戦争と平和のことを考える時いつも参考にしているものがあります。
「我が家のホームページ」という資料です。http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TRY4.HTM です。
ある一家のご主人と奥さんと息子さん、娘さんの4人が協力しあって作っているホームページです。
その中の一項目に、第二次世界大戦やその他の大きな戦争の犠牲者に関する資料を広い視点で公平に調査し、公開しているページがあります。
政治的な思想やイデオロギーに関係なく健全な一市民として客観的に戦争被害者について調べています。収集した統計資料と文章が過不足なく提示されています。ああ、こんなにも健全で、良い家庭があるのだと感心もしています。
ところで昨日、第二次世界大戦後のシベリア抑留は何故起きたか? という題目の記事を掲載しました。そうしたら私が尊敬しているyuyuさんという方から次のようなコメントを頂きました。
=====投稿 yuyu | 2012/07/15 07:41 ========
日本のドイツとの枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。
しかし、我々日本人の何割かは、日本と友好条約を結んでいたロシヤが裏切って、領土欲しさに参戦、満州からと北方から侵入したと思っています。
ドイツがロシヤに攻め込んだとき、日本がシベリヤから攻撃をすれば現在のロシヤは存在しなかったとの説を聞いたことがあります。
満州で大好きな叔母と幼い従弟をロシヤ侵攻で亡くした私にとってはロシヤは今尚敵国です。
=============終り===========
戦後67年ですが、現在でもこのように考えていらっしゃる家族や親戚の方々が全国に沢山いらっしゃると思います。
そこで何時ものように「我が家のホームページ」という資料を見ました。そこには、以下のように書いてあります。
遠く故国から離れた満州で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしながら、以下に転載させて頂きます。
====「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」というHPより===
満州開拓民等の敗戦に基づく死亡者数
全 体 開拓民 非開拓民
終戦時在満邦人数 1,550,000人 270,000人 1,280,000人
敗戦後一般邦人の死亡者数 176,000人 78,500人 97,500人
何人に一人が死亡したか 8.81人 3.44人 13.13人
死亡指数(非開拓民比) 1.49 3.82 1.00
=======ソ連軍侵攻の悲劇 ==========
アジア・太平洋戦争末期に弱体化していた関東軍は、満州国にいる日系成人男性15万人に召集をかけ、根こそぎ動員。女性や子ども、老人だけになっていたところに突然、ソ連軍が侵攻し、命がけの逃避行が始まりました。ソ連軍だけではなく、それまで抑圧されていた漢人らの怒りも爆発し、日本人は略奪・暴行の的となり、絶望のあまり集団自決も頻発。栄養失調や発疹(はっしん)チフス、冬の酷寒などでも次々に命を落とし、この地で亡くなった日本人は軍人を含め24万5400人とされています。終戦の翌年、日本への引き揚げが始まり、軍民合わせて127万人余りが帰国しましたが、生きるために現地人に預けられたり妻となっていた子どもや女性は、中国残留孤児・残留夫人となりました。また、召集された男性の多くはソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留されました。(シベリア抑留邦人全体は約57万5000人。うち死者約5万5000人)(人数は「引揚げと援護三十年の歩み」「援護五十年史」による)《引用:中日新聞(2005.8.28) 中日サンデー版 世界と日本大図解シリーズ№698「満州」》
=======以下省略===============
満州におけるソ連軍の侵攻後、その占領地における残虐非道ぶりは言語に絶するものがありました。私も過酷な逃避行を経験した人の話を直接聞きました。
ここに書くのをはばかれるような悲惨極まりないことが毎日起きたのです。
若い日本人には満州で起きた悲劇をあまりご存知ないかも知れません。
しかし日本民族が忘れるべきでない伝承として記憶すべき事実と思います。
実は、この他に「「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」というHPには大戦争に巻き込まれたいろいろな民間人の経験した悲劇が説明してあり、客観的な統計も公開しtれあります。
戦争というものを民間人の視点から考え直した第一級の資料と信じています。
皆様も是非このホームページの全体をゆっくりご覧下さい。
平和の有難さがしみじみと胸に迫って来ます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)