八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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崩れた土手の修繕とバス専用駐車場

2018年08月10日 | 奉務メモ
本年6下旬以降「平成30年7月豪雨」を始めとする集中豪雨によって、広い範囲に被害が及んでいます。まずもって被害に合われ亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災され避難所生活を余儀なくされている皆様に心よりお見舞い申し上げます。



当社周辺地域は特に7月28日から29日までの夜中、一時的に強い風雨にあいましたが大きな被害はなかったようです。
それでも神社境内の排水路があふれた水が参道を走ったためか、参道の土手の一部が崩れてしましました。しかしながら、この度の集中豪雨で全国的に大きな被害があったわけですから、これしきの土手崩れで済んだことは幸いだったというべきかもしれません。



その土手崩れの補修を先日、氏子総代さんを始め土木工事のプロフェッショナル氏子さんのご協力にのもと麗しく完了していただきました。



また、氏子総代会の長年の(?)懸案であったバス専用の駐車スペースの整備も同時に施工いただきました。なお、このバス専用駐車スペースの土地も当社のとある氏子さんに快く貸し出していただいたものです。





僕はといえば、暑さに負けてバテバテで、補修工事も駐車場整備もお手伝いできませんでした(否、他用の仕事で参加でませんでした)。
改めて、当社のためにご助力、ご尽力いただいている皆様に感謝です。








「ゾウクの締め」

2018年05月24日 | 奉務メモ


季節は春から初夏へと移ろいつつあるようです。
神社周辺の田んぼには次々と水が張られ、夜になるとカエルの大合唱が聞こえてきます。

ところで、去る平成28年11月に当社は第五次御造営奉告祭(ゾウク)が執り行われましたことは以前にも書かせていただきました。
そして先日、その御造営奉告祭と氏子崇敬者様のお志を末代まで顕彰するための御浄財芳名碑が建立されました。
2年前に御造営がおわってから役員の交替があり、この石碑の建立計画は現在の新役員によって企画されました。



入念に会議を重ねたため、ずいぶんと時間が経ってしまいましたが、先日、ささやかながらも除幕式を執り行うことができました。
「これでようやくゾウクの締めができたのでは」とは役員さんのひとりのお言葉。
まったく同感です。
第五次御造営委員会の役員の皆様、たいへんお疲れ様でした。
また、この芳名碑の建立の実行部隊である現役員の皆様、ありがとうございました。

役員の皆さんには、この除幕式のあくる日には神社境内の草刈り奉仕をしていただきました。
僕はといえば、他用があったため草刈りに参加できず、たいへん恐縮です。
今後、月に一回は役員さんたちによる草刈り奉仕があるので、そこできっちりとフォローできればと思っています。

さて、草を刈ったことで、その下に隠れていた綺麗な苔やサツキのつぼみが顔を出しました。
サツキの花はすでにちらほら咲き始めています。
しだいに境内に彩りが増えていくのが楽しみです。









彫刻作品『八咫烏』の写真に関する続き

2018年02月01日 | 奉務メモ


彫刻作品『八咫烏』の写真に関する続きの巻です。

写真の左下部分に、こんな内容の書き込みがありました。
『帝国美術院 佐藤朝山 作
 回字會代表 久留島武彦奉納
 昭和十二年二月二十一日  』



「佐藤朝山」とありますが、これは佐藤清蔵が山崎朝雲に師事していたときの号なのだとか。
気になるのは「回字會代表 久留島武彦奉納」です。
…というわけで、久留島武彦の詳細は下記のリンクをご覧ください。

フリー百科事典『ウィキペデイア』より
デジタル辞書『コトバンク』より


なんと「日本のアンデルセン」!
日本のボーイスカウト運動の基礎作りをした人!
そして、童謡『夕やけ小やけ』の作詞者!

ただし、この『夕やけ小やけ』は我々のよく知るところの童謡ではなく、また別の曲のようです。
<参考資料>

上記と関係ありませんが『夕やけ小やけ』のついでに書きますと、かつてこの地域には「八咫烏こども会」という会があって、その会歌は『夕やけ小やけ』の替え歌(メジャーな方)だったそうです。



また、宇陀市榛原の夕方のチャイムも『夕やけ小やけ』(メジャーな方)です。

ところで、久留島武彦氏が当社にこの写真を奉納してくださったという証拠資料は、今のところ確認できていません。
さてさて、当社にその証拠となる資料の有りや無しや。
状況証拠としては、成立しているように思えるんですけどねえ。







彫刻「八咫烏」の写真のこと

2018年01月28日 | 奉務メモ
当社に彫刻作品を撮影した写真を入れた額があります。
この作品のタイトルは「八咫烏」。
神武東遷の際に吉野山中から皇軍を先導する雄姿を描いた作品なのでしょう。



…と、ここまでは何となくわかっていました。
が、それ以上の情報がなく、先日ご参拝の方から「この写真は何ですか?」とたずねられ、上手に答えられませんでしたので、この機会に調べてみました。

この作品の作者は佐藤清蔵といって日本画の巨匠、横山大観に「天才」と称えられた彫刻家なのだそうです。
有名な作品として、日本橋三越本店『天女像(まごころぞう)』や、皇居の『和気清麻呂公像(わけのきよまろこうぞう)』がある方です。
「近代彫刻の父」と呼ばれた高村光雲の高弟、山崎朝雲に師事した人で、フランスに留学の際にはブールデルに学び、帰国後その成果と伝統木彫との間に自己の様式を求めた結果、『八咫烏』や『和気清麻呂公像』といったモニュメンタルな作品を制作したされています。
この作品『八咫烏』は当時の政府買い上げとなったものの、後に焼失してしまい現存していないそうです。
残念ですね!

なお、以上はすべてネットから得た知識です。
今さらながらインターネットて、すごいですね。
詳しくは下記のリンクをご覧くださいませ。

独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所
‪http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9033.html‬

小平市教育委員会生涯学習推進課
‪http://www.kodaira.ed.jp/kogera/chouzan.htm‬








静かな年明け、特別な年明け。

2018年01月23日 | 奉務メモ
たいへん遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
皆さま、よい年をお迎えになったこととお慶び申しあげます。

さて皆さま、お気づきでしたでしょうか。
今年の三が日から、社務所に神職が詰めておりましたことを。

仮にも神社なら「三が日くらい神主がいて当然」と皆さんはお思いでしょう。
正論です。
しかし、当社のような山里の田舎神社は、正月とはいえ地元の方以外のお参りは少なく、案外のんびりと過ごしたものでした。
それが昨今では、世の中のネットの整備状況とSNSの流行により、知る人ぞ知る当社のような神社にもお参りくださる方が(わずかながら)増えてきました。
…というわけで、昨年末から「三が日に『新春特別御祈祷』を承ります」という広報を(こっそりと)させていただき、社務所にてお待ち受けさせていただいておりました。
結果、ご予約が数件あり、当日申込で1件の御祈祷をご奉仕させていただくことができました。
たいへん有難いことです。
この正月は静かな年明けでしたが、特に自分にとっては記念すべき特別な年明けになりました。

新春特別御祈祷の撤饌として限定頒布させていただきました御朱印帳は、今後、年間を通じてお受けする御祈祷の撤饌としてレギュラー化させていただこうと考えております。
また地元の御婦人がたの手作りによるヤタガラスの手編み籠や御導き守りも通年の取り扱いとさせていただきますので、お参りの際にお求めいただければ幸いです。

それでは皆さま、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。