原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ジョンもヨーコも嫌いだった。

2010年12月07日 09時38分33秒 | 社会・文化
ビートルズは大好きだったけど、なぜかジョン・レノンはあまり好きになれなかった。オノ・ヨーコも同じように嫌いだった。ビートルズの解散原因として、ポールとジョン、ポールとヨーコの確執などの報道が影響していたように思う。しかし、解散後に出したジョンの「イマジン」を聞き、やっぱりいいなと思い。オノ・ヨーコのその後の活動(ジョンが死んだあと)を見ながら、二人になぜあんなに拒否反応があったのだろうか、と不思議に感じていた。ごく最近となって、その理由をようやく理解したのである。

ビートルズの解散は、ポールとジョンの決裂が最大の原因で、その影にオノ・ヨーコがいたことであったと、多くのファン(少なくても私は)は理解していた。事実、ジョンのポールに対する攻撃は、その後とどまることを知らなかった。解散の原因を裏付けていたように思っていた。その後、これは二人だけの問題ではなく、むしろポールとジョージの間柄に問題があって、それにジョンが同調していたというのが本当であったらしい。むしろ、ポールに問題があったといってもいいだろう。事実というのはなかなか伝わらないものだ。
だがオノ・ヨーコがどうしてからむのか、それは謎のままであったように思う。ただ芸術家としてかなり奇抜な行動をしていたことが鮮烈に残り、妙な人という印象を持っていた。そこにも要因があったと思う。
解散後しばらくして、ジョンはヨーコと子供連れて日本によく来ている。軽井沢や箱根でくつろぐ写真が残されている。そんな写真を見ると、いかにも穏やかで幸せそうな家族の様子がみてとれる。あの過激なパフォーマンスで世間を騒がせていた二人とは全く違う姿がそこにあった。自分の中に住みついた二人に対する拒否反応がかなり薄まっていたことを感じていた。

2000年を過ぎてからであった。ビートルズ特集がたしかBSで放送された。何回かに分けられた放送の中で、はじめて知った事実があった。それは解散後のビートルズにスポットをあてる中で、ジョンとヨーコに対するマスメディアの暗黙の了解があったということである。それは、オノ・ヨーコをできるだけ悪者に仕立て上げる。悪いイメージを強調しようということであった。そのことにより、よりビートルズの神話性を高めるという、まさに意識的な偏向報道がなされていたというのである。当時に関わっていたジャーナリストが告白していた。その方が売りやすかったとも語っていた。新聞の売り上げ部数をあげる、視聴率をあげるという商業主義が根底にあった。
そうした動きを察したオノ・ヨーコはもう表に出ることをやめようと決心する。しかし、それを許さなかったのはジョン・レノンであった。メディアに徹底的に逆らおうというのが彼の意思であった。ジョン・レノンらしい決意でもあった。二人とメディアの間に流れるこうした違和感がこちらにも伝わっていたと思う。ポールに対する異常と思える攻撃もまた、ジョン流のメディア対策でもあった。


いまさらながら、メディアの持っている魔力のような力を感じざるを得ない。一つの意思でイメージを操作できるのである。少し前になるが、自民党のあるベテラン議員のことを思い出す。あまり評判はよろしくないが、党内での権力はかなりあった。この議員の高笑いの映像がある時、事あるごとにテレビで流れた。時代劇の悪代官が笑う姿を彷彿とさせるその映像はかなり印象的であった。私はもともと嫌いな議員であったので特別に影響はなかったが、この効果は次の選挙で生かされる。見事にその議員は落選したのである。自民党衰退の始まりとなった。映像が残した効果であったと私は理解している。

テレビの持つ映像はやり方一つで、世論を操作できるということでもある。とくにすべてのテレビ局が横並びで同じニュースを流し続ける時は注意が必要だ。テレビ側に操作の意識はなくても、自然に一つの方向に向かってしまう可能性を生む。冷静な判断が鈍る要因を作っている。
一部の発言を切り取るだけでも印象が全く逆になることもある。表情一つでも逆転できる。こうしたことをテレビ局は時間が限られているから、全部を見せることはできないという言い訳をする。

ただ、テレビを見るしかない我々はいつの間にか、だまされている。ジョン・レノンの話を聞きながら、いつの間にかメディアの思惑に乗せられていた自分をしった。嫌だなと思ってから、長い年月がたってしまったことを、少し残念に思う。もっと早く気付くべきだったと。
あらためてジョン・レノンを聞いた。昔とは少し違って聞こえた。

