃ)とも言います。
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この神社の主祭神 は 豊布都御霊、大国主御霊の二柱です。
苦労の末にひうがから大和入りして 大和に物部王朝を打ち立てた イクメ大王が 石上神社を建てて
そこで政治をし、物部の始祖布都御霊を祀りました。
つまり布都御霊とは 物部王朝の始祖徐福です。
またイクメ大王と共に大和入りした異母兄妹の 豊来入彦、豊来入姫の母親の 豊王国女王
豊姫(魏書に書かれた2番目のヒミコ)の軍勢が大勢大和に移住して この葛木地方や櫻井市近辺に
豊の付く地名がたくさんあります。
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また徐福らに幽閉殺害された 古代出雲王朝第八代主王の八千矛王の御霊を祀る為に 出雲びくの末裔の
大和の登美家、磯城家、加茂家などの豪族たちにより 大神神社(おおみわ)、大和神社(おおやまと)
が建てられました。
つまりこの神社は 誰が何のためにたてたのか 良く分からない意味不明の神社ですねえ。
殺したほうと殺されたほうが同時に 祀られていますから。
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その隣が葛城経塚二十八宿第二十六番経塚です。
2年ほど前に鬱蒼としていたこの経塚の枝を切り落として 黄色い標識を取り付けたのですが、今もきれいでした。
私が標識を取り付けたそのあとで白い標識をとり付けられた方が良く清掃をされているのでしょう。
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雄岳には大津の皇子の御陵もあります。
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わが子を帝位に就けるため、ゴウツクババアの持統女帝が当時宮廷で大人気の皇子 大津の皇子に
冤罪を擦り付けて死刑にしました。
その無念の皇子 大津の皇子の御陵ですが 大和を向かずに 南の難波を向いています。
そのゴウツクババアの持統女帝が藤原の不比等らに 書かせた記紀が その後の日本史を捻じ曲げてしまったのです。
自分たちが渡来人の征服王朝の末裔だという事を ひた隠し自分たちの祖先は天から降りてきたなどとほざき、
古代出雲王朝の存在を抹殺し、日本史を捻じ曲げた 張本人です。
今も記紀の呪縛に取り付かれている人が大勢いらっしゃるのは悲しい事です。
天から降りる神々の子孫を見送る天上の神々の中に 徐福のオカンの 高木千々姫がいるなんて
全く笑いますねえ。
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雌岳へ引き返します。木々の間に大和葛城山の手前に岩橋山が見えます。
今日はあそこまで行きたいのですが。
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雌岳山頂です。
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山頂には 石造りの大きな日時計も設置してあります。
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奈良盆地方面も霞んでいてほとんど見えません。
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ダイトレ延長上の岩橋山です。今日の予定はあそこまで行くつもりなのですが。
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先ほどまでいた雄岳を実ながらダイトレへ降りて行きます。
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ダイトレを暫く歩いて「桜広場」に着いたので ここで丁度12時になったのでお弁当にします。
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お弁当を食べながら、我が家の裏山の岩湧山を探しますが、霞んでいて見えません。
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食後のコーヒーも飲んで、12時30分にダイトレを再び歩き出します。
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岩橋山の頭だけ見えているポイントに 標識があり、岩橋山まで5キロとあります。
と言うことは往復10キロ、約4時間から5時間の距離です。
と言うことは 今4時半なので、駐車場に帰ってくるのが 5時前後。と言うことはもう暗い道を歩いて
景色はほとんど見えないということです。とにかく前へ進もう。
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岩屋も通過します。ここの磨崖仏も風化して ほとんど見えません。
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祐泉寺分岐を過ぎます。祐泉寺や當麻寺は左ですが 直進します。
元来ダイトレは ここを右へ降りて万葉の森から 竹之内街道を登り返し、竹之内峠から再び山道へ
入るのですが、みんなが直進するようになり、道も整備されました。
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小さなアップダウンを4,5回繰り返します。
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道路が見えてきました。竹之内街道です。
この道は 古代「官道」で一部の役人しか通れなかったといわれます。もちろん農民など一般人は
通れませんでした。
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その2へ続く
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中古バイクは 当たりはずれが多く、この10年に新車が買えるほど修理費を使いましたので今度は新車にしました。
少し遠出をしてみたいので、岩湧からちょっと離れた 二上山へバイクで行く事にしました。
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二上山から平石峠 その1
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大阪府河南町の万葉の森広場駐車場にバイクを停めて歩き出します。
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このおじぞうさんの分岐で左の山道へ入ります。
丁度山から下りてきた女性が 一心にお祈りされていました。
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暫くは整備された山道を進みます。
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展望台に立ち寄りました。今日は晴れていますが霞んでいて遠くは良く見えません。
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展望台からは 二上山の雌岳(ひくいほう)が見えます。雄岳はその向こうなので見えません。
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鹿谷寺跡を過ぎます。向こうに見える多宝塔は 石を積み上げた者ではなくて、周りの岩盤を
削り取って運び去り、残った岩山の突起をさらに削ったものです。
この山は飛鳥時代に 大量の石材が切り取って明日香へ運ばれて 石舞台古墳やその他の沢山の古墳の石室に
