フレンド日記

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三日坊主の日記 vol. 19,467

2006-08-29 23:29:33 | 三日坊主の日記

 野暮用があって久々有楽町に行った。写真の通りは有楽町駅の一番新橋寄りの出口を出てマリオンに向かう裏道だ。道の左は再開発の工事による高い塀に囲われているがこの空き地の隅っこの一角に読売新聞だかがあったような気がする。
 マリオンは昔日劇があった所。周りを取り囲むペーブメントには照明が埋め込んであって小さい時親父に連れられて来た時、なんて都会的でゴージャスなんだと驚いたものだ。
 上の写真の外壁を黒っぽく塗ったラーメン屋(無元と読むのか?)は昔、風情のある甘味喫茶だった。和服にたすきがけのお運びさんがキリキリ立ち働いていた。二十歳過ぎの頃友達に教えられて行ったのが最初だった。
 木の肌を生かした木造建築の建物は当時すでにかなりレトロだった。5,6年前娘と伊東屋に行った帰りにラーメンを食べた事があったので、まだやってるかなと密かに期待していたのだが残念ながら今風の和風ラーメンに変わってしまっていた。
 玄関のガラス越しに覗くと中の造りは変わっていないようだ。いつも入り口を入ってすぐ左にある階段を上った二階で食べるのが常だった。

閑話休題。

 少し秋らしくなり始めていたのに久々暑さがぶり返した。夏はいつもタオルを首にかけて倉庫で仕事をしているのだが今日は一時ほどの異常な暑さではないので荷物を積む台車の取っ手にタオルをかけ、時々事務所の自分の席で見積り依頼や注文のメールをチェックしたり、返信したりしていた。
 そんな昼下がり3階の自分の台車の所に戻ってくると「サイトー シロシ」がいた。オイラの台車の傍を通る時オイラのタオル越しに台車の取っ手をつかんで行ったのを見てびっくりした。
 普通他人の汗拭いたタオル触るかあ?オイラは家族とかよほど親しい人以外はイヤだけれど。触られたオイラの方も、食べようとしていた饅頭に先に唾つけられたような嫌悪というか、もっと言えば、『体育の時間に忘れ物を取りに教室に戻ったら、体育を休んで見学しているはずの男子(女子の間で嫌われている)が自分の机から着替えて仕舞っておいた下着を取り出して手に持っている現場に遭遇した女子』みたいな心情になった。
 「サイトー シロシ」はオイラよりかなり年上のオヤジなのだが少し頭がスローなので何かと皆に馬鹿にされてフルネームで呼ばれたりしているのだ。同じ穴のムジナというか、ギトヌラ(脂ぎってギトギトでヌラヌラしている)オイラが言うのも可笑しいが「サイトー シロシ」は生理的に嫌悪を感じるタイプなのだ。
 影日向があるのも好感持てない理由の一つ。人が見ていないとすぐサボって倉庫のスミで水虫干していたりする。他人の足音がすると急いで取り繕うのがミエミエなのだ。

閑話休題。

裏表が無いと言えば

   真
   由
   美

だね。これなら左右対称だ。

閑話休題。

じんじろげ。
現在は特殊な意味で使われているが(モロへイヤーみたいな)
昔は面白い語感のおまじないの言葉という感じだった。

「じんじろげ」
渡舟人作詞・中村八大作曲

ちんちくりんのつんつるてん
まっかっかの おさんどん
お宮に願かけた 内緒にしとこ

ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ
ドレドンガラガッタ
ホーレツラッパノツーレツ
マージョリン マージンガラ チョイチョイ
ヒッカリコマタキ ワイワイ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
ヒラミヤ バミヤ チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
チョイナダ ディーヤ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ
ヒッカリ コマタキ ワイワイ

