オリンピックの影で印象が薄くなっているが、日本には今、怒りが渦巻いている。原発、いじめ、オスプレイ、消費税などなど。普通なら怒りのマグマが怒髪天を衝く勢いで日本を席巻、と思うのだが、意外にそうはなっていない。それぞれの問題に対する温度差というか、怒りの方向性がかなり違うからだ。それなのにテレビや新聞は一つの塊で語ろうとする。反原発運動を見るとよく分かる。いま百人に、原発はどう思うかと聞いたら百人が「NO」という。だが全員が同じ方向でNOを叫んでいるかというと、それは違う。そこにはものすごい開きがある。単純な「YES」と「NO」で判断できるわけがない。それが分かっていながら、わざと一つの方向で語ろうとする風潮に異議がある。 . . . 本文を読む
観賞するだけの花もいいが、「実り」をもたらす花の美しさも捨てがたい。カボチャの花、ニンジンの花、ダイコンの花、いずれも花にはなじみがないけれど、その実には誰もが深く世話になっている。今年の道東はあまり暖かくならず、秋の収穫が多少心配されていたが、どうやら例年通りに戻したらしい。屈斜路湖の周辺の畑では実りをもたらす花が清々しい風景の中で満開となった。おなじみのジャガイモの花とソバの花だ。秋の豊富な収穫を祈りつつ、道東の七月が花開いた。 . . . 本文を読む
ここ数週間、連日繰り返される滋賀県大津中学校のいじめ自殺報道。浮き彫りとなったのは学校総ぐるみの隠ぺい体質と教育委員会の無能ぶり。随分聞き飽きた文言が並ぶ。いいかげんに、そこから脱した報道ができないものなのだろうか。すべてのメディアが一つの方向で同じような報道をすることを、パックジャーナリズムと呼び、心あるジャーナリストならそこからの逸脱を真っ先に図るものなのだが、そうなっていない。横並び記事のオンパレード。インターネット上では加害者の子どもの名前から顔写真まで流出。親も同様に曝け出されている。フェイスブックやツイッターという手法は、日本をいっそう複雑化している。 . . . 本文を読む
世の中おおむね、黒い色に対するイメージがよくない。黒ネコやカラスなどは存在から不吉とされ、腹黒い、黒幕など、闇社会を想像させるみたいだ。黒≒O沢≒政治家などとも直結する。どうも忌み嫌われる傾向にあるのが「黒」だ。が、クロユリとなると少しイメージが違う。男女の中に入り込み、微妙な存在となってくる。このあたりが花ゆえの特権というか物語的というのだろう。それでも呪いの伝説や恋の伝説にまつわるクロユリを知ると、どちらにしても魔術的な世界を思わせる。ミステリアスな花なのである。野に咲く他の花とは一味違うようだ。 . . . 本文を読む
湿原を散策していると、名も知らぬ花に出会う。この花もそうであった。一瞬タンポポかなと思ってよく見ると、全く違う。湿原(釧路)の散策道そばでひっそりと咲いていた。とりあえず写真にして、家でじっくり正体を探す。行き当たった名前がヤナギトラノオ。いやはや、見かけよりずっと凄い名前だ。漢字にすると「柳虎尾」。恐ろしいような和名がついていた。花の印象はまったく逆。目立たつことを拒否するかのようにも見える。なんでこんな名前がついたのかと逆に気になる。この名前を付けられたために隠れるように咲くようになってしまったのではと、思ってしまった。 . . . 本文を読む
またぞろだが、尖閣諸島周辺が騒がしくなっている。野田総理の国有化発言に呼応するかのように中国漁船が領海を侵犯し始めた。このところ動きが活発化している。中でも7月4日の台湾の遊漁船と巡視艇の領海侵犯が印象深い。これまで全面に出ていた中国ではなく、台湾の漁船であることと、これに台湾の巡視艇が付いていたからである。台湾と中国が一つとなって尖閣諸島(彼らは魚釣島という)を問題化しているかのように見える。日本のマスコミも通信社の配信記事をそのまま流すだけ。この裏にある事実に少しも触れようとしない。中国に加えて台湾までが、という誤解が日本中に流れている。 . . . 本文を読む
道東の厚岸町にはあやめヶ原という百ヘクタールの原生花園がある。チンベの鼻という愉快な名前の岬に広がっている。今が花の見ごろだ。この原生花園に群生するヒオウギアヤメを守っているのはここに放牧されている十頭の馬であることは意外に知られていない。実はアヤメには毒があり、馬たちは決してこの野花を食することはしない。その周りの雑草だけを食べる。おかげで環境が守られ、ヒオウギアヤメの見事な開花風景を毎年観賞することができるというわけだ。ではなぜ、馬たちは野花の毒性を見分けることができるのだろうか。残念ながら、これは人間には理解不能なのだ。 . . . 本文を読む
湿原に吹く風は「渡る」と言う方がふさわしい。大きな風の塊を感じさせる。風は波打つように湿原を走る。そのたびに湿原に生きるものたちは風の足跡を残すかのようにのように変形する。今、霧多布湿原のワタスゲは真綿のような実を付けた。その光景はまるで真昼のペンライトをみるかのようだ。風が通るたびに左右に揺れ動く。原野いっぱいにちりばめられた白い真綿は、風に揺さぶられて、髪ふりみだしているかのようにも見えた。これもまた湿原の原風景の一つ。毎年、この時期だけに観覧できる原野の定期公演なのだ。 . . . 本文を読む
その存在は前から知ってはいたけれど、なかなかお目にかかれなかった。釧路湿原ではとうとう出会えなかった。だが今年、霧多布湿原でついに出会えた。淡い薄紫の花が湿原を渡る強い風の中で震えるように揺れていた。誰が名付けたのか知らないが「湿原の貴婦人」。その名が実にふさわしい。姿を見た時、不思議な感動を覚えた。長年探し求めた憧れの人に出会えた気がしたからだ。深い雑草の中に埋もれるように咲いていた。目につきにくい。だからこそ、うれしいのだ。クシロハナシノブの姿をたくさん紹介したい。美しいものはただ見ているだけで、十分である。 . . . 本文を読む