原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

タンチョウ夫婦の愛は永遠って、ほんとう?

2008年12月09日 10時16分50秒 | 地域/北海道
11月の末頃からタンチョウは餌場がある道東の各地に姿を見せる。冬となると彼らの餌が少なくなり、人間が用意した餌場に集まってくるからだ。多くのタンチョウはその春に誕生した子供を連れてやってくる。彼らは家族単位が集まるグループとなって厳しい冬の寒さをしのぐのである。春直前の2月頃になると、鶴の舞が頻繁に見られる。俗に言う「求愛ダンス」である。この頃から1年前に誕生していた子供とも別れ、夫婦だけとなる。新たな繁殖の時期を迎えるからだ。したがって、求愛ダンスは当然、まだ相手のいない若いタンチョウのものと思っていた。ところが、そうでもない。実は1年だけの夫婦もたくさんいて、新しい相手を見つけるために求愛ダンスを踊るタンチョウもいるのである。永遠の愛を持つというタンチョウの真実が早くも崩れてしまった。自然の摂理とはなかなかに厳しい。

しかし、タンチョウの名誉のために付け加えたい。すべてがそうというわけではない。毎年、同じ相手と暮らすタンチョウもいるのである。鶴居村にある「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュァリ」のネイチャーセンターには、十年来の番い夫婦の写真が飾ってある。毎年、必ず同じ相方とここにやってくる夫婦なのである。もちろん、毎年違う相手を見つけてやってくる強者もたくさんいる。毎年ここでタンチョウを見続けていると、よく分かるというのだ。夫婦げんかして別れてしまうタンチョウもいる。浮気するのもいるらしい。どうやら人間界とあまり変わりないようだ。何かほっとすると同時に、少し残念な気がしてくる。

ただ、子育てに関しては、通説通りのようだ。夫婦で懸命に育てる。子育て中に分かれてしまう夫婦はいないらしい。この点に関しては、自分も含め、人間はタンチョウより駄目なことは確かだ。

夫婦という意味で、有名な鳥仲間には「おしどり」がいる。おしどり夫婦という呼び名があるくらい、仲の良い鳥夫婦である。しかし、このおしどりの愛は一年限り。彼らは子育てが終わると、さっさと別れて新しい相手を探す。この点ではタンチョウの方がはるかに長い愛を育むといえるだろう。自然界の現実とはこのようなものなのである。種の保存という意味では、この方が確実であり、生き残る手段なのだから。

この地球上で、永遠の愛を貫く生物は存在しないのかと思ってしまう。ところが、そうではないことをアフリカで知った。ケニアを旅した時のことである。ある自然動物保護区の中で小さな野生動物と出会った。ガイドの話では「ティグティグ」という名前であるという。体長は5~60センチ。頭に小さな角がある。一見すると鹿のように見える。名前からするとモルモットの一種なのかもしれない。大変臆病な動物で、人影を見るとたちまち藪の中に身を潜める。じっくり眺めることができない。
このティグティグについてガイドは次のような話をしてくれた。彼らは一度夫婦となると、一生添い遂げる。もし何かで相方が死んでしまうと、自分も死んでしまうという。それほど強く結ばれている、という話であった。ガイドは自殺という言葉を使ったが、野生動物が自殺するとは考えられない。食事ができなくなって餓死するというのが本当らしい。絆というより、相手に対する強い依存心のせいなのかもしれない。しかし、夫婦の一方が死ぬと生きていないというのは真実らしい。理由はよく分からないがこうした動物もいるのである。他にも似たような習性をもつ生物が、地球上にはまだきっといると信じたい。

タンチョウ夫婦を見ていると、自然界の中で生きるものの強さと弱さの両極端を感じる。人間もまた自然界の作品の一つであること感じてならない。


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