おっぺけぺえの すってんてん
まっくろけの じんじろべえ
お宮に 願かけた 内緒にしとこ

おさんどんと じんじろべえ
まっかっっかと まっくろけ
お宮で結んだ 内緒にしとこ

森山加代子の歌でお馴染みだが検索してみたら
三高の「ヂンヂロゲ踊」とか
インドの雨乞いの歌がオリジナルらしい。

ヂンヂロゲ ヤ ヂンヂロゲ

ドーレドンガラガッタ
ホエツ ラッパノ ツエツ
マーヂン マーヂンガラ ヂョイヂョイ

シッカリカマタケ ワイワイ
ピラミナパミナ

ヂョイナラリイヤヂョイナラリイヤ
アングラカッチ カングラカッチ

ナッパッパルチルカーナ
オップルセット ナップルセット

ナッパッパルチルカーナ

 おまじないの言葉というと
 落語の「寿限無」
 これに出てくる言葉で「五劫の擦り切れ」というのがある。
一劫というのは、3000年に一度天人が天下ってやって来て下界にある岩(7キロ立方メートル)を衣でなでる。その岩をなでつくして擦り切れてなくなってしまうのを一劫という。(磐石劫)

 それが五劫というから何万年何億年だか途方もない時間だ。

 一劫というのは仏教では色々な説があって別のたとえでは
やはり7キロ立方メートルの部屋に芥子粒をぎっしり詰め、その芥子粒を100年に一度一粒ずつ取り出していき全てなくなるのを一劫とする(芥子劫)というのもある。
 どちらにしても天文学的な数字でさらには一劫を一億倍した億劫(おっくう=かったるい)という言葉もあるそうな。イヤハヤ。
 人間がせいぜい長生きして100年の命というのがなんともはかないものに思えてくるじゃないか。と言いたいところだがやはり人間は煩悩のかたまりなのでそう簡単には割り切れないのだね。

閑話休題。

冒頭の続き。
数寄屋橋のガード下あたりのスナップ
横に5つ並んだ小さい写真をマウスでポイントすると上のスペースに拡大画像が出てくる…はず…

「ガード下の新橋デパート」
「ガード下の新橋デパート」「新橋デパート左にある通路沿いの飲み屋街」「ガード左の通路」「ガード中央の新橋への近道」「ガードの日比谷側」

 有楽町から新橋へ抜けるガードの真下には当時(30年以上前だけど)「新橋でパート」あるいは「西銀座デパート」と言うような名前の商店街の通路があって、ラジカセとかカメラ、あるいは刺青のTシャツのような、日本の土産として外国で受けそうな(日本人には?だけど)品を売る店が軒を連ねていてひやかしていると飽きなかった。

 日曜のお昼前なので定休日でシャッターを下ろしている店が殆んどだが、数奇屋橋近くの店は銀ブラの後の客を見込んでか、仕込みなど開店準備している店も結構あった。たいてい、今河岸から戻ってきたところという感じで店の前にドアを開けたままの車を置いて店の中であわただしく何かやっている風だった。


 帰り。素直に昭和通を走っていたのだがふと思いついて永代橋の方へ行ってみることにした。京橋から八丁掘を抜けた辺りの橋でスケッチしているオジサンがいたのでバイクを停めた。橋の袂に「徳船稲荷」という祠があった。
 少し行った所の十字路の右に面白い吊橋が目に入ったのでまたバイクを停めて写真に撮る。「中央大橋」という橋だった。橋から上流を見ると永代橋が見えた。と言う事はこないだ盆に娘を会社に送って行った時永代橋から見た奇妙な吊橋と川面からいきなり突き出したような高層ビル群がここだったのだ。
「中央大橋1」
「中央大橋1」「中央大橋2」「中央大橋から見た永代橋」「永代橋から見た中央大橋とビル群」「永代橋」

 永代橋を渡るともう深川だ。


 永代橋から少し門前仲町方面に行った所にある狭い運河。本当に東京は水の都だ。川や運河が多い。かなり埋め立てられたり暗渠になっているから昔はもっといっぱいあったのだろう。
 この運河の近くにあったユニークな一杯飲み屋。(クリック後の画像)


 さらに押上方面に戻ると富岡八幡宮がある。通りを挟んで向かい辺りにあるラーメン屋。最初は昔ながらの老舗の中華料理屋かと思ったのだが、どうやら作りはレトロ風だが新しく出来たラーメン専門店みたいだ。(クリック後の画像)



