12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

金庸

2012年07月04日 05時43分54秒 | Weblog


ご用とお急ぎでない、男性読者に是非読んでみて欲しい作者です。

ボケていないと自負できる程度の知力も入りますし、居眠りせずぬ読める体力も要りますが、結構あっけらかんと面白いのです。

金庸wikiのサイト

 http://wiki.livedoor.jp/kizurizm/d/%B6%E2%CD%C7

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%BA%B8

金庸(きんよう、192426- )は香港の小説家。香港の『明報』とシンガポールの『新明日報』の創刊者。

武侠小説を代表する作家で、その作品は中国のみならず、世界の中国語圏(中華圏)で絶大な人気を誇る。

本名は査良(さりょうよう、拼音: Zhā Liángyōng )。

金庸とは筆名であり、本名の「」の字を偏と旁に分けたものである。

 

偶然に図書館で、この人の作品を見つけた。

「射英雄伝」全5巻;金庸著、金海南訳、岡崎由美監修、徳間書店、2005年初版。

この1巻から3巻までを借り、読見始めた。読み進む内にだんだん面白くなって来て、1・2巻を返却し、4・5巻を借りてきた。

 

三国志同様、沢山の中国名の登場人物が出てきて、複雑怪奇理解苦しむ。その上,

中華風・中国風チャンバラである、奇妙な武術が次々と登場し、はたまた理解の苦しむ。

日本製の小説に比して2倍以上読むのに時間が掛かる、それで超大作の感じがしてきた。

もう少し、判らないままに読み続けようと思っている。


ついでに;こんなサイトもあった。

http://www.maxam.jp/gallery/shacho/

 

 

おまけ1;

金庸って誰? 金庸(きんよう)という名前を始めて聞く人のために、まず金庸について若干の説明をしておきましょう。金庸の虜になってしまって、ネットサーフィンしていてこのページにたどり着いたという人は、しばらくお待ちください。

 

 NHKラジオ中国語講座のテキストによれば、金庸は、1924年中国浙江省に生まれ、48年に香港へわたり、55年に「書剣恩仇録」を発表。その後、長編12部の武侠小説を執筆。壮大かつロマンあふれるストーリーで、全世界の中華社会に幅広い愛読者を擁する…とあります。

 

 そしてこの私も、金庸の世界に足を踏み入れたが最後、金庸武侠小説の虜となってしまい、長編12部、短編3部のすべてを読み尽くさなくてはおられなくなってしまったのです。

 

NHKラジオ中国語講座でとり上げられた「射英雄伝」を地元の市立図書館で借りて読み始めてから、「鹿鼎記」まで、50数冊分を一気に読み切りました。 まるで中毒にかかったように。

 

 「鹿鼎記」など、まだ翻訳本が完結していなかったので、インターネットで原文を入手して中国語で読みました。はやく結末を知りたい一心で辞書を片手に毎晩格闘したのでした。一種の麻薬的魅力…。そうでなかったなら、私のような入門に毛の生えた程度の中国語の水準で、邦訳本にして八冊におよぶ長編小説を、原文で読もうなどという気はおきなかったでしょう。

 

長編12部について 金庸武侠小説の邦訳は、徳間書店から刊行されていて、日本語で読むことができます。とくに最近では、徳間文庫として文庫本化されるようになっているものもあり、ネット書店などを通して容易に入手できます。

 

さらに、中国でテレビ映画化されたものを、DVDとして日本でも販売されており、ますます身近に接することができるようになってきました。

 

  

おまけ2「射英雄伝」あらすじ;

時は南宋。華北は女真族の金の領土となり、華南の豪傑のある者は勤皇の志に燃え、ある者は金と結んで富貴を得ようとしていた。そんな折り、数多の豪傑の中で誰が最強であるかを決定する華山論剣が開かれたが、全真教の開祖・王重陽が最強と認められて中神通の称号が与えられ、東邪・黄薬師、西毒・欧陽鋒、南帝・段智興、北丐・洪七公の四人がそれに次ぐとされた。

 

それから何年も経って、杭州の牛家村に暮らす郭嘯天と楊鉄心の義兄弟はやはり反金の義士であり、ともに子を宿した妻がいたが、二人とも金兵の襲撃を受けて殺されてしまう。郭嘯天の妻・李氏はモンゴルのチンギス・ハンのもとに逃れて主人公・郭靖を生み、楊鉄心の妻・包氏は金の皇族・完顔洪烈にさらわれて彼の妻となり、彼のもとで楊康を生んだ。

 

さて、王重陽の高弟・丘処機は郭嘯天・楊鉄心とは旧知であったが、ある時に江南七怪と呼ばれる豪傑たちといさかいを起こした。彼は自分が楊康を、江南七怪が郭靖を探し出し、それぞれ武術を教え込み、十八年後に二人に武術の試合をさせることで事の決着を着けようと提案した。彼らは無事に遺児たちを見つけ出したが、郭靖は素直な少年だが物覚えが悪く、楊康は筋は良いものの金の皇族として育てられたため、頗る我が儘である。やがて十八年の時が経ち、郭靖は果たし合いの約束を果たすべくモンゴルを発つが、旅の途中で黄蓉という少女と出会う。彼女は東邪・黄薬師の娘であった・・・

 

『射』三部作の第一作にして、金庸の出世作。今まで王重陽に関しては「インチキ道士」、丘処機(長春真人)は「チンギス・ハンに説教した、枯れた爺さん」というイメージが何となくあったが、二人ともなぜか武術の達人になっているので驚いた。王重陽は棺桶の中から生き返るし、丘処機は全然枯れてないし、滅茶苦茶である。

 

そして『笑傲江湖』の桃谷六仙と同様、今回も老頑童・周伯通というお笑いキャラクターが登場し、シリアスなストーリーの中で一服の清涼剤となっている。この周伯通、一見すればやはり好々爺として描かれている北丐・洪七公とキャラクターがかぶっているような気もするが、洪七公=シリアスなシーンではちゃんとシリアスに決める(第3巻、丐幇の幇主の地位をヒロインの黄蓉に譲るシーン等)・周伯通=シリアスなシーンでも笑いを取るといったように、ちゃんと書き分けが出来ている。彼は続編の『神侠侶』でも登場するそうで、今作以上にハードな物語の中でどう立ち回ってくれるかが楽しみである。

 

ただ、登場人物が人の話を聞かない・秘伝によって主人公がいきなり強くなる・男装の美少女が出てくるといった展開がこの作品でも見られたが、これは金庸の作風ということで納得しないと仕様がないのだろうか?特に今回はガイドブックに、主人公の郭靖が特に才能のあるわけではない平凡な少年で、努力を重ねて成長していく物語という感じの解説があったので、友情・努力・勝利みたいなストーリーを期待していたのだが、蓋を開けてみればくきっちり今までのパターンを踏襲していたので、少しガッカリした。いや、面白かったからいいんですけどね。でも次作あたり、そろそろ違うパターンの作品も読んでみたいと思うのである。

 

おすすめ度→☆☆☆☆