明日、12月8日(現地は7日になるのかな)はジョン・レノンの30回目の命日となる。あの殺戮から多くの時が流れた。振り返れば69年前のこの日、真珠湾攻撃が行われ、太平洋戦争(日米開戦)へと突き進んだ日でもあった。この二つとも、忘れてはならない衝撃の事件であり、歴史を変えた事件であった。だが、多くの人の記憶からどんどん消滅しているような気がしてならない。

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6 コメント

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何を信じればいいのか? (温泉人)
2010-12-07 16:22:45
今年何回かオノ・ヨーコをテレビで見ました、私も昔は良い印象を持っていなくて、日本の女の人がみんなこうだと思われたくないなとか、でも今年見た時は、朴訥と話し照れ屋の感じがもしかしてこの人、「気のいいおばさん」なのかもと思ってしまいました、でも昔は裏でこういう情報操作が行われていたんですね、もっと、真っ直ぐな情報をその時知りえていたら・・と思うと、その時代は2度と戻って来ない訳ですから残念としか言いようがないですね、私達はいったい情報の何を信じればいいのか、感性を磨いて、「自分の勘」で仕分けするしかないのでしょうか、イマジン大好きです。
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結局自分ではないでしょうか。 (原野人)
2010-12-08 08:27:21
温泉人さん、こんにちは!

まったくの私見ですが、現在のマスコミ(過去もそうですが)は残念ながら全面的な信用はできません。温泉人さんが言うとおり、自分の勘を磨くしかないように思います。でも磨く方法はたくさんあります。情報をたくさん集めることもその一つです。その中からチョイスしていくうちに、磨かれると思います。途中、いくらかの間違いや失敗があってもいいじゃないですか。それが軌跡となって自分を作れると思います。
また、たくさんの情報の中に、輝くようなダイヤモンドもあります。それを見つける喜びも、うまれます。なんて、分かっているようなことを述べておりますが、当方もまた、迷いと混乱の中にいることも確かです。これでいいとは思いませんが、ある意味これもまた人生かな。オソマツですが!
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レノン家の付き人 (numapy)
2010-12-08 16:15:12
メディア論とは違ってしまいますが、5年間ほどレノン家の付き人兼執事子守みたいな存在だった友人が居ます。カメラマン志望でアメリカにわたり、いつの間にかレノン家に入り込んだようです。
彼の狙いはレノン家の日常生活のスナップでした。
後々の出版も了解をとっていたようです。
日本にも同行してます。でもレノンの死後、オノ・ヨーコにはその話は拒否されたようです。某大手出版社との間で進んでた写真集はオジャンになりました。「俺の5年間はなんだったんだろう」という彼の憔悴した顔を思い出してます。、
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なぜ拒否されたのでしょうか? (原野人)
2010-12-08 17:10:59
やはりジョン・レノンの死と関係があるのかな。
世の中思い通りにいかなものですが、それはちょっとですね。そうなる何かがあったのでしょうが、これからまたチャンスがあるような気がします。そうした方が熟成することもありますから。
今日は寒いです。東京帰りには辛いのでは。南国育ちの当方も震えてます。
酒で温まります。
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12月8日 (吾亦紅)
2010-12-10 18:47:09
忘れてはいませんよ。自分の周りの友人はジョンより真珠湾攻撃の方を良く記憶しています。自分はビートルズも好きですがあの日を境に日本は変っていったような気がします。イマジン、大好きです。昔、読んだ本で若くして癌で亡くなった大学生がいました。葬送曲はビートルズでした。原野人さんは余程、今のマスコミを含めて新聞報道等に不信感をお持ちのようですがそんなに捨てたものでもないと自分は思っています。テレビは時間代わり、新聞も時々はダイヤモンドの輝きみたいな気持ちにさせてくれる時もありますよ。気持ちのもちようです。ちなみに自分もジョンとヨーコは嫌いでした。今はヨーコの方が少し嫌いです。亡くなった人の方が良くみえるものです。次のブログも楽しみにしています。
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すべてを否定しているわけでは、 (原野人)
2010-12-10 20:16:52
吾亦紅さん、こんばんは!

私のマスメディアに対する気持ちはかなり個人的なものです。でもすべてを否定しているわけではありません。ただ慎重に精査しているということです。そのうえで、判断しているつもりです。
吾亦紅さんの周辺はいいですね。真珠湾の方を記憶しているなんて、なかなかです。12月8日の新聞を見ていませんが、たぶん真珠湾のことは掲載されていなかったのでは。たぶんですが、ジョン・レノンのことはあったのでは。メディアはそんなもんだと思います。これもいいすぎかな。
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