原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

黒いキタキツネ、参上!

2013年11月29日 10時14分44秒 | 自然/動植物
  つい先日、北海道の更別村で全身真っ黒のキタキツネが発見された。インターネットに紹介された写真を見た。一見では、犬にも見える。色は真っ黒。しかし、尻尾の形をみると確かにキツネ。なるほどこれは珍しい。キタキツネは何度も写真を撮ったが、こんな色のキツネははじめて。出合った人がちょっぴり羨ましい。帯広市にほど近い場所にある更別村は人口が3千人ほど。どんぐり公園がある静かな場所。ところがこの黒いキツネ、あまり人を怖がらず、人家の近くを悠々と歩いていたというから、驚きである。 . . . 本文を読む

歴史認識

2013年11月26日 17時15分49秒 | 社会・文化
  日本人の歴史認識についてどうも不可思議な思いがずっと続いている。きっかけは、古い記憶。それ以来だから、最近やたらと発言するどこかの女性大統領の影響では決してない。30年以上も前になるが、マイアミで一人の日本人男性にあった。彼は当時アメリカの不法滞在者であった。ビザが切れたまま、すでに20年近くたち、アメリカで子供まで誕生させていた。彼はオートレーサーで世界にその名を知られた男でもあった。今では誰もその名前や人柄を思い出す人はいない。だが、この男性をモデルに大藪春彦が「汚れた英雄」という小説を書き、角川が映画化した。ひょっとするとそこから思い出す人がいるかもしれない。男の名前は「伊藤史郎」。彼の生き様は歴史のなかで光と影が交錯していた。 . . . 本文を読む

道東では日常ですが、それがなにか!

2013年11月22日 10時35分53秒 | 地域/北海道
  今年6月の道議会でヒグマの生息数調査が公表された。正式な生息数の調査が12年ぶりというのも驚きだが(何ともぬるい行政)、その前回調査の2倍の生息数に増加していたのである。あくまで推定生息数だが2244頭~6476頭。ここ数年目撃情報が頻繁に報じられていたが、個体数が増えたなら当然のことであった。しかも地区別にみると、道東・宗谷地域では1153頭~3386頭となる。どうやら全道のヒグマの半分以上がこの地域に集中しているらしい。知床半島周辺はことに多いとか。道東に生活する我々にはあまり穏やかな情報ではない。 . . . 本文を読む

自己治癒力

2013年11月19日 10時18分01秒 | 社会・文化
  小学校3年か4年の頃だったと思う。虫歯の痛みで泣きわめいていたことがある。当時、私の家は食堂をしていて通りすがりの人が何人か店で食事をしていた。その中の一人が「坊や、こっちにおいで」と呼んだ。「いまからまじないで、その虫歯を痛くなくするよ」と言った。そしてなにやら不思議な言葉を並べ、最後に「エーィ!」と気合の一喝。「これで永遠に痛みはないよ」と、かのおじさんは告げた。 不思議なことに、以来、その虫歯は痛むことはなかった。虫歯は腐りきり、最後は根本しか残らなくなり、結局歯医者で抜歯する。しかし苦しめた痛みは最後までなかった。 . . . 本文を読む

母の青春

2013年11月15日 09時49分14秒 | Weblog
  母が亡くなってから、すでに11年を過ぎた。なぜか最近母のことをよく思い出す。それも大昔のことで、私がまだ3歳か4歳の頃の記憶である。前後の脈略がなく、思い出すのはある一点だけ。その当時の背景を少し言うと、父が病死し、病弱の姉と乳飲み子の私の二人を抱え、母が必死に生きていた時代であった。私が知る限り、母は膨大な苦労を背負って人生を歩んできた人だと思う。そうした母の人生なのに、私がいま思い出すのは、母なりの青春を感じさせる記憶なのである。それもあまりにもささやかで、ホタルの淡い光のような小さな明かりでしかない。それが実にホロ苦い。 . . . 本文を読む

過去からのリクエスト。

2013年11月12日 09時49分24秒 | Weblog
  フェイスブックというSNSをはじめたのは今年の初めから。もともと興味はあまりなかった。すでにブログやツイッターもやっていたので、仕事仲間や知り合いの少人数に限定、近況を知る程度の軽い気持ちではじめてみた。当然、飛び込んでくる名も知らぬ人たちからの友達リクエストはすべて却下していた。そんな時、懐かしい名前の人からリクエストが舞い込んできた。以前、付き合いのあった女性で、交際期間はざっと6年ほどだった。しかしこの10年間、一切の連絡はない。それが突然のリクエストなのである。同姓同名ということもある。フェイスブックを確認した。写真つきで、確かに本人に間違いがない。多少、複雑な思いを感じながら、承認ボタンを押し、コメントまで書き添えた。ところが、これが意外な結末というか、意味不明の状況となってしまった。 . . . 本文を読む

持ち時間

2013年11月08日 10時26分09秒 | Weblog
  時間という概念は不思議なものだ。年齢を重ねるうちにその意味が大きく変わっていく。若い頃、というより子供の頃といったほうが適切か。懸命に時間を追いかけていた。それは大人になろうとする少年が誰でも持つ感情であろう。大人になるに従い、「時」はいつの間にか横に並ぶ存在となっていた。時間(時代)といつも併走していると感じることが、自分らしさだとも思っていた。そんな時がかなり長く続いたように思う。それはまさに傲慢な錯覚でもあった。それに気づいたのはずっと後のこと。そのあとは混乱する自分がいた。あげくには、時間に追いかけられているように感じ始め、時間に追い詰められる日々となったように思う。現在はというと、これまた大きく違った状況となった。 . . . 本文を読む