UMAという言葉がある。Unidentified Mysterious Animal、未確認動物という意味らしい。なんとなく造語の臭いのする言葉だなと思ったら、1976年ころに日本で出版された本に出ていた言葉。UFOに合わせて造られていることはすぐ分かる。70年代は、この未確認動物の話題が日本で沸騰していた。1973年にはクッシーの目撃情報が北海道を賑わし、1975年にはネッシー探検隊が日本から派遣されていた。平和を象徴する時代であった。 . . . 本文を読む
海の底から浮かび上がって生まれた釧路湿原。この湿原のベースとなっているのがピート層であることは意外に知られていない。泥炭とか草炭と呼ばれ、植物などの遺骸が石炭へ変質する初期段階のもの。一千年で十から十五センチの層ができると言われている。スコットランドでは昔からウィスキー(シングルモルト)のフレーバー造りに欠かせないものであった。北欧ではこのピートの有効利用の研究が進み、実績を上げている。 . . . 本文を読む
屈斜路湖畔にはたくさんの温泉がある。熱いお湯が湧き出ている。そのために冬になっても屈斜路湖は全面結氷をしない。温泉の熱で氷が溶ける場所がいくつかあるからだ。そうした場所に飛来してくるのが冬の来訪者、白鳥である。優雅な姿の白鳥を手に触れるほどの至近距離で見ることができる。冬の阿寒国立公園の名所の一つとなり、訪れる観光客も数多い。すぐそばにある売店には白鳥用の餌も売られている。 . . . 本文を読む
春分の日。地球をまわる太陽が真東からあがり、昼と夜の長さが等しくなる日である。秋と合わせ一年に二度あるこの日は紀元前から知られる大切な日であった。それ故に宗教と深く関わる。シーザーはこの日から逆算して元日を決め暦(ユリウス暦)を作成。キリスト教徒はこの日を基準にイースターを決めた。仏教の普及した日本でも、この日が彼岸の中日となる。太陽信仰のマヤ文明もまた同様に重要な日となっていた。 . . . 本文を読む
夏目漱石が小説家となる前の1900年から1903年にわたってロンドンに留学している。留学中に漱石は精神的に衰弱し、現在で言う「ノイローゼ」にかかる。自室にひきこもる漱石を見かねた友人が、スコットランドへの旅に招待する。約2週間にわたり、漱石はピトロッホリーという小さな町で過ごす。この滞在が漱石を元気づけた。この地で後に完成する小説「草枕」の草稿を書き上げたとも伝わっている。 . . . 本文を読む
塘路湖畔にある「安部せいすけ牧場」を訪ねた。“せいすけ兄い”は生まれついた時から塘路の人。湿原の主でもある。釧路湿原のことなら何でも知っており、私の師匠でもある。郵便局に長い間勤め、民営化の話題が出る前にさっと退職し、牧場を始めた。馬について何も知らない私にとって、北海道の馬のことを知る機会を与えくれた人でもある。馬と標茶町の関わりも深い。北海道の歴史と馬は一つの道でつながっていた。 . . . 本文を読む
湯けむりに煙る情緒たっぷりの温泉街。ひと風呂浴びたホッカホカの身体を鎮めながら、浴衣を着て下駄をはいての散策。温泉はまさに日本文化の象徴であろう。湯船に身体を浸す瞬間、しみじみ感じる幸福感。こんな気分を知るのは日本だけのものと思っていた。ところがこの「幸せ感」を日本人と同じように感じる外国人がいたのである。台湾の人たちである。台湾における温泉ブームの陰には紆余曲折の長い時間が流れていた。 . . . 本文を読む
阿寒国立公園の名所の一つである川湯の硫黄山。火山跡の異様な風貌の溶岩ドームが眼前に広がり、岩肌の各所から強烈な勢いで水蒸気が噴き出している。すぐ側まで近づくことができる。その迫力のある自然はまさに北海道そのもの。絶え間なく吹き上がる水蒸気に地球が生きていることを実感する人も多い。アイヌコタン以外に何もなかった明治時代、この地区の近代化に多大な影響を与えたのは、この溶岩ドームからの硫黄採掘であった。 . . . 本文を読む
白く広がる湿原の中を走る黒い塊。白黒の噴煙を吐きながら、喘ぐように走る蒸気機関車。その姿は日本の高度成長時代を疾走した団塊の世代の姿にダブって見える。時代が過ぎて、すでに役目を終えた彼らに再びスポットが当たるのは、懐かしい時代を感じるからなのだろう。ITとか効率という現代とまったく正反対のSLに、手作りの逞しさを感じるのは私だけではないだろう。忘れかけた思い出を求めるように、冬の湿原号に乗った。 . . . 本文を読む