原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ラグビーは脱純血主義なのか。

2015年10月09日 10時45分52秒 | スポーツ
「桜の勇者」ラグビージャパンの注目が高まるとともに、なにかと批判じみた声も聞こえ出す。何でも反日を持ち出すお隣の国などはさっそく「日本は純血脱皮」とか「アジアのチームと言えるのか」と批判の報道が飛び交う。根本的に的外れなのだが、それに同調する日本人もいるのが煩わしい。いい機会だから純血主義というものを少し考えてみる必要があるようだ。アラブの難民受け入れ問題が話題となる昨今でもある。スポーツという観点から国体というものを考えてみたい。

ラグビーの日本代表の31人のうち、10人がオーストラリア、ニュージーランド、トンガなどの出身者(うち5人が日本に帰化している)である。しかしこれは国際条項に違反しているわけではない。出身国で代表選手の経歴がなく、3年以上居住した国の代表になれる、という規則に準じた日本代表なのである。身内の三代内にその国の出身者がいても代表の資格はある。これが国際ルール規範なのである。とくにラグビー発祥の地であるイギリスはかつて世界中に植民地を持っていた。その地域から優秀な選手をイギリス代表とする意図もあって、かなり前からこうしたルールができていた。ラグビー界では至極当たり前のルールなのである。
では、資金を使って世界中から選手を集めてオリンピックに参加させ、メダルを狙うのはどうなのか、という意見もある。事実それを実行しているアラブの国もある。だが、今回の日本ラグビーとアラブ諸国のオリンピック戦略との間には大きな違いがある。選手の心にあるモチベーションが全く違うからだ。

日本チームの中にサモア出身の選手がいる。彼は実はサモアの代表にも選ばれていた。だが彼は日本の代表になることを選択した(ランクはサモアの方が上)。「自分は日本のラグビーに育てられた。だから日本に恩返しがしたい」。彼が日本対サモア戦をどのような気持ちで臨んだか。想像するだけで胸が熱くなる。彼をメダルやお金のために競技する人と一緒に語ることはできない。日本の代表は、心から君が代を歌い、日の丸に敬意を表している。ちなみにラグビーのW杯の優勝に賞金はない(スポンサーからの援助はある)。名誉だけである。お金のためにプレーする人たちではないことも付け加えたい。
プレーにも表れている。スピードのある展開力と果てしないほどの粘りとスタミナ。肉体的に劣る日本チームの特徴的な戦略でもある。これが鮮やかに発揮されたのが南アフリカ戦の終了間際の攻撃であった。もっとも日本らしさがでた試合であり、それを支えたのが彼ら外国出身の選手だった。強力なフィジカルを武器とする他の国ではありえなかった展開だったと思っている。そういう日本ラグビーを理解している彼らだからこそ、日本を選んだとも言える。少し褒めすぎの感はあるが、そう違ってはいない、と思う。彼らは毎日のように日の丸のもとで君が代を歌うという話も聞いた。できすぎた話のように聞こえるが、日本に対するモチベーションは伝わる。ある意味での日本人化が成立していると、言えるのではないだろうか。ここに脱純血主義のポイントがある。
国技とも言える大相撲はモンゴル勢に席巻されている。ここ数年、日本人出身力士の優勝がない。アメリカはもちろんロシアやギリシャなどのいわゆる外人力士も活躍している。国技がこれでいいのかという不安さえ起る。日本人よ、もっと頑張れという気持ちもわかるが、だからと言って外人力士をそのまま否定する気にはなれない。なぜなら、彼らは極めて日本人的だからだ。インタビューにはきちんとした日本語で答える。母国語で応対する外人力士など見たことがない。相撲という日本独特の習慣になじみ、彼らによって変化したという話も聞かない。ちゃんこ料理はあるし、入門当時の下積み苦労も全く昔通り。関取とフンドシ担ぎの差は歴然とある。宗教的儀式もきちんと取り行われる。この日本の伝統文化をきちんと受け止めて外国出身力士が存在している。むしろ、この日本の伝統になじめない日本人の方が多い。だから力士希望者が激減しているのだ。これからも肌の色が違う力士が増える可能性がある。しかし、決定的に無理な場合もある。髷が結えない力士は許されないからだ。したがって黒人力士はどんなに強くても髷が結えなければ大相撲の力士にはなれない。そのルールは必ず守られるだろう。外国人といえども、より日本的な風習になじむことができたなら、それで成立する。これも日本人化の典型である。

今年は高校野球が盛り上がった。その中にアフリカ系日本人高校生の活躍があった。陸上競技の世界大会では、やはりアフリカ系の血をひく高校生が予選突破という快挙をやってのけた。日本で生まれ日本で育った彼らが日本という国をこれから引っ張っていくことは間違いない。ただ血だけの問題で日本を語るのはもはや意味をなさなくなっているような気がする。日本文化や日本の風習がきちんと維持され、日本という国体が守られるなら、それでいいのではないだろうか。

しかしながら、難民受け入れ問題はちょっと違う。難民という不幸な事態には同情するが、すべての国が救済しなければならないという風潮には抵抗がある。外国人を受け入れているヨーロッパ各国の諸問題をもう少し分析すべきだ。難民を受け入れた国のほとんどで摩擦が起きている。それがそのまま国情不安につながっているという現実を無視していいわけがない。宗教や文化が違うということは、それだけで大きな問題を生むという事実をもう少し認識すべきであろう。やはり難民を生み出す国の問題を解決することが先。難民の受け入れにはどこまでも慎重であるべきだ。帰化して国会議員になって、自分の出身母国を優先する輩が闊歩する日本にしてはならない。
日本人となるなら、日本ラグビーの代表のようにきちんとした日本人となることを前提にしてほしいものだ。

*10日に行われるスコットラン対サモア戦の結果次第で、12日の日本対アメリカ戦が重要となる。ベスト8は難しいとは思うが、やはり祈りたい。

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