八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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「足もとから感じる冬」

2007年12月28日 | つれづれ
今年の冬はそんなに寒くない。
それでも時々、思い出したかのように
寒くなる朝がある。

先日の朝、ひさびさに霜が降った。
いつものように日供のために
境内にむかうと、なんだかいつもと違う感覚。

ん?玉砂利が固い?

僕がご奉仕させていただいている神社は
普段は歩くのに少し足をとられるくらい
玉砂利が厚いのだが
その朝は寒さで玉砂利が凍っていたのだ。

「足もとから感じる冬」

ん~、なんか広告のコピーみたいだ。

素晴らしきムラ社会。

2007年12月11日 | つれづれ
宇陀の里に越してきてから
気が付いたら早いもので1年が経過していた。
やっぱり田舎はいい、と思う今日この頃だ。

この間は休日の早朝から
この辺りで「みちつくり」とか
「すなあげ」とか呼ばれている
農道の整備の作業を
各戸から1名出て行って作業をした。
この日は田んぼの用水路にたまった砂をかき出す作業
すなわち「すなあげ」がメインだった。
意外と短時間ですんなりと終わった。

昼からは「ムラカンジョ」と呼ばれる
村の会計を決める寄り合い。
「ムラカンジョ」とは、
つまり「村勘定」ということなんだろう(たぶん)。
「ムラカンジョ」は区長さんの自宅でおこなわれ
これが終わりしだい料理が出てきて
ムラ人たちの懇親会みたいな場になる。

こういうムラの行事、僕は嫌いではない。
いや、どちらかというと好きだ。

ムラ社会は、確かにめんどくさいことが無いわけではない。
だけど、ご近所に住んでいる人と顔と顔を合わせ
同じ作業をしたり飲み食いしたりする社会は、とても健全だ。
そして、単純に楽しい。

こんなふうに
考えられるようになったということは
僕もちょっとは大人になった
ということかもしれない。

十津川村の「防風林」

2007年12月11日 | つれづれ
十津川村、五百瀬集落の「防風林」です。

以前「山の郵便配達」という
中国映画を見たことがあるのですが
この十津川村五百瀬は、
まるでその映画のような土地柄。
まさに山あいの集落でした。

車道がつながっているこちら側から
さら吊り橋を渡り、
谷の向かい側の集落へと入っていきます。
車は入れない山道を上りつめていくと
この大木がありました。
この地域は、
「超」過疎地域なのですが、
今でも昔とかわらぬ生活を送る家が数戸あります。
残念ながら、
この「防風林」の持ち主の家は絶えてしまい
今では住居跡の石垣とお墓が残されているのみです。

しかし、
この「防風林」を次代に残そうと
地元の方々が世話をしているらしく、
この大木の周辺は間伐などの手入れが施されていて
なかなかの山奥なのに
裏淋しさのようなものは感じられませんでした。

人は自然に、自然は人に生かし生かされている
ということなのかもしれません。

気になるお宮さん<将軍神社>

2007年12月02日 | つれづれ
営業最中、車を走らせていると
どうしても神社が目にとまってしまいます。
「週刊ねぎ」のサガといったところでしょうか。
そんなときは、よほど忙しいとき以外
まあ、ほんの5分ほどのことですし
なるべく、お参りさせていただくことにしています。
やっぱ、神主たるもの地元のお宮さんには
精通しておかんとね!(←言い訳)

先日は宇陀市と吉野町の間にある
「色生」という集落のお宮さんにお参りしました。
この神社には神社名をしるす石碑がなく
また地図に載っていることもまれだったため
僕の中では長いこと「謎」でしたが
この度、晴れて参拝をさせていただくことができました。
ちなみに神社名や御由緒は、
ネット検索で「将軍神社」というお宮さんだと知りました。
つくづく便利な世の中ですなあ。

境内はこんもりとした丘の森のなかにあります。
一の鳥居をくぐりニの鳥居のむこうには赤いモミジがお出迎え。
そのまたむこうにはイチョウの落ち葉が黄色いジュータンのよう。
あまりの美しさに立ちつくしてしまいました。
「なんか、もったいない」
と思い、イチョウの葉っぱの上は通らずに
ちょっと大回りして参拝しました。

きっと地元の人々に大事にされているのでしょう。
そう広くはない空間でしたが
境内は、すがすがしい空気で満ちていました。

ああ、来て良かった。