フレンド日記

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長瀞行き-2

2007-03-07 21:41:33 | お出かけ・散歩

 もしオイラがここで少年時代を過ごしたとしたら、と想像してしまう。
 夏には朝から晩まで川で泳ぎまくっていたことだろう。水温は多少低いだろうが真夏のカンカン照りの日差しとエネルギッシュな子供の組み合わせならまったく問題ない。流れの緩急や思わぬ深みもあるけれどそれほど危険な流れの場所は無いように思える。もしあったとしても川を熟知した地元の少年なら危険はないだろう。








 川と平行して岩場の上に細長い沼が点在する。春の日差しに暖められた浅瀬にチョロリと動くものがいる。近づいてみると、それは巨大なおたまじゃくしだった。





 何だか懐かしいような駅舎。ここはやはり夏に来たい場所だと改めて実感。「冷えたビールをジョッキでグイッと…」も良いけれど、ハンカチで汗を拭き拭き店の軒先で、ラムネの栓を麻紐のついた凸形の木で作った栓抜きでラムネ玉をビンの中に落とす。飲む時はラムネ玉がビンののどもとのくびれに上手く引っかかるようにして飲むのだ。
 慣れてくると人差し指の先で少し痛いのを我慢して押すとラムネ玉を落とす事ができるようになる。このラムネ玉は駄菓子屋で売っているビー玉に比べて球体としての精度がはるかに高いのでコンクリでラムネのビンを割ってラムネ玉を取り出したりしたこともあった。しかしラムネは当時一本15円でビン代が5円。その場で飲んでビンをすぐ返すと10円で飲む事ができた、というような記憶があるのだ。だからラムネのビンを割るというのは子供にとってあまり経済的ではなかった。一個五円のビー玉というのは子供には高価すぎる。しかしこの記憶はあまり定かではない。はるか遠い昔の話だから。





 長瀞駅周辺の観光施設やその関連の商店などは廃屋になっているものが多い。たまにオイラが鮎釣りに行く東京近郊の地方の観光地もそういうところがけっこうある。



タイル貼りの流し台が侘びしい




 日本で最大の甌穴があるという立て看板を頼りに川原に出たが、ペンキで描きなぐったヘタクソな甌穴の絵の看板があるだけで広い川原のどこにあるのだかさっぱりわからない。近くを歩き回ってみたがそれらしい穴は見当たらない。けっこう巨大なものらしいのだが。仕方ないので対岸の写真を数枚撮って引き返す。
 もう3時近い。そろそろ東京へ帰る時間になった。

 岩畳の沼で釣りの支度をする地元らしき子供。
 東京都区内にやっと帰ってきた。高島平辺り。前の車の色が黒だと鏡代わりになることを発見。信号待ちで一枚撮ってみた。


長瀞行き-1

2007-03-04 22:03:44 | お出かけ・散歩
 長瀞はいつか行ってみたいと思っていた。「長瀞行き」とはオイラが小学生の時の国語の教科書に教材として載せられた作文のタイトル。内容は覚えてないが東京都内から家族などで日帰りで行ける手近な観光地と言うイメージ。

クリックすると別の画像になります(以下の写真がすべてそうだとは限りませんが)

 長瀞のイメージはそそり立つ奇岩と透明感のある川の水だが、要は涼しげな景観だろう。人は何故か涼しげなものを求める。日常が暑苦しくてシツコイ事の繰り返しだからね。ちょっとしたことでも何度も何度も念を押して必ずコンセンサスを出しておく。こうしておかないととんでもない物が出来上がったり、予期しない間違いや問題がもちあがったりするのが世の常なのだ。
 だからこそ、やっぱりオフ(私生活)はさっぱりと行きたいやね。オイラも含めて家庭でもそれなりに用心深く立ち回らねばならない輩も多いとは思うが、土日は気を抜いて油断も隙も丸出しにして精神を開放する。そういうオイラがウィークデイにどれだけすごい仕事をこなしているか、という事はまた別だ。ストレスの感じ方というのは個人的に違うものだからね。昼飯にカレーライスを食いたい気分だが、サイクル的におもんぱかるに、今夜の夕飯がカレーの確立が非常に高いというデータが脳裏にあって非常に悩み、飯がのどを通らないというような事態はよくある。この年になると明日突然脳梗塞で倒れるという事もあるわけで、毎度の食事くらいはそのつど後悔のないようにしたいものだ。もう二度と自分の右手で大変微妙な物を触ったりとか箸で好きなおかずをつまむという当たり前のことが出来なくなるかもしれない。ぶるぶる震える手で杖を突き町をリハビリで散歩するオヂサンは明日はわが身だ。
そうそう話が横道に逸れたが「涼しい」という話だったね。女性も涼しげなのが良い。目元の涼しげな女性はいいね。見るからに暑苦しいのは勘弁。ハートが熱いというのはまた別な話になるけど。


