久しぶりにJRで釧路に向かった。釧網線を走るのはキハ54形気動車。通常は車両一両のみ。座席は二人掛けで、回転せず。車両の中央に向かって座席が並び、中央部のみ向かい合わせとなり、間にテーブルがある。乗り込んだ時、この中央部にしか空いている席がなく、そこに座った。向かいの席にはおばあちゃんが一人。熱心に週刊誌を読んでいた。当初は気づかなかったのだが、ほどなく、おばあちゃんが読んでいるのが漫画であることが分かった。大人向けのコミック誌である。興味があったのでよく見ると「ゴルゴ13」の特集。ビックコミックの増刊号であった。 . . . 本文を読む
どこの国でも善い人がいれば、悪い人もいる。当たり前のことなのだが、いざ直面するたびに、その国のイメージが上がったり下がったり。それほどの事件でなくても、非日常の世界では日常で感じる以上のインパクトがある。異国の空での出来事はだからこそ忘れ難い。旅が面白いのはそんなこととの出会いの連続。だからやめられない。クロアチアは初めての国であった。首都のザブレグは当初から経由だけのつもり。滞在予定は全くなかった。ところがトラブルに遭遇。一泊することになった。予定外の行動はいつも意外性のある出来事を誘う。 . . . 本文を読む
旅の魅力の一つに予期せぬ出会いというのがある。旅のだいご味を知るのはこんな時だ。野付半島はその形からして、予期せぬ出会いを感じさせる。海流に乗って集められた砂が堆積してできた陸地(砂嘴)は、全長28キロの半島を形作っている。左には、野付水道(根室海峡)の海が広がり、右には汽水湖の風連湖が続く。前を見ると地平線と水平線が一つになっていた。他では見ることができない独特の風景がそこにある。海沿いにある漁師の番屋には数多くの鳥が集まっていた。その中にひときわ大きな鳥がいた。黄色いくちばしと逞しい爪を光らせた足が見えた。オジロワシである。 . . . 本文を読む
制度が違う外国ではいくら日本の常識を振りまいても全く役に立たない。一方、言葉や習慣が違っても、見知らぬ人を助ける救世主が必ず現れるものだ。チュニジアの郵便局でこの二つを同時に体験した。23年前のことだが、たぶんこの国のシステムはまだ変わってはいないだろう。この時は2カ月に及ぶ取材旅行中で、チュニジアは途中の国であった。取材資料は膨大となり、未現像のフィルムも山のようになる。ある程度たまると、梱包して航空便で日本に郵送することが決まりであった。 . . . 本文を読む
チュニジアの第三の都市として知られているのがスース。九世紀に建設された街であり、ここの旧市街(メディナ)は世界遺産ともなっている。スースの取材が終わった後、半日の自由時間があった。この時、同行のカメラマンがどうしても行きたい場所があると言い出した。絵ハガキで見たというある場所である。広場のように見える所にゲートと思える建築物があった。モニュメントか遺跡か、よく分からないが美しい建造であった。ホテルで尋ねると、どうやらメディナの中にあるらしい。通訳をつけず二人だけでメディナを目指した。 . . . 本文を読む
昔のジャズナンバーで「チュニジアの夜」というのがあった。1月19日の報道で久しぶりにその名を思い出した。ジャスミン革命と呼ばれる、反政府デモが勃発。その影響で大統領は国外へ逃亡。チュニジアの新しい夜明けが始まったらしい。大統領であったベン・アリは23年間も独裁政治を行っていた。実は、ちょうど23年前、私はチュニジアを訪れている。初めてのイスラム国への入国で、まだ未熟だったせいか、数々のカルチャーショックを受けたことを思い出す。たった一度の訪問であったが、今でも克明に記憶している。 . . . 本文を読む
20年来使っている筆立箱を整理していたら、懐かしいものが目に入った。黒モン族の民族楽器である口琴であった。10年ほど前のものだ。外観はボールペンと同じような形なので、筆立に入れたまま忘れていたらしい。刺繍で飾られた筒と黒い糸、糸の先にはペン型の薄い金具が筒の中に収納されている。金具をとりだし口にあてて先を指ではじくと不思議な音を奏でる。口を動かすことで音が変化する。ビィーンと響く音の彼方で、ベトナムで出会った一人の少女と棚田の風景が蘇って来た。 . . . 本文を読む
道東のJR駅は無人駅が多い。これも営業努力の一つなのか。その中には駅構内のスペースを利用してコーヒー店というか喫茶店というか、小さな休憩所を設けているものもある(レストランもある)。もちろんJRの営業ではない。民間資本が場所をかりてオープンしたものである。
そんなある駅で奇妙な体験というか、不思議な思いに駆られたことがある。場所は残念ながら、明記できない。個人情報の侵害となるかもしれないから。 . . . 本文を読む
記憶というのは不思議なものだ。ふだん全く忘れていても、何かの拍子に一気に思い出したり、突然意味もなく頭に浮かぶこともある。そのくせ、肝心の時になかなか思い出せない、面倒なやつでもある。いや、認知症の話ではない。一般論としての記憶のことである。
もう既に存在していないが、ある古い橋の話が釧路湿原に残っている。
その名は「挽歌橋」という。この橋が記憶の糸を手繰る旅の出発となった。 . . . 本文を読む
久しぶりにJRに乗って塘路に向かった。
秋の日差しは心地よく、湿原の草木が風に靡く姿が目に優しい。
原野は確実に冬支度を始めていた。
枯れ落ちる前の葉たちが、最後のざわめきを発していた。 . . . 本文を読む