八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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旧伊那佐小学校で思ったこと。

2015年03月17日 | 雑感
「伊那佐地区」とは、
伊那佐山麓の各集落、11ヵ大字
(池上・高塚・比布・福西・石田・栗谷・山路・沢・大貝・母里・三宮寺)
の地域をさします。
この地域でも、いよいよ「まちづくり協議会」なるものが発足し、
誠に僭越ながら、僕もこの協議会に参加させていただくことになりました。
もともとこの地域で生まれ育ったわけではない僕にとって、
この地域のことをもっとよく勉強できる良い機会となると思い、
参加させていただいた次第です。



…というわけで、
行ってきました旧伊那佐小学校。
嫁さんの母校です(笑)。
廃校となった後は福祉施設が入って活動なさっています。



ここで「まち協」第1回目?の活動です。
今回は校舎東側斜面の整備でした。
こんもりと高い丘の上にあり、
芳野川の流れや伊那佐山、沢城址などが一望できるいい場所です。

この小学校の校舎は地元出身の山田輝郎氏が寄進したものです。



山田家はロート製薬の創業家であり、
輝郎氏のお父上は当社の「昭和大造営」の際にも
尽力くださった山田安民氏でもあります。

さて、今回、集まったのは、「まち協」の役員さんたちを始め
ボランティアで集まった十数名。
皆さん、この土地のあれこれしゃべりながら作業はちゃくちゃくと進みました。



こういう場に参加して何が面白いかというと
この土地のいろいろなお話が聞けるということにつきます。
たとえば、
「旧校舎裏のイチョウはギンナンの実がびっくりするくらい採れる」
…とか(笑)。

楽しい作業も昼前にはお開きとなりました。

さて、実をいいますと
僕が旧伊那佐小学校をちゃんと見たのは、この日が初めてでした。
…という訳で、帰りしなにあちこち見てきました。

校舎は小規模ながらも校庭は充分な広さ。
プールもまだ残ったままで、
どこからか元気な子供たちの声が聞こえてきそうです。
校門の「紀元二千六百一年」の彫刻に、その時代を偲ばせられます。
校舎と校庭を挟んで正面の丘には奉安殿が忠魂碑と佇んでいました。



奉安殿と忠魂碑。
国の一大事の際に人々の心の拠り所となった場所です。
もちろん、それらについては様々な意見があることは承知しています。

ただ、僕個人としては、
たくさんの人の真心がこめられて時を経たコトやモノは、
しばしば「神」のごとく尊いものであると考えています。

そんな、たくさんの真心を思い、
僕も心をこめてお参りさせていただきました。



地域の知らないコトやモノは
まだまだたくさんあるようです。

そんないろんなものとの出会い。

楽しみです。








三寒四温とゾウクと紅梅と。

2015年03月04日 | つれづれ
三寒四温の季節ですね。
温かさと寒さが日毎にくるくる変わり、
来る春にむけてあちらこちらでも
なにかと変化があらわれる時でもありますね。
皆さま、ますますご自愛くださいませ。

さて、当社はといえば、
20年毎に行われるゾウク(御造営)を来年に控え、
3月から社務所屋根の葺き替え工事が始ました。



お参りの皆様には何かとご不便をおかけいたします。
何卒ご理解ご協力いただきつつ、
安全にお参りくださいませ。

これに先立ち
3月1日には工事安全祈願祭を斎行しました。
また、その後、
月次祭と「はがき絵馬」の諸願成就祈願祭も
執り行ないました。

少しずつ変わりゆく季節に
少しずつ新しいことを始めるのは、
身に心に、いい刺激になりそうです。

「何事も恐れず、前身あるのみ!」
というがむしゃらさは、時に必要でしょうが、
これまでの道への感謝を忘れたくはないものです。

そういえば、
境内の紅梅もぼちぼち花開いてきました。



今は、この境内に紅梅を植えてくださった先人に
感謝を捧げたいと思います。