久慈川

2006-08-06 21:11:12 | お出かけ・散歩

 全然お誘いがないので今年は鮎釣りに行かないのかな?と同僚と話していたところだった。秋に「呪われたネジ屋」としては大判振る舞いの慰安旅行があるので今年は倹約しているんだろうという結論に達していたのだ。
 オイラは運転手兼、雑用係りで釣りは殆んどやらない。川原でひたすらビールや酎ハイを飲んでいるだけだし、最後の最後に疲れ切った体でレンタカーのガソリン満タンにして返却して清算するという面倒くさい用事があるのだ。これは結構気が重い。
 鮎釣りの誘いがないなら自分のペースで休日をすごせるし気が楽なのでこれはこれでいいなあと思っていたのだ。
 ところが7月の末。今度の土曜、日帰りでレンタカーを予約しておけとのお達しが出た。という事は金曜の夜にレンタカーを借りておいて、土曜の朝早く出かけ、夜9時頃帰ってくるという強行軍なのだ。
 いつものレンタカー屋に予約の電話を入れる。夏休み真盛りなのでアルファードとかエスティマクラスは空いてなくてかろうじて1ランク下のオデッセイがキャンセル待ちで予約できた。

 前夜の金曜の夜はPCやってたら眠くなってしまい、いつもより早く床に就いて布団の中からテレビを見ていたのだがあっという間に寝てしまった。ところがまもなく目が覚めてしまったのだ。
 隣の布団にいるカアチャンがずっとテレビを見ていて、たまたま賑やかな内容の番組になったので目が覚めてしまったようだ。一度目が覚めてしまうと、もう二度と寝る事は出来なかった。なんだかけたたましく騒いでいる若者向けのテレビ番組に舌打ちしたい思いでとうとう起きてまたPCを始めてしまった。
 普段カアチャンが寝てからもずっとテレビを見続けていることが多いので、逆の立場になったときだけテレビを消せとはさすがのオイラも言えない。結局3時過ぎまでPCやって、ようやく寝た。無常にも4時に目覚ましが鳴る。
 再び布団に倒れこもうとする体を無理やり起こす。昨夜用意した着替えやタオルなどをカバンにぶち込む。ああ眠い!体がダルイ!こんな状態で炎天下の川原で丸一日過ごして、車運転して帰ってこられるのか?


