プリティな美容室。
プリティと同じ路地のすぐ近くのバタ屋さん(この言葉知ってる人いるかな?)みたいな家の前にいた「愛想の良い猫」
写真によってホワイトバランスがまったく違うのはご勘弁。写真だけで見せる内容のブログではないにしろ、写真がかなりメインなのに「腕」というか「技術」が付いてこないのが悲しいところ。
こいつもヒマを持て余していると見た。少しかまってやるかぁ。
もうすっかりオイラに気を許している「クロ吉(仮名)」
終止冷ややかにオイラと「クロ吉」の様子を距離を置いてみていた兄貴分の猫。人が人畜無害なやつばかりではなく、時として敵となる事を十分すぎるほど経験した、っていう顔つきをしている。
三ノ輪の交差点(大関横丁)へ戻ってきた。
浄閑寺。山谷で働く孤独な労働者達のための無縁仏の場所が墓地内の永井荷風の碑のすぐ隣にある。住所不定の彼等も死んだらちゃんと落ち着ける所があるというのだが…
「何々童女」というのは18歳にならずして死んだ女の人につける戒名のようなものらしい。
オマケ
山谷の無縁仏の手前にある永井荷風の碑。検索したら、この浄閑寺はあの「アラーキー」の菩提寺であるという。生家も寺の斜め前にあったという。
最後のは顔がないね。
でもここも近いの?
吉原の遊女達は かわいそうな一生なんだね。
この前 月島慕情を読んだばかりだからね。
この香暫童女の墓は一緒くたにされているが遊女のお墓のようです。
さっきちょこっと検索した受け売りなんだけど
安政の大地震の時の火事で、楼主たちは遊女が逃亡するのをおそれて大門を閉ざしてしまったので、大勢の新吉原の遊女が逃げ遅れて焼け死に、投げ込み同然にこの浄閑寺に葬られた。そのことから「投込寺」とも呼ばれるようになったらしい。
関東大震災や東京大空襲焼死した娼婦も投げ込まれたという。
投げ込まれた遊女達のためには総供養塔があるけど、昔は小さな墓石が境内に散在していたらしい。
(Wikipediaで検索しちゃった)
無縁仏はやっぱり悲しいな・・・。
写真、良いと思います。
私なんかが言うのもなんですが。
浅草とか山谷、三ノ輪辺りは近いので自転車でよく行きます。
山谷は昔ほどではないけれどやはり特殊な街でスラム街の面影が残っています。
「てっつあん」の”泪橋”でも紹介しましたが一番安いと思われる簡易旅館で1泊1700円です。ネットカフェの方が安上がりですが、きつい肉体労働の疲れをとって次の日の早い朝に備えるには、最低身体を伸ばして寝る空間が必要でしょう。
余談ですが若いとき日雇いのアルバイトをした事があります。
朝暗いうちに出かけ、手配師のいる事務所の前の長蛇の列に並びます。
早く並んでいないと自分の目の前で「ハイ、今日はここまで!」と打ち切られる事があります。その日は仕事にありつけません。
運良く仕事にありつけた場合、事務所の前からトラックの幌のついた荷台に乗って各現場まで行きます。
仕事を終えたら仕事をしたという証明をもらってまたトラックに乗って事務所に帰ります。
そこで当日の日当をもらうのです。多分6:4位の割合でピンはねされていたはずです。(もらうのが4割ですぞ!)
「プリティ1」は、その店名から美容室かな、と思いきや、床屋なんですね。
ここで刈ってもらうと、同じ5厘刈りでもプリティなオヤジに変身できますかね。
クロ吉(仮称)、本当にヒマそうですね。兄貴分は不適なツラ構えです。今にも襲いかからんばかりです。
ご存じだったらアレですが、ブログ仲間から教えてもらった浄閑寺情報を一つ。
総供養塔の台座部分の横に、鉄柵のついた小窓みたいなのがあり、そこから台座内部を覗けます。無数の骨壺が並んでいます。
ただ、これが遊女たちの骨壺なのかどうかは不明です。
確かに古そうな骨壺もありますが、手前には、「平成×年……」と書かれた骨壺もありました。
わざわざ来ていただいて嬉しいです。
「プリティ1」は美容室だとばかり思っていました
2とか3があれば面白いですね。
浄閑寺。
そうですか、知りませんでした。近いうち見てきます。
「平成…」というのはやはり山谷の無縁仏なのでしょうかねえ。
荷風の碑は思ったよりぐっと小ぢんまりなのでそのまま撮っても面白くないと思い、マフィンマンさんのようにぐっと近づいてみました。
盗作の疑いがある?と言われそうなので、何処かの画家ではありませんが一応弁明しますと。
はっきり申し上げて「真似」です!(キッパリ)
今日はこれからこないだ土砂降りで中断した京成線めぐりの続きに行って来ます。
日に焼けそうだなぁ。