やんまの気まぐれ・一句拝借!

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野火を背に男黙せり遠筑波 大野岳翠

2017年02月13日 | 俳句
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大野岳翠
野火を背に男黙せり遠筑波
野の芦や枯草を焼いている。害虫も駆除出来るが灰が新しい下草の肥やしにもなる。私は関東住まいなので渡良瀬遊水地とか霞ヶ浦湖畔で実際に見分した。一回はタナゴ釣りで霞ヶ浦に注ぐ用水路に居て火に囲まれそうになってしまった。実際燃え盛る炎の現場にいると足ががくがくと震え腰が抜けるほどの脅威を覚える。黒煙の中をちろちろと炎上する赤い炎は怪物の舌にも似て風景をなめ尽くしてゆく。ふと気が付いて後ろを振り向けば何事も無かっような田園風景。その先に散髪をし終えてさっぱりした体の筑波嶺が遠く浮かんでいる。冬去れり。:「新版・俳句歳時記」雄山閣(2012年6月30日)所載

片栗や自づとひらく空の青 加藤知世子

2017年02月12日 | 俳句
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加藤知世子
片栗や自づとひらく空の青
山里だろうか片栗が咲いた。ああ時節が来れば咲くものは自ずと咲くんだな。春が来て空の光線がそれらしくなった。そして人々の出会いと別れが待っている。卒業、転勤、就職、進学。純白な心と心が交流し涙する。早春の空の青さが眩しい。:「合本俳句歳時記」角川書店(1974年4月30日)所載

老人の横一列に日向ぼこ 阿部万里子

2017年02月11日 | 俳句
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阿部万里子
老人の横一列に日向ぼこ
日光浴は健康に良いと聞く。今長いベンチか塀に添ってか路傍の縁石かに老人が一列になって日を浴びている。問わず語りの脈絡のない会話が弾んでいる。列が横になっているので話題は右左で別れる事も多々ある。何を決める訳でもないので話がどこへ逸れようとお構いなしである。現役のお勤めから遠く開放されているのでまず悪口は無く世は平穏である。子供は少子化で少ないが元気老人は何処の日向にもごろごろと転がっている。:俳誌「百鳥」(2017年2月号)所載

老木の芽をいそげるをあはれみぬ 富安風生

2017年02月10日 | 俳句
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富安風生
老木の芽をいそげるをあはれみぬ
50年も前に終の棲家をここに定めた。この新興住宅地の公園の周囲に桜の植樹をした。染井吉野と八重の桜と交互に並べた。住民一同毎年春を迎えるのを楽しみにしている。50年を経た桜大樹の幹には錆色の苔が生している。それでも昨日今日の蕾は逞しく膨らみ始めた。今年も地域住民の花見会の日程が話題になっている。あは50年、70歳80歳90歳、、、、。:角川「合本俳句歳時記」(1974)所収。

一生の根気と運気石蕗の花 島崎茂子

2017年02月09日 | 俳句
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島崎茂子
一生の根気と運気石蕗の花
歳とともに根気が無くなって来た。そう意識すれば何くそと日課の諸事や句作に励むのである。路傍に咲く石蕗の花の様に派手ではないが地道に生きてゆこうかと。運気はどうだったろう、まあまあだったろうかと振り返る。茂子さんは昨年九月に亡くなられたと聞く。十年を越える大昔ある結社で茂子さんとご一緒させて頂いて以来の付き合いであった。互いに一病を得ていた仲で励まし合ってもいた。私もこの結社では随分古参となったが俳句は当時のまま下手である。故に気楽に楽しんでいられる。石蕗咲くや最古参にてびりっかす(やの字)。茂子さんのご冥福を。:句集「ひたすら」(2010年4月)所載。

熱出せば母の笑顔とすり林檎 柳澤茂

2017年02月08日 | 俳句
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柳澤 茂
熱出せば母の笑顔とすり林檎

子供の頃よく熱を出した私であった。お金が無かったからか薬屋が近くに無かったからか民間伝承の方法で熱を遣り過した。すり林檎は身体に優しくとても美味しかった。喉の痛みには和手拭いに巻いた葱が喉に巻かれた。今は遠き母の思い出はあの看病のやさしい笑顔となって我が胸にに収まっている。:俳誌「はるもにあ」(2017年1月号)所載。

山里の春はやうやく猫柳 虚子

2017年02月07日 | 俳句
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高浜虚子
山里の春はやうやく猫柳

猫柳の芽が銀色に光って春がやって来た。閉じ込められた単調な山里の生活。残雪の中にきらりと光った春の訪づれを告げる使者である。おう!小さな春の珠玉を見つけたり。こんな早春の風景に出会えば何故か心が浮き浮きと弾みだす。どんなに気温が寒くても光眩しい春だもの。春と言ってもやうやく猫柳程度の春ではあるが。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