 5時に出発。2時間ほどで久慈川の上流の「太子」(ダイゴ)に着いた。昨年、一作年と変わって今回はとあるキャンプ場近くのポイントに社長は場所を定めた。キャンプ場の駐車場に車を入れて近くの階段を降りるとすぐ川原に出る。
 昼飯はキャンプ場のジンギスカンを食べれば良い。釣り場に行く途中のコンビニで昼の弁当やオニギリを買い、重たい釣り道具や食料、飲み物のぎっしり詰った重いクーラーボックスを背負って道なき道を進んで崖や土手を降りて川原に出るようなことをせずに済むのだ。いやあ、こんな至れり尽くせりのポイントがあったとはね。
 まだ朝の8時前だが川には釣師が一人入っていた。同僚は「おとり鮎」を買いにキャンプ場の管理人室へ向かい社長はトイレへ用足しに行った。一人になって辺りを見回すとホントに良い所だ。海パンも持って来てるから、水温があまり冷たくなかったら手ごろな淵で泳いでもいいかな?などと思っていたのだが…
 朝早いせいか管理人も関係者も誰もいなくておとり鮎が手に入らない。キャンプ場に来た子供達で川原が騒々しくなり釣どころでなくなる時間にはこちらも「夕間詰め」までの休憩に入るから良いのだけれど、何より川に入っている釣師が先ほどから一匹も釣り上げてないということが社長の気にいらないらしく無情にもポイントを変える事になってしまった。
 結局いつも来ている橋の袂から急な土手を降りたポイントにやってきた。社長と同僚は準備を終え釣り始めた。オイラはさすがにいきなりビールというわけには行かず、所在なくあたりをぶらつく。7月にかなり雨が降って何度か増水し最近ようやく水量が普段並に戻ってきたとかで川原の様子は昨年とは少し変わっていた。落ち着いて川を見回すと、とても心和む風景だ。毎回思うことだがこのあたりの川の風景は坪田譲二の童話「善太と三平」を彷彿とさせるのだ。やはり来て良かった。橋の上流の川がカーブしている様子は川幅は少し狭いが故郷の「江川」のイメージもある。
 釣り始めて15分ほどで早くも社長が小さいながら一匹かけた。幸先が良い。頃合と見て同僚と最初のビールを飲む。思いがけず良く冷えていてウンまい。このビールが汗になる頃を見計らって近くの日帰り温泉を探しに車に乗った。
 「朝間詰め」が終わった後ダラダラと釣っているとイタズラに体力を消耗するだけでろくに釣果はないので温泉にでも入って昼寝して「夕間詰め」に備えようと釣りに貪欲な社長にしては珍しく今回初めて提案したのだ。
 社長の話ではここから上流の太子の観光ヤナへ行く途中にあるとの事だった。途中の国道には色んな温泉の案内看板があったので、温泉を探す事自体より何処に決めるかの方が問題になりそうだ。
 昨年泊まった宿、鰍荘近くの袋田の駅に観光案内図があったのを思い出し国道118号から脇道へ入る。駅前の広場では若作りの中年夫婦らしきが駅舎をバックにお互いに記念写真を撮り合っていた。
 暇そうなタクシーが数台、それぞれ適当な木陰の下にドアを全開にして駐車し客を待っていた。駅長というか一人だけの駅員は委託された近所のオバサン風で、その人に近くの日帰り入浴の出来る温泉を訪ねるといくつかの温泉を丁寧に教えてくれた。
 太子のヤナと川を挟んだほぼ対岸にある「道の駅太子」では普通のドライブインの施設の2階に温泉がある。500円とかなり安い。太子の町自体も温泉街なのだが少しはずれに「森林の湯」と書いて「もりの湯」と読ませる日帰り入浴の温泉もあった。実際に行ってみたがかなり遠い。オバサン駅長に教えてもらった温泉を確認した帰り「鰍荘」へ行く脇道の近くを反対側に入る「関所の湯」というのもあった。
 小一時間ほど温泉探しをして釣り場に戻ると社長が川から上がってクーラーボックスに腰掛けて休んでいる。あれから一匹もかからないのだという。同僚はかなり離れたところでマイペースで釣っている。
 社長がはっと気がついたように「ビール飲むかね」とクーラーボックスから立ち上がった。オイラは一応恐縮した風に「ハイいただきます」とビールを飲む。温泉について報告するとそんなにいっぱいあるのかと驚いていた。
 まだ少し早いけれど休憩にして温泉に行こうと言う。クーラーボックスからもう1本ビールを取り出して同僚の所へ持っていってやる。「切り上げて温泉に行くらしいぜ」と言うとずいぶん早いなと驚いていた。
 おとり鮎を買った「kick地さん」の家の裏の川に残りのおとり鮎を沈めておいてから温泉に行く事にした。「kick地さん」の奥さんに温泉の事を訊くと「関所の湯」がいいんじゃないかと言う。道の駅の500円は安すぎて心配だし、「森林の湯」は少し遠いから「関所の湯」に決まった。


 久慈川の支流沿いの道を少し入ったところに思いがけず洒落た構えの町営の温泉施設があった。平日700円。土曜、休日は1000円の料金。伊豆の湯河島にも「湯の国会館」という町営の日帰り入浴の温泉があって、こちらは10年くらい前で半日1800円くらいしたから(ただし貸しタオル付き)かなり安い。
 あまり期待していなかったのだが思いがけず露天風呂があったのでビックリした。屋根がまったくなくて日差しがジリジリとさすのが少し気になったが、小さな沢に面して作られた湯船は心地良い風が吹き、疲れがみるみる取れていくようだった。
 温泉のあと休憩所の畳の大広間でオイラタチはビールと枝豆、社長はコーラを飲む。酔いが回ってきたところで横になって昼寝。一時間ほどして近くで赤ん坊がでっかい声でずーっと泣いているのが気になって三人とも目が覚めててしまった。気分を逆なでするような嫌な泣き方ではなかったのだが赤ん坊のむずかる声を聞いたのが久しぶりだったせいかもしれない。
 目がはっきり覚める寸前右足の膝の裏からふくらはぎにかけて痙攣しそうなのに気がついた。いつもなら痙攣しそうだと指を曲げたり伸ばしたり足首を回したりしているうちに治るのだが今日はあっという間にピキピキに攣ってしまった。かなりの痛みで目がはっきり覚めてきた。右足はまったく動かせない状態だ。
 数分経っても症状は良くならない。まさかこのまま当分治らないのか?と少し焦り始めた頃今度は左足が同じような感じで攣り始めた。すると右足の痛みが少し和らいできた。膝が曲がるようになったので上体を起こした。無理やり膝を曲げてみる。
 睡眠不足が祟ったのだ。ビールばかり飲んでいたのも良くなかったのかもしれない。痙攣にはカルシウムが良いのだが、後でスポーツドリンクでも飲んでおこう。社長が目覚ましにと地元で取れた100パーセントリンゴジュースというのを注文したのでそれを飲んだらかなり痛みが取れてきて何とか歩いたりできるようになった。