 久しぶりのバイクでの遠出。昨日新しいヘルメットを買ったし。いつだったか娘が「お父さんのヘルメット臭い」と言った。築地へ二人でバイクで行って色んな物買ってこようという話が持ち上がったが娘のかぶるヘルメットがパブリーズしても臭いがとれないのでこの計画は流れてしまった。
 そういう事とか、今被ってるヘルメットが二回転んだ時の傷跡が凄くてシールドもちゃんと見える部分の方が少ないとか、そういう事情もあったので近所の安売りの店で買った¥4,200。(※注¥42,000円ではない)見た目はまあまあなのだが、被って走り出してしばらくすると値段なりの物だという事が理解できた。何か違和感のある装着感。目の上部分の視界が狭いような気もするし…要はフリーサイズなのでぶかぶかでオイラの頭のサイズに合っていないのだという事に漸く気づいた。サイズ調整用のスポンジなど気休め程度でまるで役に立たない。家に帰ってから古いヘルメットと比べてみるとフィット感の違いが一目瞭然。その場はとりあえずポケットティッシュを詰めて応急処置。

 ヘルメットの調整と休憩をかねて熊谷の先で給油。最近のGSはほとんどセルフサービスだ。こういうのはどちらかというと苦手なのだが思い切って入ってみることにした。なんとか給油を終えたのだがレシートが出てきただけでお釣りが出てこない。昔使った事のあるセルフのスタンドではその場でお釣りが出てきたとおもうのだが。
 まったく突然突き放されたようで途方にくれたが思い直して気を落ち着かせてもう一度説明書きを読む。どうやらお釣り専用の機械が別にあるらしい。以前使った事のあるセルフのスタンドはまったくの無人ではなく奥に事務所の建物があったことを思い出した。スタンド内を探すと偶然にもお釣りを受け取っているやつを見かけた。急いでその機械の傍に行く。レシートのバーコード部分を指定された通りに機械に読み取らせる仕組みなのだという事がわかった…しかしこういうのは人とコミニケーションをとりながら生活してきたおいら達の年代以降の世代はついていけるのだろうか?オイラは辛うじて理解できたけれど、だんだん電車に乗るのにも切符を買えずにおろおろするようになるのかと思うと恐ろしい。
 ビデオの予約録画の仕方とかパソコンのマニュアルなんかを一度読んだだけできちんと理解できる若いやつか、メンドクサイ事を全て他人任せにできる大金持ちの老人だけが生き残っていける時代がすぐそこまで来ている。


 番いの鴨。繁殖の季節なのか、この日はあちこちでカップルの鴨を見かけた。


 秩父鉄道の「波久礼駅」近くの「寄居橋」の上から撮影。ここは長瀞駅の3つ手前だが風景はもうイメージしていた長瀞そのものになってきた。


 さらにもう一駅先の「ひぐち駅」長閑な感じがいい。


 結晶片岩という雲母みたいに薄い層が幾重にも重なった岩で、思ったより柔らかく、手で簡単にはがす事ができる。写真ではわかりにくいが鉛色というか殆んど銀色に近い金属的な色でキラキラしている。
 そういう性質の岩なので、メインの観光スポットの「岩畳」では、崩落しそうな危険な場所はロープが張られて立ち入り禁止になっている場所が所々あった。”長瀞”で検索していたら岩の崩落で怪我をし車椅子生活になった人の話がでていた。


鮎がいそうな川底だ。夏に水遊びしても楽しそう。


 こちらは人間の「つがい」。もう春だね。


 下流から来て岩畳の手前の桜新道沿いの塀。昔の代官屋敷跡かなにか、と思ったらら閉鎖されたテーマパークみたいなものらしい。塀の隙間から中を覗くと荒れ果てた中庭にお姫様とかライオンの像がちらほら見える。


 う~ん。和むなぁ。ポカポカする川原でしばしボケーっとしていたいと思わせる風景。


 ここにも「カップル」が。


 国道からわき道へ入り、なるべく川沿いの農道みたいな細い道をトコトコバイクで走る。川原に降りられるような道を見当をつけて降りては写真を撮る、というような事を繰り返していたら上流に岩畳と思しき所が見えてきた。川原に大勢の人が降りているので間違いなさそうだ。


 宝登山神社の参道となっているが実際は長瀞駅から岩畳の川原へ降りる土産物屋の通りだ。江ノ島よりスケールは小さいがよく似た雰囲気。一番川原に近い「見晴茶屋」で「けんちん蕎麦」850円を食べる。観光地だからと期待していなかったが思ったより美味しかった。


 ライン下りは夏季のみ。冬場は流れの穏やかな近場を巡る屋形船が代わりにある。¥850


 岩畳へ来る途中でけたたましい音を立てながらオイラを追い抜いていった地元の暴走族のグループが川っぷちの大岩の上でくつろいでいた。参道の手前の路地裏に自分達のバイクを行儀よく駐車させていたのが微笑ましい。行楽客の中に違和感なく溶け込んでいるのは心和む風景のなせる業なのか。
 川原では子供達がこぞって平たい石を川面に投げてスキップさせる遊びを繰り返していた。