世界遺産に認定され多くの人を集める知床半島。この半島を横断してウトロと羅臼を結ぶ道がある(冬季は閉鎖される)。半島のほぼ中央に羅臼岳がそびえ、道はそのすぐ横を通り抜ける。峠には展望台がある。ウトロ側から上ってくると、この峠から海への眺望が開ける。その海には黒く大きな島影が浮かんでいた。国後島であった。驚くほど近い。にもかかわらず、狭い根室海峡は無限の広さを感じさせて島の前に横たわっていた。 . . . 本文を読む
釧路川を渡る幣舞橋を越えるとロータリーがあり、そのすぐそばに急こう配の階段がある。坂の上には幣舞公園や図書館、生涯学習センターなどがある。ちょっと雰囲気のある坂道で、「出世坂」という石の看板があった。大正二年に旧釧路中学校が開設され、この急坂を登る学生の立身出世を願い命名されたという。きっと、こうした名前がついた坂は日本中にあるに違いない。なにしろ日本人は「出世」という言葉が大好きだからである。 . . . 本文を読む
秋の色を求めて川湯まで足を伸ばした。道東の秋は短い。それでもまだ少し早かったようだ。全面的な秋ではなかった。でも緑の中に点在するように姿を見せる秋の色がいじらしく感じる。すぐ近くに迫った厳しい冬を前に、懸命に準備をするようにも見えるからだ。道東に暮らして六年目。ようやく、秋の北海道をじっくり感じた気がする。四季を通じて一番いい季節になのかもしれない。 . . . 本文を読む
野山が衣替えを始めた。秋の色を求めて山に入った。匂うような緑一色から、そこかしこに黄、紅の色が絵具を落としたように存在していた。道東の秋の紅葉は全山が一色に染まることはない。恥ずかしそうにあちこちで顔を見せるだけだ。派手さはないが、それだけに味わいがある。山に染まりきれない異端者のように感じて私は好きだ。 . . . 本文を読む
サンゴ草の季節がやってきた。能取湖の湖畔を赤く染めてサンゴ草が熟するように広がり、見ごろとなる。その光景はオホーツクの海に向かうレッドカーペットのようにも見える。サンゴ草が赤く染まるころから北海道の短い秋が始まる。能取湖畔の卯原内(うばらない)地区では約四万ヘクタールにわたってサンゴ草が群生する。日本一の声がかかる。絶滅危惧種にリストアップされるサンゴ草を眺められる場所は極めて少ないからだ。 . . . 本文を読む
春のブログでも紹介したが、隠れた観光地として人気の神の子池を、夏の終わりに再び尋ねてみた。雪がすっかり消え、うっそうとした原始林の中に浮かび上がる、鮮やかなコバルトグリーン。一段と幻想的な池の風景がそこにあった。すると、透明な水中を走る魚影がある。春には見られなかったオショロコマであった。湧水による波紋と光の反射でその姿をカメラに収めるのに多少苦労をしたがなんとか捉える事が出来た。 . . . 本文を読む
タイトルを見て、「ザ・トーケンズ」をすっと思い出した人は、たぶん私と同年輩か、アメリカンポップスに造詣が深い方。いまの日本では絶滅危惧種に近い少数派であろう。なにしろ1960年頃の歌である。昔話をするようになったなら、人間も終わりという説がある。確かにその通りである。だが、当時は全く分からなかったことが、今になって分かることがある。それを辿ることは決して後ろ向きの話ではないと、思うのだが。 . . . 本文を読む
青い湖を染めるように広がるピンク色。優雅に飛翔する姿のフラミンゴは、自然が造り上げた芸術品にさえ思える。アフリカのケニアのナクル国立公園のフラミンゴは、その群棲地として世界に知られる名所の一つである。ところが、今世紀以降、この湖周辺の環境変化により、フラミンゴの生態にも深刻な変化が生まれている。この優雅な姿が湖から消え去る日がくるかもしれない。地球は着実に弱っている。 . . . 本文を読む
「てふてふ」とは蝶々(ちょうちょう)のこと。そうしましょうが「そうしませう」、今日が「けふ」と表記された時代はこう書かなければ正解とはならなかった。蝶々は実に不思議な飛び方をする。上にひらひら、横にひらひら。決して早くはないが、簡単には捕えられない。その不可思議な飛び方は鳥類とは全く違うもの。はじめてこの虫を見た古代人たちは、特別な思いで眺めていたに違いない。語源を追うとそうした気持ちが見えてくる。 . . . 本文を読む