八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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伊那佐山・都賀那岐神社のご祭神。

2016年05月28日 | 伊那佐山


八咫烏神社の当方にそびえるのは伊那佐山です。
昔からこの山は麓の村々の田畑にうるおす水をもたらしてきたことから
山頂に神社が祀られています。
それが都賀那岐神社です。



神社の由緒は詳らかではありませんが、
相当古くから水の神として祀られてきました。
ご祭神は高オカミ神と頬那芸神と伝えられています。



…が、神社名の「都賀那岐」とは何かということは不明とされてきました。
どうやら頬那芸神からきているらしいのですが所説あっても
コレ!という定説が過去の書物から発見できず、なんとももやもやしていました。
…が、つい先ほど(笑)有力な根拠となりうるに足る説を発見しました。
たぶんコレできまりでしょう。

それは古事記の中にありました。
イザナギとイザナミの神が国土を生成されたあと、
自然界を司る神々(石・土・海水・河水etc)も生成されたのですが、
その神の一柱に頬那芸神(ツラナギノカミ)がいらっしゃいました。
岩波文庫の『古事記』では
「水面が凪ぐことと波立つこととの神格化であろう」
と解説されています。
水流を司る神といったところでしょうか。



以下、神々の生成部分の現代語訳です。
--------------------
…この速秋津日子神、速秋津比売神の二柱の神が、
それぞれ河と海を分担して生んだ神の名は
沫那芸神(アワナギ)、つぎに沫那美神(アワナミ)、
つぎに頬那芸神(ツラナギ)、つぎに頬那美神(ツラナミ)、
つぎに天之分水神(アメノミクマリ)、つぎに国之水分神(クニノミクマリ)、
つぎに天之久比箸母智神(アメノクヒザモチ)、
つぎに国之久比箸母智神(クニノクヒザモチ)である。
---------------------
なお、これらの神々をざっくりと説明しますと…、
速秋津日子神と速秋津比売神は、河口を司る神。
沫那芸神と沫那美神、また頬那芸神と頬那美神は、水流を司る神。
天之分水神と国之水分神は、水の配分を司る神。
天之久比箸母智神と国之久比箸母智神は、水を汲む器(ヒサゴ)の神。
…です。

それにしても頬那芸神のことは古事記でとっくの昔に掲載済みだったのに、
今までどうして誰も指摘しなかったんでしょう?(僕もですがw)。

いえ、神社と神さまのことはそれだけ奥が深いんです。
…ということにしておきましょう(汗)。

いい勉強になりました。


追記(H31.2.15)
都賀那岐神社のホームページ(甚だ簡単ではございますが)できました!
どうぞご覧くださいませ。
https://tsuganakijinja.wixsite.com/tsuganaki-jinja





早朝5時ごろ、伊那佐山・都賀那伎神社一の鳥居にて

2008年06月28日 | 伊那佐山
早朝の伊那佐山への登拝をはじめてから
ようやく自分なりの登山ペースがつかめてきました。
やっぱり八咫烏神社から伊那佐山の往復は
1時間半は見込んでおかないとしんどいみたいですね。

ところで「早起きは三文の徳」とは良くいったもので
朝早く歩くことでいろいろと発見がありました。

たとえば
農家の方々が本当に朝早くから働いてはるということ。
シカをはじめ、いろいろな鳥や小動物と出会えること。
実は近くに滝のような水場があったこと。
そして
うす暗い山の中は怖いようでいて、
しかしある種の「気」のようなものに満ち満ちていて、
その中で「自分も自然の一部にすぎない」のだと素直に感じられること。
…などなど。

なかなか、しんどくはあるのですが
早朝登山、けっこうイイ感じです。

伊那佐山レポート 其の五

2007年05月02日 | 伊那佐山
神社にお参りすると
つくづく感じることですが
なんであの空間って、
あんなに居心地がいいんだろう
と感じたことはありませんか。

伊那佐山の山頂に鎮座する
都賀那岐神社もそのひとつです。
(写真が悪くて、いまひとつ
 伝わらないかもしれませんが…)

べつに境内に
なにがあるってわけではないんです。
どちらかといえば
古びており、寂れているのですが
なんだか、いいんです。
「ずっとここにいたい」
と思ってしまうほどです。

考えてみれば
神さんがお住まいの場所なんだから
当然っていえば、まあ当然でしたね。

春の大祭は
写真の奥にちらっとみえる
神明造の本殿の前に
山路をはじめとする
旧伊那佐村の大字の方々と
その子どもたちや
若い衆が寄り合い
神饌や玉串を捧げます。
そして祭りの後は
この場にブルーシーツを敷いて
ささやかな直会がおこなわれます。
簡素で素朴ですが
それゆえに心あたたまる
いいお祭りです。

それにしても
年に1回とはいえ
ムラの老若男女が
神さんのために
山頂におもむくなんて
すごいと思いませんか。
なんて素敵なんだろう。
なんて美しいんだろう。

今年も
いいお日柄のもと
とどこおりなく
斎行できました。

感謝です。



(※神社のご由緒は
  検索すると思いのほか
  たくさん見つけられましたので、
  ここでは省略させていただきました)

伊那佐山レポート 其の四

2007年05月02日 | 伊那佐山
断崖を通り過ぎ、
もうひとがんばり上っていくと頂上です。
でも、その前に
「猿岩展望台」という看板を発見したので
当然、そちらへ歩を進めます。
看板から歩くこと
およそ50メートルほどのところに
それはありました。
思っていたより、ひかえめな感じ?。
「猿岩」ってネーミングから
てっきり「孫悟空」の石の牢獄
みたいな感じかと思ってました。
しかし、ここからの眺めはなかなかです。
伊那佐の里から吉野方面を一望できます。

昔々、八咫烏が
熊野灘から吉野を経由して
神武さんを導き
この道を上ってきたのかもしれませんね。

古事記の真偽について
あれこれ言うひとは
昔からたくさんおられますが
ウソだホントだと、やいやい言うよりも
こうやって言い伝えの土地におもむいて
想像の翼をひろげ、
そして、あえて飛んでみるほうが
単純に楽しいし、世界がひろがるんじゃないか
と、僕は思っています。

自分で言うのもなんですが
これってたぶん
「神主らしからぬ」発想なのかもしれません。
でも、なんだか
とても大事なことのようにも思っています。


伊那佐山レポート 其の参

2007年04月30日 | 伊那佐山
山中の鳥居をくぐり
すこしきつめの坂を上っていくと
岩肌もあらわになっている場所があります。
こういうものを目の当たりにすると
「ああ、山ってチリが積もったものじゃないんだ!」
などと妙な納得をしてしまいます。
素のままの自然の姿。
でも、この崖を見て
僕は何故か「お城の石垣」を連想してしまいました。

ここ伊那佐山は
古事記のなかで
神武天皇が東征の際、
在地の「まつろはぬ」者たちとの
戦いに疲れ、一時休止し
味方の援護を待った所、とされています。
(※↑上記には若干、
   個人的な「意訳」が混じっています)

日本書紀にあらわされているところの
「菟田の高城(タカギ)」は
神武さんが大和入りの攻略のため
宇陀の地に築いたとされる基地で
宇陀市菟田野区の桜実神社が
そのひとつとして有名ですが
ここにもそれに近いものが作られていたのかも?

・・・などと勝手ながら想像してしまいました。