原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

強制通用力

2014年08月29日 10時08分35秒 | 社会・文化

 

この言葉を聞いて、ピンと来た人はかなり法律用語に強い人。大半の人は何のことだろうと思うだろう。何しろ日常に登場する言葉ではないからだ。私などは強制連行や拉致の類に属する言葉と勘違いした。簡単に意味を言うと(言い方は、全く簡単ではないのだが)、「貨幣において表示された価値で決済の最終手段として認められる効力」という。いわゆる日本銀行が発行する紙幣や硬貨の効力のことであった。実は紙幣は無制限に効力が認めれているが、硬貨は一定限度の強制通用力しか認められていない。司法の世界は何とも理解しがたい常識というか、決まりがあるということなのだが、素人にはチンプンカンプンである。

 

法律では、硬貨をいくら膨大に所有していても支払いには一定の限度額しか使えないと言うことになる。その限度額というのが、額面の20倍まで。同一額面の硬貨が21枚以上ある場合は通用力を失う。例えば、1650円の支払いに対して、10円硬貨15枚と50円硬貨15枚なら同一額面が20枚を超えていないので強制通用力がある。しかし、50円硬貨33枚で支払おうとすると、これは認められない。こんな法律がどんな必要性があって生まれたのかは、専門家ではないので分からないのだが、たぶん昔はその必要性があったのだろうと推測する。現代社会でこれがどれほど役に立つ法律なのかは全く不明。それでも現実にこうした法律が存在するのである。

 

話が飛ぶのだが、先日アメリカのドキュメンタリー番組である事件の結末を知った。1993年にアーカンソー州ウェスト・メンフィスで起きた幼児3人が殺害された事件である。犯人として逮捕された十代の三人は、最初から無罪を主張していたにもかかわらず一人は死刑、二人が無期懲役の判決が下された。その背景には、メディアによる偏向報道と世論の悪魔崇拝による偏見があったとされている。その後、支援者の懸命の努力で、裁判における証言者の嘘や証拠のDNAの違いなどから三人は冤罪ではないかという疑いが強くなる。しかも、真犯人らしき人物(殺害された幼児の一人の義父)さえ浮かびあがる。しかし、一度結審した判決を覆すのが難しい法律がアーカンソー州にはあった。また真犯人を特定する決定的な証拠も時を経てしまっていたのでみつからなかった。そこで法廷が出した結論が司法取引。それは驚くべき内容で、アメリカならではのものだった。犯人とされた三人が、「まず無罪を主張。その後で有罪を認める」というもの。そうすれば10年の執行猶予を与え、すぐに釈放すると言う取引であった。三人は抵抗があったと思うが、刑務所から出られるという魅力に負けて、司法取引に応ずる。逮捕から実に18年を経過した2011年に刑務所からでることができた。これが「ウェスト・メンフィス3(WM3)」と呼ばれている事件である。

三人の有罪は変わらず、したがって新たな犯人の逮捕もない。そういう取引なのだが、死刑は免れ、放免されると言う、名より実を取った三人の行動であった。

もちろん、日本ではこのような司法取引はあり得ない。しかし、法律というものの不可思議な常識を深く実感する事件であった。

 

日本では5年前の2009年から裁判員制度が導入されている。最近となってこの制度による不満というか、ある種の傾向が指摘され始めている。裁判員制度の導入後、判決がスピード化された効果はあるが、概ね従来より重い刑となる傾向があるとされている。つい先日は、裁判員制度導入以来はじめて最高裁で前判決が覆される事態もあった。特に死刑に関わるような重大事件を担当する栽培員の負担が指摘されはじめている。

アメリカの例を見るまでもなく、世論をバックにした判断基準がいつも正確とは限らない。まして複雑な法曹界の常識の中で、一般の常識がどれほど有効なのか、残念ながら疑問に思う。裁判員制度が導入された時、賛成派はこれで世論に沿った判決ができるようになり、狭い法曹界だけに頼っていた判断力が適正となるという意見があった(記憶していることだが)。これは完全に法曹界を否定する意見だ。とても正しいとは思えない。専門家が世論の常識から離れてしまっていることを認めては拙い。まして裁判官や検事、そして弁護士が世論の常識と別のところにあって、いいわけがない。とんでもないことでもある。素人の意見を尊重するなどというのは、その意味で本末転倒だと思う。

 

強制通用力が現実であろうとなかろうと、社会生活に支障がなければそのままでいいし、支障があれば変えていく柔軟さを持てばいい。裁判員制度も見直さなければならならないところは、勇気を持って変えればいいだけ。そろそろ、そんな時期に来ているような気がする。

WM3がメディアの偏向報道と世論の偏見の中で生まれたことを思うと、いわゆる従軍慰安婦問題とイメージがダブる。あれはまさに、朝日新聞の偏向プロパガンダと自虐史観という偏見に満ちた世論の中で構築されていたものだった。


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2 コメント

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勉強になりました! (numapy)
2014-08-29 10:40:57
共生通用力、まったく知りませんでした。
大変勉強になりました。確かに明治に作られた法律が
今の時代に幅を利かせてるものが多いようですね。
郵便法の第3種郵便物など、BPのビジネスのの根幹となる法律も
明治のものですね。
法律と言うものは一旦成立するとなかなか変更ができない。
そういえば、裁判員裁判も問題大ありですが、司法も最近おかしい。
独立していないと思われる判決が結構多いですね。
その意味で1993年大阪高裁で参院定数訴訟で違憲判決を言い渡した
元裁判官の井戸謙一氏の生き様は素晴らしいと思いました。
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人間が人間を裁く難しさ (genyajin)
2014-08-30 09:13:30
絶対正義がないように、絶対的に正しい判決というのも難しいと思います。それでも判決という結果を出さなければならない裁判官というのは大変な仕事だと思います。だが、それはあくまでプロとしての仕事なのだから、プロとしての理念で達成すればいいと思います。
裁判員制度のようなものは、プロの責任や負担を一般人にも負わせるような仕組みに感じています。
だから当初から反対でした。いまもし、裁判員に選定されたらと思うと、かなり憂鬱に感じます。
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