ポン太
相変わらず酷く汚い。
夏なのにタヌキの毛皮の襟巻。
口のとこがクリップになってて尻尾咥えて留めるヤツね…あ、ありゃ狐の襟巻か
趣味悪いし、今は動物虐待になっちゃうからすっかり見かけなくなった。
ポン太は本田とか若い猫に「ネー、仲良くしてくれヨー」と
やたら馴れ馴れしく身体擦り寄せてしつこく迫るので気持ち悪がられている。
まったく子供のヨウカンにもしつこく言い寄って
「オッサン、しつけーんだよ!」と怒鳴られていた。
ヨウカンと新顔のキジトラ。
最初はオネエと勘違いしていたがこちらは身体も大きいし正統派の男性的顔つき。
オネエもわりとでかいけど目つきが上目づかいでオカマっぽい。
(人間から見たら猫はみな上目づかいだわな。やっぱ声か)
S本屋さんも言ってたがチャチャにも少し似ている。
次郎
ヒナ坊
ミドリ ホント太ったなあ。
トト雄(太郎)
落ち武者系で目にクマどりがあるので時々怖い目つきになる。
こういう時は麗子とか何かが憑いているのではないかと思う。
くろっち
他のチビ黒たちとのわかりやすい見分け方→ 耳の後ろが蚊にやられて被れている。
舌出しさん
彼が何故通りを隔てた白黒ゾーンに来たのかやっとわかった。
ボブが舌だしさんを排除しているのだ。
ボブの野郎、人にはデレデレするくせに猫同士ではキビシイのだ。
その点ハクはエサやりの人以外には懐かないが指出しさんを受け入れている。
もうかなり暗い(7時過ぎ)ので撮りにくい。
シルベスタ
不二子
相変わらず自転車猫してる。
尻尾が魅力的。
やや後ろからの横顔が絵になるのだがなかなかうまく撮れない。
わたし最初っからおじいちゃんだと思ってマシタ(>_<)
風太をトド松と自分で名付けていたのでなんともややこしいです。
猫の歳は人間の一才が5~8才位とも言われてますから数年立つと随分変わりますね。
特に晩年の1年~2年は老け方が著しいです。
ところで
浜田へいらした事があるとか…
あの辺の海水浴場というと畳ヶ浦とか折居の海水浴場が有名ですけどね。
江津から汽車に乗っていくと(当時はSLでした)駅のアナウンスが
浜田では「…マダー、マダー」(まだまだ)
周布では「スグー、スグー」(もうすぐ)
折居では「オリィー、オリィー」(降りろ)
ときこえるというギャグがガキどもの間で流行りました。
江津は江川という大きな川があったので海運で栄え、そのため天領だったのです。
河口近くでは川幅が300メートルくらいあって
泳いで渡るというのがガキ達のステータスでした。
街並み保存の地域はこんな感じです。↓
http://e-iwami.com/arch-net/gotsu/honmati.html#
自分のブログ(てっつあん)でも2005年の9月~10月頃に記事にしているのですが
あまり良い写真が無いのでこちらをどうぞ↓
http://magphoto.exblog.jp/14973391/
浜田は波子(はし)の海水浴場がご用達でした。30歳手前まで、夏の遊びといえば
昼間は海か川。友人たちも家が(それぞればらばらの)インターの近くで、まだ新しい
浜田道にのりマイ鉄板持参で、行きも帰りも女ばかり、と色気のない遊び方してました。
車を持つ以前も、山陰へはもっぱら高速バス利用で、電車はそういえば乗る機会がありませんでした。
天領だったのですね。江津のこと、広島から近いのにあんまり知らなかったです。
温泉津(ゆのつ)や石見銀山へは行ったのに。江津がノーマークだったのが悔やまれてなりません。
でも20年ほど前は江津出身の同級生が身近に居たのに、彼女から特にアピールもなかったんで
猛烈アピールする安来の子になびいていました。
町並みが素敵です。行くチャンス、狙おう。
それにしても@てつさん、子供時代のことすごく詳しく覚えてらっしゃるんですねー!!!
JRの駅とそのすぐ前の海水浴場はギリギリ江津市ですね。
もっとも、海岸自体は広くてずうっと浜田市側の方まで続いています。
この海水浴場もよく行ったものです。
広い砂浜と遠浅の海で人気がありました。
遊泳禁止区域のブイを越えて沖に出ると潮流があって
水温が急に冷たくなっている所があるので文字通りヒヤリとします。
そう言えば昭和40年代の半ば辺りから広島ナンバーの車をよく見かけるようになりましたね。
2年くらい前駆け足で帰省した時浜田から9号線で波子の海岸を通りましたが
砂浜が後退し随分狭くなっていて冬と言う事もあって随分荒れた感じがしました。
子供の頃夏は毎日泳いでいた塩田の海水浴場も同じように砂浜が浸食されて当時の面影がありませんでした。