原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

群れないヤツ!

2013年04月02日 08時06分41秒 | 社会・文化

 

ネットで波乗りをしていると、興味深い(?)記事に出会う。『名古屋港水族館のマイワシがたるんでいるので天敵のクロマグロを入れた』(朝日デジタル)。これは署名の記事である。マイワシの売り物である集団トルネードから外れて、水槽の底をのんびり泳ぐヤツがいたらしい。これは水槽に慣れて気が緩んだ証拠と判断された。そこで危機感をあおるためのクロマグロの導入となった。この記事を書いた記者の真意がどこにあるのかよく分からない。たぶん水族館のスタッフの言うままに記事にしたのであろう。誤解を生むような、ミスリードが盛り込まれた記事だと思う。

 

水族館側としてはマイワシが集合してトルネード行動するのが売り物であったのだろう。数匹でも群れから外れるマイワシがいてはメンツが立たなかったに違いない。そこで天敵を入れるという話となる。だが、水族館側にも記者にも大きな思い違いがある。天敵から身を守るために集団行動をすると決めつけているが、魚の研究者に言わせると、これは確かなことではない。集まる理由は不明なのだ。まして小さな魚が集まって大きな個体に見せて天敵を威嚇するという話など全く真実ではない。マイワシの集団を見て逃げ出すクロマグロなどいない。むしろ集団の中に突っ込んで手当たり次第に食べる。かっこうの目標となっている。かといって、ばらばらの行動が彼らを守るかと言えば、そうとも言えない。そこが判断を狂わせる。いずれにしても生存率がどちらがいいかについては不明なのだ。

ではなぜマイワシは集団的行動をするのだろうか。通説的に言われているのは、集団でいる方が安心感があるための、いわば本能的な行動。特に弱く小さな魚にとって集団行動が一番頼りになる。考えることなく行動するには一番手っ取り早いからだ。あくまでも人間が考えた彼らの行動評価にすぎないが、そんなところに落ち着く話だろう。いずれにしても定かではない。

 

問題なのはこの記事のもたらす影響だ。まず、集団から離れたものをダメ扱いにしている。群れないことの価値を認めていない。ここが問題なのだ。群れから離れてはだめなんですよ、という意識がミエミエ。これは人間社会に対するミスリードだ。同調圧力や集団圧力(自らの所属する集団の意見や行動に対して、同調を迫る圧力)に通じるもの。みんなで行動すれば怖くないを、押し進めているかのようだ。ここでは集団から離れる個人の勇気や考え方を掘り下げなければいけないところ。そうすることによって、初めてこの水族館の記事が有効になる。みんなで行動しましょうという同調圧力は、社会秩序を守る道の一つには違いないが、それがすべてではない。だから群れない価値をもう少し追求し、認識すべき工夫がジャーナリストとして欲しかったと思う。ま、デジタル版の記事でそこまで求めるのは無理とは思うが。どうせつまらない記事(役に立たないという意味)なんだから面白く(役立つように)してほしいものだ。

 

危機管理における集団同調性(多数派同調)バイアスまで展開してくれればベストであった。一人でいる時は直ぐにできる緊急判断が、集団でいると緊急判断が遅れがちになるというバイアスの心理だ。いい例がある。韓国で起きた地下鉄の火災の際、煙が充満する地下鉄の車内でじっと座ったままの人が多数いた。そのために多数の死者を出した。これが集団同調性バイアスのためと言われている。起こるはずがないと思った事故に遭遇した時、周りを見る。周りが静かに座っているのだから問題ないだろうというバイアスのかかった判断が生じるのだ。皆の総意だからという安心感が緊急判断を鈍らせていた。集団同調性バイアスに縛られた結果であった。たかがマイワシの話でここまでするか、と思うかもしれないが、いつ遭遇するかもしれない危機に対する意識は常に必要なはずだ。

 

