八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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お礼参り

2010年11月19日 | つれづれ
すでにご存知の方も多いことと思いますが
我がお宮の境内には八咫烏の石像があります。
これは2002年に開催された
日韓共催のサッカーワールドカップを
益々盛り上げようと
榛原町(現・宇陀市)や
商工会・観光協会などが企画して行った
「八咫烏まつり」というイベントの
顕彰碑的モニュメントです。
(地元の石材業者さんが寄贈してくださいました)

以来、サッカーファンの皆さんや
勝負事に一念ありそうな皆さんも
よくお参りなさっているようです。

その八咫烏像の3本足のうち、1本に
いつの頃からか、ミサンガが付けてありました。

おおー、なかなか粋だなあと思っていましたが
先日、朝拝の際に、またまた見つけました。



お茶のペットボトルの中に、たくさんの折鶴。
そしてペットボトルの側面には
「ありがとうございます」。
どうやら、お礼参りのようです。

八咫烏像に賽銭を手向けてくださる方は
ずいぶんとおられますが
これほど明確に
奉賽(お礼)の想いを託されるなんて素晴らしい!

朝から、何だかとても嬉しくなって、
思わず折鶴のペットボトルにお辞儀をしてしまいました。

ご参拝の方々のいろいろな想いで
いろいろな愛され方をされている、この八咫烏像。
なかなか、たいしたやつです。

願わくば、
この八咫烏像にお参りの皆さま、
本殿に坐します神様にも
その想いを拝殿からお伝えくださいませ。


本殿遷座祭

2010年11月17日 | お祭り
先日、伊那佐山の頂に祭られている
都賀那岐神社のご祭神を
本殿の修理のため
臨時に麓の遥拝所に
遷座したことを書きました。

その続きの話なのですが、
過日、本殿に遷座するお祭りを
滞りなく斎行することができました。

当日は天候が危ぶまれる曇り空のもと
神社の役員さんほか計6名に参集いただきました。

先日の仮殿遷座祭では
2名の役員さんと共に
神様にお移りいただく手助けをしてもらったのですが
いかんせん
本殿内の神様は想像以上に多く重たく
たいへんなご負担をかけてしまいしました。

それで今回は声がけしていただき
6名参集いただいた次第です。

本来、遷座祭といえば
宵闇で行い、ご祭神の影も人目に触れさせない
厳粛なお祭りであるべきものですが、
登山をともなう参道を行ったり来たりすることは
本来的なお祭りの大きな妨げになります。

何より、神様を無事に遷座させることを第一に考えると
ムラの役員さんたちの協力なしに成し遂げられません。

そんな訳で麓の遥拝所で
午後3時前に
ひとしきり行事をおこなった後、
皆で山頂の本殿へと参進(登山)しました。

相変わらず下駄で登山の僕を見て
役員さんたちは「神主さん、すごいな!」と
お褒めいただいたりするわけですが
なんのなんの。
本当にすごいのは、この下駄です。
とりわけ、登り道はスニーカーなんかより
よほど具合がよろしい。
一歩足を進めるごとに
大げさながら「先人の叡智」を感じてしまいます。

さて、本殿前に到着の後
休憩もそこそこに役員さんたちは境内を清掃。
その間、僕は神饌を整えました。
そして、いよいよ本殿遷座祭を斎行しました。

今回、臨時ながら遷座祭を斎行したことで
僕にとっても氏子さんたちにとっても
始めてわかったことや気付いたことが多々あり
ある種のトラブルによってもたらされた祭ながらも
とても有意義なことだったと思います。

これも神様の思し召しだったのかもしれませんね。



例祭に思う

2010年11月07日 | 雑感
去る11月3日は当社の例祭の日でした。

毎年、その例祭に合わせて
お祭りの準備は、神社の役員さんや
3ヶ大字の当屋さん、副当屋さんたち、
氏子さんたちや、その他諸々
たくさんの人たちが関わって盛り立ててくれています。

10月後半の日曜日は草刈奉仕で
氏子さんたちが寄ってたかって境内をぴかぴかにします。
10月31日は御供米洗いを午前中に。
11月1日は御供つき(餅つき)は終日。
そして
11月3日の本番の例祭へと続きます。

11月3日は当社3ヶ大字のひとつ
比布地区から太鼓御輿がお出ましになるので
その御輿の御祓いを午前中に。
午後は三宮寺の三宝荒神神社にて例祭。
そして夕方、我がお宮の例祭です。

参加してくださる皆が皆、
たまの休みをして、さぞかし大変だろうに
皆さん方、にこにこ喜んでご奉仕してくださいます。

有り難いなあ。

「神は人の敬いによりて威を増し、
 人は神の徳によりて運を添う」

宇陀の村々で暮らす人々は、
そんな言葉の引用がなくても
すでにそんな生活をずっと続けているんですね。