八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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早朝5時ごろ、伊那佐山・都賀那伎神社一の鳥居にて

2008年06月28日 | 伊那佐山
早朝の伊那佐山への登拝をはじめてから
ようやく自分なりの登山ペースがつかめてきました。
やっぱり八咫烏神社から伊那佐山の往復は
1時間半は見込んでおかないとしんどいみたいですね。

ところで「早起きは三文の徳」とは良くいったもので
朝早く歩くことでいろいろと発見がありました。

たとえば
農家の方々が本当に朝早くから働いてはるということ。
シカをはじめ、いろいろな鳥や小動物と出会えること。
実は近くに滝のような水場があったこと。
そして
うす暗い山の中は怖いようでいて、
しかしある種の「気」のようなものに満ち満ちていて、
その中で「自分も自然の一部にすぎない」のだと素直に感じられること。
…などなど。

なかなか、しんどくはあるのですが
早朝登山、けっこうイイ感じです。

山が呼んでるぜ。

2008年06月22日 | つれづれ
最近になって、ようやく決心が固まり
まだ夜も明けやらぬ午前四時に床を抜け出して
伊那佐山に上っています。

30リットルのザックに
荷物の代わりに、古着をめいいっぱい詰め込んで
寝ぼけ眼をしつつも白の地下足袋を履いて、いざ出発。
朝焼けの伊那佐山はいつも美しく僕の大好きな風景なのですが
この時ばかりは美しさの中に凛としたものを感じ
眠気もふっとびます。

昨年、ある御縁から大峯奥駈道の一部を歩いたことで
今年から本当の修行の「道」に参加させていただけそうなので
トレーニングを始めたというわけです。

それを人に話すと
「で、あんた何になりたいの」
と驚かれたり呆れられたりしますが
「何だかわからないけど、とにかく知りたい感じたい」
という気持ちに動かされているというのが正直なところで
実はうまく言葉にできません。

しかし、そういう曖昧な気持ちも
最終的には理解くださっている周囲の皆さんには、
ただ感謝です。

先日、この御縁のきっかけをくださった我がの会社のボスに
「いったい僕、何になりたいんですかねー」と言ったら
「そんなもん、お前。山が呼んどんねんやろ」と一言。

ああ、そうか!
そうだったんだ。

黄金の言葉

2008年06月03日 | つれづれ
「わしらはな『神主になった』んやない。
 『神さんに神主にしていただいた』んやで」

「会社の仕事と神主、両方するのはたいへんやな。
 なかなか神社のご奉仕がままならんやろうけど、
 仕事はしっかりやり。
 どっちもやる時しっかりやってたら、
 神さんは見てくれてはる」

「神さまにご奉仕していて
 自分の中で思うことがあります。
 それは神社にこもっておられるものというのは、
 おそらく神さまだけじゃないということです。
 これを歴代に何百年あるいは数千年、
 必死で守ってきた方々の気持ちや、
 厳粛にお祭りをされてきた方々の
 気持ちもこもっていますから、
 いいかげんなことできません」

「神主にとって大事なのは祭祀の厳修。
 しかし続けられないことはしないほうがいい。
 まずは出来ることから少しずつ、
 あせらないことですよ」


…つくづく「その道のことは、その道の先達に聞くべき」
と思いました。
最近、この道の先輩方と話をする機会が何度かあって、
そのたびに目からウロコが落ちまくりの今日この頃です。

上記の言葉は、これまでに僕と同じように
いわゆる「週刊ねぎ」※としてご活躍の後
それぞれ専任の神職として
ご奉仕されている方々の「金言」。

皆さん
「若造に助言してやろう」って感じじゃなく
ごく自然に、ごくわかりやすく
さらりと語っていただきました。

なんていうか、とても有り難い。

すこし迷いかけていた僕の目の前の霧が
サーっと晴れていくようでした。





※「週刊ねぎ」は僕が(勝手に)作った造語です。
 「禰宜(ねぎ)」とは広い意味で神社に奉仕する人のこと。
  神職以外に職をもち、ご奉仕はもっぱら休日
  という日々をおくる人のことを意味しています。