蛇足ながら、集団の知恵(集団知)まで話を膨らませよう。これはもう100年も前から研究されていることだが、集団でまとめる意見は時間がたつほど低下していくという統計に基づくもの。多様性のある意見が集団でまとめられるほど平均化して、つまらなくなり、時には真実から離れてしまうことがある、と統計が示している。専門家は集団知が発揮されるためには、集団の構成員は多様な意見を持ち、各自が自力で到達できる力を持つような条件を伴わなければ、集団の知性が劣化していくとまで語っている。これは地球上で幾度か起きた金融バブルが証明している。皆の総意というのは、時間が経過するにほど間違っていくというリスクがあることを知るべきなのである。

 

マスメディアによる世論調査というものがある。彼らはこれを社会にフィードバックする。これは我々の判断を狭い範囲に絞り込む作用をする。皆がそう思っているのか、というように。間違った使い方をすると、とんでもないことになる可能性さえある。戦前、鬼畜米英とあじったのはマスメディアであった。地上の楽園と北朝鮮を持ち上げたのはマスメディアであった。国民の総意という世論を作り上げていた。世論操作を含めて考えると、極めて危険だ。世論が一つとなって流れている時ほど、所詮世論よ、という冷めた心が大切になるということだ。

 

「群れない価値」というものが少しは理解されてきただろうか。つまり群れないことは時に重要なポイントとなる。そうするためにはかなりの勇気と的確な判断が不可欠となる。「群れないでいる」ということは、そういうポジションだ。ただ、群れない人種にも二つのタイプがある。社会性がないという点では共通しているのだが、社会(集団)からつまはじきにされるタイプと社会(集団)から自ら離れて生きられるタイプがある。二つのうちのどちらにその価値があるか、言うまでもない。

 

水族館の中で群れから外れたマイワシは、そんな価値を持つヤツだったと想像している。見世物のためにトルネードなんかやってられるか、という反逆だけではなかった、のではと。ところでクロマグロを入れた効果はどのくらいあったのだろうか?この記事のフォローは、いまのところ一切ない。


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3 コメント

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上から目線! (numapy)
2013-04-02 09:14:46
おっしゃることはイチイチ的確でその通りだと思います。
この記事は、きっと埋め草的なモノで読者の気を惹こうと
思っただけかもしれません。ネタ探しに困った記者が
よくやる手です。記者は鼻をヒクヒクさせてることでしょう。
しかし、実は極めて奥深い真理を含んでることに気がつかなかった。デスクも水族館側もそこを見誤った。結果、知性が疑われる掲載になってしまった。
この記事には、人間の傲慢性が溢れかえってます。
こういうのが今のマスコミ、メディアだと思われると
ちとナサケナイですね。
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一人になる勇気 (genyajin)
2013-04-02 13:25:10
砂金を求めて一生を費やした人の話にも通じるのですが、群れから離れると言うのはとても勇気がいることであり、ある意味相当の覚悟が要ります。そこまで自分を追い込まなければできないことでもあります。でも今は、そんな苦労をしなくても、いくらでも生きていけます。同調圧力にやすやすと屈しても、問題なく生きられます。そんな安易な世界だからこそ、ほんとうのヒーローが生まれにくくなった気がしてます。
ミスター長嶋とゴジラ松井が国民栄誉賞を受賞するとか。松井はともかく長嶋ミスターは遅かったくらい。彼は真のヒーローです。彼のような野球選手はもう現れないでしょう。あの時代に青春を過ごせたことに感謝しています。今も決して悪くはないですが、やはりあの時代ですよね。我々にとっては。
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後日談 (genyajin)
2013-04-02 14:33:33
ツイッター情報によると、この朝日デジタルの記事は基本的な間違いがあったと報じている。なんでもクロマグロは常時おり、群れから離れたマイワシがいた時もクロマグロは泳いでいたらしい。ガラスにぶつかって傷ついたりするので補充の意味で新たに入れたと言う話がほんとのところ。これは水族館側からの修正情報。特別なクロマグロの導入ではなく通常の作業であったらしい。ただマイワシに緊張感を与えると言うことは水族館側の話としてあったとか(あくまで朝日側の言い訳)。これは付随的な要素で、とくにマイワシに緊張感を持たせるためはなかったというのが真実。いずれにしても記事は正確さに書いていたことは、確かである。
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