八咫烏神社 ときどき社務の備忘録

旧大和國宇陀郡伊那佐村鎮座・八咫烏神社から発信。
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黄金の言葉

2008年06月03日 | つれづれ
「わしらはな『神主になった』んやない。
 『神さんに神主にしていただいた』んやで」

「会社の仕事と神主、両方するのはたいへんやな。
 なかなか神社のご奉仕がままならんやろうけど、
 仕事はしっかりやり。
 どっちもやる時しっかりやってたら、
 神さんは見てくれてはる」

「神さまにご奉仕していて
 自分の中で思うことがあります。
 それは神社にこもっておられるものというのは、
 おそらく神さまだけじゃないということです。
 これを歴代に何百年あるいは数千年、
 必死で守ってきた方々の気持ちや、
 厳粛にお祭りをされてきた方々の
 気持ちもこもっていますから、
 いいかげんなことできません」

「神主にとって大事なのは祭祀の厳修。
 しかし続けられないことはしないほうがいい。
 まずは出来ることから少しずつ、
 あせらないことですよ」


…つくづく「その道のことは、その道の先達に聞くべき」
と思いました。
最近、この道の先輩方と話をする機会が何度かあって、
そのたびに目からウロコが落ちまくりの今日この頃です。

上記の言葉は、これまでに僕と同じように
いわゆる「週刊ねぎ」※としてご活躍の後
それぞれ専任の神職として
ご奉仕されている方々の「金言」。

皆さん
「若造に助言してやろう」って感じじゃなく
ごく自然に、ごくわかりやすく
さらりと語っていただきました。

なんていうか、とても有り難い。

すこし迷いかけていた僕の目の前の霧が
サーっと晴れていくようでした。





※「週刊ねぎ」は僕が(勝手に)作った造語です。
 「禰宜(ねぎ)」とは広い意味で神社に奉仕する人のこと。
  神職以外に職をもち、ご奉仕はもっぱら休日
  という日々をおくる人のことを意味しています。