前のブログでも紹介したが、標茶町の集治監(釧路集治監)には、明治の歴史に残る囚人たちが収監されていた。前回紹介した津田三蔵と並んで忘れがたい人物がもう一人いる。李鴻章を襲撃した小山豊太郎である。この名前は現在の歴史上ではほとんど消された名前と言っていい。だが、日清戦争終結させた講和条約締結に多大な影響を与えた襲撃であった。明治の歴史の中でも注目すべき事件の主役であった。 . . . 本文を読む
ハクチョウが羽根を休め、湖畔の斜面には別荘住宅が並ぶ。まるでヨーロッパの高級リゾート地を思わせる風景が広がっていた。私が知る四十数年前のシラルトロ湖とは、まったく違っていた。塘路湖に接するようにあるシラルトロ湖。森と湖の祭りで有名となった塘路湖に比べ、今ひとつ知名度に欠けているが、穏やかでいかにも「湿原の中の湖」を感じさせ、季節を問わずいつ訪れても心地良い湖である。 . . . 本文を読む
レアもののポートエレンが手に入った。アイラの懐かしい香りと味が染みる。この気分はシングルモルト好きにしかわからないかもしれない。ちょっと趣味に走りすぎるきらいはあるが、今日はシングルモルトについて語りたい。ブレンデッドとシングルモルトの違いが分からない人には全く無縁の話となるが、お許しいただきたい。歳末を迎えた道東の空から珍しく雪が降り続いている。雪に静まる夜のシングルモルトは絶品である。 . . . 本文を読む
武田泰淳の小説「森と湖のまつり」は映画化もされている。舞台は塘路湖であった。60歳を超えた人でなければ覚えていないかもしれない。アイヌ問題を正面から取り上げた小説であった。映画では高倉建が主演、監督は内田吐夢。映画のロケも塘路湖で行われた。冬の塘路湖には白鳥が舞い、タンチョウもいる。小説が提示した問題を打ち消すような平和な風景がそこにある。この反比例する現実こそ、日本の姿なのかもしれない。 . . . 本文を読む
明治時代に標茶町にできた釧路集治監が、町を形成させるきっかけとなったことは、11月のブログで紹介した。集治監とは「徒流刑に処せられた者を拘禁する所」、後の網走刑務所へとつながっていく。極寒の北海道に送り込まれた者たちは、重罪人はもちろん政治に絡む思想犯たちであった。明治の世相が囚人たちにそのまま反映されていた。彼らの記録を見ると明治と平成がリアルタイムにつながってくる。 . . . 本文を読む
釧路駅近くにある幸町公園(通称鉄道公園)の中に塔が建っていた。北海道鉄道記念碑となっているが、これは北海道の鉄道の総延長が一千哩(マイル)に到達したことを記念した、いわゆる「鉄道一千哩記念塔」である。なぜ釧路にこの塔が建てられたのか、ちょっと疑問に思い調べてみると、不思議な事実が浮き彫りになってくる。その根底には、現代にもつながる国策の北海道開発計画が脈々と流れていることを感じさせた。 . . . 本文を読む
タンチョウを見かける時は、いつも二羽。番いの夫婦である。春に子供が誕生すると夫婦で卵を温め、夫婦で餌を運んで雛鳥を育てる。家族一緒で飛来する姿もよく見かける。実にファミリーなのである。夫唱婦随のシンボルとか、夫婦は一生添い遂げるという話も伝わってくる。この話は本当なのだろうか?余計なこととは知りつつも、タンチョウの真実を追いかけてみた。意外に人間くさいタンチョウの姿がそこにあった。 . . . 本文を読む
11月26日(日本時間27日)に起きたインドのムンバイで勃発したテロは、死者195人、負傷者295人という大惨事となった。日本人にも死傷者が出ている。アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、カナダ人、イスラエル人、イタリア人、タイ人、中国人、オーストリア人、シンガポール人と11カ国に及ぶ被害者を出している。すでに新聞やテレビでたくさんの報道が行われているので、事件の詳細については省略したい。
この事件 . . . 本文を読む
私が住む街、標茶について今日は語ろう。街のほぼ中心を釧路川が流れている。屈斜路湖を源とする釧路川は釧路の河口まで全長154キロ。その間、街の中を通るのは弟子屈町と標茶町の二つだけ。ゆったり流れるその河畔風景は明治時代とは様子を変化させているものの、昔ながらの流れを感じさせる。近年ではこの河畔でタンチョウの姿を眺めることができる。昔はこの川を遡上する鮭の姿も眺めることができた。
標茶の名前の由来は、 . . . 本文を読む