原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ふ・る・さ・と

2015年10月22日 10時29分43秒 | 社会・文化
先日、中学生時代の同級生から手紙が届いた。初めての便りである。先般に開催された同窓会に出席しなかった私の病に対する見舞いが主たる内容であった。大変ありがたく、感謝の念を持って読ませてもらったことは言うまでもない。手紙では、北海道に対する思いも強く語られていた。北海道を離れて五十年は経過。「故郷」という言葉とともに、同級生の強い思い込みが感じられた。気持ちはよくわかる。その一方で、室生犀星の言葉が浮かんでいた。自分が思う「ふるさと」という概念を反芻する機会となった。

私は子供のころから世界を放浪したいという願望を持っていた。基本的に根なし草のDNAをもっていたからだ。大学時代に日本全国すべてを旅した。卒業後は、世界へという心積もりであった。だが、資金不足と今一つの勇気のなさが、放浪の旅の実現を阻んだ。次に選んだ方法は、仕事に海外の旅を組み込むことであった。その流れでいつの間にか旅を糧に生きる道ができていた。世界は広かった。正確に数えていないが70カ国は訪れただろう。それでもまだ世界の国の三分の一程度しか訪ねていない。
心の中では、自分が暮らすことができる世界(国)を探していた。どこかに必ず自分が落ちつける国があるのではと。仕事柄、その国の歴史や風土、民族、文化を探りながらの旅であったせいかもしれない。自分が暮らしたいという国はなかなか見つからなかった。
帰国するたびに、ほっとする自分を知り「何だ、日本が一番自分に適した国なのか」と、気付いた。言うまでもないが、相当に愚かである。言い換えれば、外国を巡りながら、日本の良さを再確認したという間抜けな話でもある。
これが、北海道へ戻ろうと決心した、大きなきっかけとなった。日本がいいと決めたら、そこは生まれ故郷に戻るのが一番であると、愚かな頭はすぐに反応する。幸い、原稿を書く仕事は場所を選ばない。打ち合わせはメールでやり取り、原稿はメールで送る。仕事の旅へは北海道から直行すればいい。こうして数年が経過する。その後、自然リタイアとなって、そのまま北海道に居ついた。
本格的な日常が北海道で始まったのである。ところが、いろいろな違和感に悩まされる羽目となる。つまり、それまでと違った世界がそこにあった。自分は故郷に戻ってきたという気持ちを持っているのだが、周辺は戻ったというより異分子が飛び込んできた感じなのである。その摩擦は当然と言えば当然のこと。私が高校時代の感覚そのままで故郷に接していたからだ。よくみると周囲に見知った顔はほとんどいない。時代は大きく様変わりしているのに、気づくのが遅れた。昔子供だった人は成長して立派な大人。子供扱いする私を不快に思うのは当然である。日常習慣も私のいた時代と全く違う。戸惑いが生まれるのは当たり前。それを違和感に思う方がどうかしている
自分の考えの愚かさに気づき、意識変革から始めたのが数年後だったと思う。まず、自分の中にある昔ながらのふるさと感を消すことから始めた。ここは現実に自分が生きる場所。思い出とかあの時はなどという情念をいったん消し去り、新たな場所として考えることにした。私の中から「故郷幻想」を消したのである。するとそれまでの違和感が消え、ようやく、すっと生活に入れた。もちろん、今でもいろいろな問題はあるが、それはどこに住んでもあるもの。生活する上で逃れない事柄ばかり。心の平常はようやく保たれるようになった。

同級生が故郷北海道に強くひかれ、もし自分も戻りたいと思うかもしれないが、その時はこの経験をしっかり話さなければと思っている。旅人として故郷に帰るのはいい。だが生活するために帰るなら、まず故郷感覚を捨てることだと。たとえそれはリタイア生活だとしても。北海道に戻って十年を超えた経験者の思い、でもある。

(紅葉も近くより遠くで見たほうがいい場合もある)

ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたふもの
挫折した室生犀星の心根が伝わる。若い時はこんな言葉に心は動かなかった。というより、感傷的にしか感じなかった。傷ついた青春だけにしか見えなかった。言葉の持つ深いポテンシャルをあらためて感じている。

「夜目、遠目、傘の内」、という言葉がある。美人を揶揄する言葉ではあるが、いろいろなところで使える。日本語はやっぱり愉しい。
美しいもの、美しい思い出、美しい恋、などなど、遠くから観賞する方がよい場合が多くある、ということ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