使用されました。
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山道の石段は 岩盤を削って作ったものです。
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途中何箇所か 展望ポイントがあります。
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ダイトレ(ダイヤモンドトレイル)に出ました。
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暫くダイトレを進み、この標識のポイントでダイトレと分かれます。
ダイトレは左へ分岐して 起点の屯鶴峰(どんづるぼう)の岩山へ向います。
私は直進して雄岳へ向います。
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やがて馬の背の売店が見えてきました。
しかし子の売店が営業しているのを見たことがありません。
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馬の背を進みます。
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やがて木製階段の急登が始まります。
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雄岳山頂に到着です。
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二上山神社です。別名 葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみじんじゃ)とも言います。
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この神社の主祭神 は 豊布都御霊、大国主御霊の二柱です。
苦労の末にひうがから大和入りして 大和に物部王朝を打ち立てた イクメ大王が 石上神社を建てて
そこで政治をし、物部の始祖布都御霊を祀りました。
つまり布都御霊とは 物部王朝の始祖徐福です。
またイクメ大王と共に大和入りした異母兄妹の 豊来入彦、豊来入姫の母親の 豊王国女王
豊姫(魏書に書かれた2番目のヒミコ)の軍勢が大勢大和に移住して この葛木地方や櫻井市近辺に
豊の付く地名がたくさんあります。
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また徐福らに幽閉殺害された 古代出雲王朝第八代主王の八千矛王の御霊を祀る為に 出雲びくの末裔の
大和の登美家、磯城家、加茂家などの豪族たちにより 大神神社(おおみわ)、大和神社(おおやまと)
が建てられました。
つまりこの神社は 誰が何のためにたてたのか 良く分からない意味不明の神社ですねえ。
殺したほうと殺されたほうが同時に 祀られていますから。
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その隣が葛城経塚二十八宿第二十六番経塚です。
2年ほど前に鬱蒼としていたこの経塚の枝を切り落として 黄色い標識を取り付けたのですが、今もきれいでした。
私が標識を取り付けたそのあとで白い標識をとり付けられた方が良く清掃をされているのでしょう。
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雄岳には大津の皇子の御陵もあります。
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わが子を帝位に就けるため、ゴウツクババアの持統女帝が当時宮廷で大人気の皇子 大津の皇子に
冤罪を擦り付けて死刑にしました。
その無念の皇子 大津の皇子の御陵ですが 大和を向かずに 南の難波を向いています。
そのゴウツクババアの持統女帝が藤原の不比等らに 書かせた記紀が その後の日本史を捻じ曲げてしまったのです。
自分たちが渡来人の征服王朝の末裔だという事を ひた隠し自分たちの祖先は天から降りてきたなどとほざき、
古代出雲王朝の存在を抹殺し、日本史を捻じ曲げた 張本人です。
今も記紀の呪縛に取り付かれている人が大勢いらっしゃるのは悲しい事です。
天から降りる神々の子孫を見送る天上の神々の中に 徐福のオカンの 高木千々姫がいるなんて
全く笑いますねえ。
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雌岳へ引き返します。木々の間に大和葛城山の手前に岩橋山が見えます。
今日はあそこまで行きたいのですが。
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雌岳山頂です。
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山頂には 石造りの大きな日時計も設置してあります。
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奈良盆地方面も霞んでいてほとんど見えません。
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ダイトレ延長上の岩橋山です。今日の予定はあそこまで行くつもりなのですが。
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先ほどまでいた雄岳を実ながらダイトレへ降りて行きます。
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ダイトレを暫く歩いて「桜広場」に着いたので ここで丁度12時になったのでお弁当にします。
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お弁当を食べながら、我が家の裏山の岩湧山を探しますが、霞んでいて見えません。
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食後のコーヒーも飲んで、12時30分にダイトレを再び歩き出します。
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岩橋山の頭だけ見えているポイントに 標識があり、岩橋山まで5キロとあります。
と言うことは往復10キロ、約4時間から5時間の距離です。
と言うことは 今4時半なので、駐車場に帰ってくるのが 5時前後。と言うことはもう暗い道を歩いて
景色はほとんど見えないということです。とにかく前へ進もう。
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岩屋も通過します。ここの磨崖仏も風化して ほとんど見えません。
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祐泉寺分岐を過ぎます。祐泉寺や當麻寺は左ですが 直進します。
元来ダイトレは ここを右へ降りて万葉の森から 竹之内街道を登り返し、竹之内峠から再び山道へ
入るのですが、みんなが直進するようになり、道も整備されました。
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小さなアップダウンを4,5回繰り返します。
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道路が見えてきました。竹之内街道です。
この道は 古代「官道」で一部の役人しか通れなかったといわれます。もちろん農民など一般人は
通れませんでした。
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その2へ続く
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