ケルン大聖堂(インターネットより)
父を正帝コンスタンティウスに殺された若者としては、自分の身の安全上やむをえなかったのだが「流れに乗る人」或いは「流れに流される人」であった。
ところが24歳にして、副帝としてガリアに派遣されるや、まず積極戦法家に変身したのであった。
普通なら、正帝のご機嫌第一に、休まず・遅れず・働かず・失敗なきように流れに乗り、要領よく泳ぎきることに専念するのであるが、初めての責任ある立場を自覚したのであろうか、積極戦法の人に変身したのであった。
一年目に幾つかの目覚しい戦歴を挙げた後、二年目に入ると正帝のご機嫌をとることにたけただけの要職中の要職「騎兵長官」を解任し、一兵卒上がりの勇敢な積極戦法家をナンバーツーの「騎兵長官」とした。
これは、正帝の人事を覆したのだから、随分勇気のいった事であった。
ユリアヌスが敵としたのは、ゲルマン民族のフランク族(フランス人の祖)とアレマンノ族で、ライン河沿いのケルン・ボン・マインツ・ストラスブールなどをライン河を渡河し掠奪を繰り返していた。
ユリアヌスの生涯は、反逆的でしかも劇的であり、彼を主人公とした歴史小説は「ジュリアン(Julian)-ゴア・ヴィダル(Gore Vidal)著」が世界的ベストセラーとなった。
次回は、ストラスブールの勝利と題することにした。
補足;ケルンは、ローマの公用語だったラテン語で殖民都市を意味する「コローニア」が、ドイツ語風に変化したものである。
ケルンも世界遺産である、次のURLはケルンを紹介するTBSのサイトである。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20010916/onair.html