 もう少しゆっくりしていたかったというのがオイラや同僚の正直な気持ちだったが社長は夕間詰めの方に気がせいているのでしょうがない。2時過ぎに温泉を出ておとり鮎を取りに「kick地さん」の所へ向かう。
 結局「kick地さん」の裏で釣ることになった。川は家の裏の茶畑やら家庭菜園の間の細い道を下って林を抜けた所にある。川原に出て少し下流に下ったところがいつも釣っているポイントだ。ここも御馴染み。
 午前中と違って日差しが少し曇っているので幾分しのぎやすい。おいらはビールを飲んだり周りの景色をデジカメで撮りまくっていた。特に、本流とは別に大きな砂利の中州で分けられた岸近くの流れは淀みや淵、橋桁の基礎でさえぎられて流れが狭まり急になっている所など変化が多くて見ていて飽きなかった。
 途中撮影しようとするとエラー表示が出てレンズが引っ込んでしまい。シャッターが切れない事が何度かあった。いよいよ買い替えの時期が来たかと少し心配。家に帰ってからPCにカメラの画像を取り込んで確認する時、水面を写したカットの中で思いがけない効果の出たものがありはしないかと期待していたのだが、やはりデジカメのオートモード撮影以上の出来ではなかった。


 釣果の方は一向に上がらない。同僚の方も取り込む時にバラしたりしてまるっきりダメな様子。おとり鮎が弱ってきてもうだめだと社長が言うのでまだまだ時間あるし、追加で買ってきましょうかと言うと、待ってましたとばかり「じゃあ、悪いけど頼む」と言われ、やぶへびだったかと思いつつも延々川原を歩いて「kick地さん」の所まで行っておとり鮎を買ってきた。
 ま、昼飯代からビール代(社長は下戸)まで出してもらってるんだからこれくらいはしないと悪いかも。

 5時過ぎ、ついに社長も見切りをつけたらしく「引き上げようか」と鶴の一声。「ま、今年最初だからこんなもんだな」と自分を慰めるような言葉に「でも、今日は雷が鳴らずに一日釣りが出来て良かったですよね」などとトンチンカンな会話をしながら帰り支度。
 高速に乗る手前で「舟納豆」というのを購入。さらにいつものラーメン屋に寄る。店を出るとちょうど7時。すっかり暗くなっていた。
 常磐道は大洗方面とかの海水浴客でさぞかし混むだろうと思っていたが拍子抜けするほど空いていた。あっという間に利根川近くまで来てしまった。川下の千葉側で花火大会をしているのが土浦あたりから見えていたのだがいよいよはっきり綺麗に見えてきた。
 「何処の花火だろうね?」と言う話になり、オイラはふと思い当たって「手賀沼の花火ですよ」と言ったがみなあまり本気にしなかった。同僚など「手賀沼って取手じゃなかったっけ」などと言う始末。

 三郷の料金所を過ぎ都内に入ると夜景がとても綺麗だった。100万ドルの夜景とまでは言えないが今までこんなに美しいとは思ったことはなかった。正直ホットしたせいもあるのだろう。途中のサービスエリアから同僚が運転していたのでカメラで撮影しようと思えば出来たのに後ろの方の座席に置いたカバンのなかに入れたままだ。撮れないと思うとよけい絶好のシャッターチャンスに思えてくる。