原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

保守と革新の逆転。

2015年05月05日 08時57分30秒 | 社会・文化
毎年のことながら5月3日の憲法記念日は何かと騒がしい。もはや恒例行事みたいなもの。今年、ことさら姦しく感じるのは、アメリカ議会における安倍首相の演説の影響なのか。旧ソ連が崩壊しベルリンの壁が除去された頃から、象徴的だった左翼や右翼という区別に変化が起きた。イデオロギーの戦いに終止符がうたれた瞬間だった。社会主義とか共産主義という言葉もどんどん色あせた。と思いながら、憲法記念日の騒ぎを見ると、いつの間にか保守と革新が逆転しているではないか。世の中ますますカオス(混沌)なのだ。

これまで左翼と呼ばれた社民党や共産党は革新系に分類される。一方、長い間与党であった自民党は保守系に分類されていた。リベラル(自由主義)と呼ばれる本来は保守的な概念の層が、日本では革新派に加えられていた。最近、中間的な人たちも含めこれらの分類が急激に変化、複雑に絡み合っている。これまでの常識はどうやら混沌状態なのである。
革新と言えば旧来の制度、組織、方法、習慣などを改めて新しくすることであり、政治では現状を改革しようという立場。いわゆる左翼の人たちの概念だった。対する保守は既存の価値、制度、信条を維持しようとする立場。だからこそ保守派に属する。
憲法騒動を見ると、見事にその立場が逆転している。いわゆる保守派であるはずの自民党が推し進めようとしているのは改憲への道。改革である。対する野党をはじめとする、かつて左翼と呼ばれた改革派は今の憲法を守ろうと主張する。いわゆる55年体制の維持というわけだ。つまり保守派が改革を叫び、革新派が保守を叫ぶ。立場が逆だろう、と言いたくなる。
考えてみれば自民党は結党時代の目標が自主憲法の制定であった。民意はそれを容認して現在の政権がある。拉致問題や竹島及び尖閣諸島の領土問題を考えると、現在の日本憲法の不備が浮き彫りとなった。加えて世界を揺るがすテロ活動の対応を考えると防衛のための環境が70年前と激変しているのだから、改憲対応はむしろ当然のことだ。最近日本で起きた小笠原近海での中国漁船の横暴は警察力では何の対応力がないことを証明した。しかし、守旧派の人たちは全くそれを無視する。混沌を感じさせるのはこんな矛盾を平気で見過ごす護憲派(守旧派)の言動にあるのでは。憲法改正反対のデモに中国語やハングル文字が躍るという異常さを普通の日本人なら気づく。日本の憲法改正を一番嫌がっているのはどこの誰であるかさえも。
改憲=戦争という図式をすぐ持ち出す人がいるが、この主張はあまりに短絡過ぎる。小学生並みだ。徴兵制が始まるという主張はもはやあきれるしかない。いまどき国防に徴兵制が有効だと思っていること自体、相当の時代遅れ。もう少し勉強してほしい。とにかく日本人の戦争アレルギーを利用しているのだろうが、使いすぎで効果は薄くなる一方。まだ気付かないのだろうか、思考停止というのはこういうことを言うのだ。
いまどき、憲法9条で日本が守られていると信じている人など護憲派でもいないだろう。ましてやマスコミが一番それを知っているはず。それでも変わらず言うというのは、国民をばかにしているのかと思う。プロパガンダにもならない。戦法を変えろと言いたい。

ノンフィクション作家の門田隆将氏が語っていた言葉を思い出す。「日本が右傾化したという人がいるが、もはや日本に右と左とかいう対立はない。あるのは現実と空想の対立である」。まさにその通り。空想というより妄想に近いと思うのだが、かつての革新派であった守旧派はもはや妄想の世界で思考停止しているのではないだろうか。

戦争は誰でも反対だ。世界の願いでもある。そのために何をすべきなのかということだ。今の日本の憲法では戦争を防げない。妄想から一日も早く脱却すべきだ。危機はすぐそこに迫っている。

*写真は今年撮影したハシブトガラ。野鳥は元気だ、右翼も左翼もフル回転。

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