筑波嶺の見ゆる高さに干菜吊る 野口勇一

2017年02月06日 | 俳句
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野口勇一
筑波嶺の見ゆる高さに干菜吊る
広大な関東平野は西に霊峰富士東に筑波嶺を望む事が出来る。といっても都市化によって高台やビルの屋上に行かなければ見えなくなった。それでも郊外の農耕地帯などからは両方とまで行かなくともどちらか見える場所がある。そんな筑波が見える目線の高さに菜を吊り干してある。標高900mに満たない高さの筑波であるが風も気持ちよさそうにさやさやと吹渡ってゆく。冬には野菜の味がぐっと良くなる。:読売新聞「読売俳壇」(2017年1月23日)所載。

鶯のかたちで鶯餅の嘘 宇多喜代子

2017年02月05日 | 俳句
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宇多喜代子
鶯のかたちで鶯餅の嘘

良く出来た鶯餅である。本物の鶯っぽさがある。感心しながら口にすればほんのりとした品の良い甘さが口に広がる。こういう騙され方なら騙されてもまた幸せである。男女間の甘い嘘も佳しとするか。ところで年々生態系に微妙な変化を感じるのであるが、周辺のタナゴとかザリガニとかムギワラトンボなども風前の灯火となった。都市郊外に住んでいるのだが昨年あたりから鶯の鳴き声がぐっと少なくなった。この分だと鶯気分は鶯餅にしか残らないのではないかと心配である。:「俳句」(2014年1月号)所載。

ふつかよひ同士ぺんぺん草同士 大澤ひろし

2017年02月04日 | 俳句
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大澤ひろし
ふつかよひ同士ぺんぺん草同士

いやご同輩昨夜は飲みすぎましたかな。今朝は頭ががんがん痛い。痛いけれども会社へは何とか出勤せなばならぬ。通勤路で顔を合わせた二人は照れ臭そうに互いの調子を見定める。路傍には雑草と見過ごされているぺんぺん草がそよいでいる。会社へ出るだけで勤め人は仕事を果たしたという時代があり、私はそんな時代の勤め人であった。ぺんぺん草は薺で春の雑草。春の七草は「芹・なづな・御形・はこべら・仏の座・すずな・すずしろ」と言われている。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載

笹鳴へ歩幅合はすや墓の径 上野美和子

2017年02月03日 | 俳句
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上野美和子
笹鳴へ歩幅合はすや墓の径
墓地へと続く小道に小藪があってそこでチャッ!チャッ!と笹鳴きが聞こえた。連れと顔を見合わせて飛び去る事の無いように音を殺して歩く。妙に歩幅が合って久しぶりに気が合った気分である。今日は何か良い事がありそうだ。もうすぐ本格的な春となる。笹鳴きの時期も過ぎやがて春になると、寺の鶯は「法、法華経!」と囀りだす。:俳誌「春燈」(2016年3月号)所載

音程の少し外れて春隣り 滝本かよ

2017年02月02日 | 俳句
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滝本かよ
音程の少し外れて春隣り
かよさんとは何の腐れ縁で出会ったか思い出せないくらい昔からの知己である。それでも彼女の歌を聴いた記憶は無い。今度酔わせて歌わせたいものだ。関東の方の中には私のど演歌を聴いた方がいるかも知れない。超がつく下手くそである。ドレミの段階で吹っ飛んでミファソで忍び笑いが聞こラシドで天国へ吹っ飛ぶ。でも本人は恥も外聞も無く歌に酔っている。自己陶酔する、それも良いではないか。もう暦の上では春隣り、春宵値千金である。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2017年1月31日)所載

風呂敷を解きまた畳み冬座敷 龍澤清

2017年02月01日 | 俳句
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龍澤 清
風呂敷を解きまた畳み冬座敷
風呂敷と言う便利な物があった。近頃は様々な鞄類が出回って影を潜めているが、どうして根強い愛好家があって消滅はしない。何しろ伸縮自在で包む中身に対して万能の形状対応をなす。箱物だろうが一升瓶だろうが何でもござれである。掲句の場合は座敷に持ち込まれた贈答品だろうかひょっとすると美術工芸品かも知れぬ。丁寧に荷を解かれ差し出された後おもむろに風呂敷が畳まれた。差し出す者と受け取る者が対座して座敷はしんと静まっている。そう言えば小生も戦後間もなく唐草の風呂敷を背負って運び屋のバイトをしたっけ、遠い昔だ。:俳誌「百鳥」(2016年3月号)所載