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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夏の山里に咲く花々の写真です

2012年07月16日 | 写真

昨日、北杜市の甲斐駒岳の麓の小屋まで行ってきました。小屋の東にある真原という高台で夏の花々の写真を撮って来ました。

高台にある民宿の星山荘の人が花好きで、大きな花畑にいろいろな花を植えています。毎年、四季折々そこへ行っては、花の写真を撮らせて貰っています。星山荘には何回も泊りました。当時は黒毛和牛を飼育していて、夕食のスキヤキが美味でした。小さかった息子さんも中年になり、都会に住んでいて、子供もいるそうです。

上の4枚はそこで撮らせてもらった花です。

最後のヤマユリの花は石原さんに挨拶して、撮らせて頂いたものです。乳牛を沢山飼っていましたが先年それを止めて、大きな家を新築し夫婦で悠々と老後を楽しんでいます。牛乳や搗きたてのなまこ餅を頂いたりして随分とお世話になりました。石原さんの亡くなってしまったおじいさん、おばあさんにも優しくして頂きました。

全ては遠い昔になったものだと思いながら花々の写真を撮ってきました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」というHPに見る満州での悲劇

2012年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争と平和のことを考える時いつも参考にしているものがあります。

「我が家のホームページ」という資料です。http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TRY4.HTM です。

ある一家のご主人と奥さんと息子さん、娘さんの4人が協力しあって作っているホームページです。

その中の一項目に、第二次世界大戦やその他の大きな戦争の犠牲者に関する資料を広い視点で公平に調査し、公開しているページがあります。

政治的な思想やイデオロギーに関係なく健全な一市民として客観的に戦争被害者について調べています。収集した統計資料と文章が過不足なく提示されています。ああ、こんなにも健全で、良い家庭があるのだと感心もしています。

ところで昨日、第二次世界大戦後のシベリア抑留は何故起きたか? という題目の記事を掲載しました。そうしたら私が尊敬しているyuyuさんという方から次のようなコメントを頂きました。

=====投稿 yuyu | 2012/07/15 07:41 ========

日本のドイツとの枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。

しかし、我々日本人の何割かは、日本と友好条約を結んでいたロシヤが裏切って、領土欲しさに参戦、満州からと北方から侵入したと思っています。

ドイツがロシヤに攻め込んだとき、日本がシベリヤから攻撃をすれば現在のロシヤは存在しなかったとの説を聞いたことがあります。

満州で大好きな叔母と幼い従弟をロシヤ侵攻で亡くした私にとってはロシヤは今尚敵国です。

=============終り===========

戦後67年ですが、現在でもこのように考えていらっしゃる家族や親戚の方々が全国に沢山いらっしゃると思います。

そこで何時ものように「我が家のホームページ」という資料を見ました。そこには、以下のように書いてあります。

遠く故国から離れた満州で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしながら、以下に転載させて頂きます。

====「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」というHPより===

満州開拓民等の敗戦に基づく死亡者数

           全 体    開拓民    非開拓民

 終戦時在満邦人数 1,550,000人 270,000人  1,280,000

 敗戦後一般邦人の死亡者数 176,000人  78,500人  97,500

 何人に一人が死亡したか   8.81人  3.44人  13.13

 死亡指数(非開拓民比)         1.49   3.82  1.00

 =======ソ連軍侵攻の悲劇 ==========
アジア・太平洋戦争末期に弱体化していた関東軍は、満州国にいる日系成人男性15万人に召集をかけ、根こそぎ動員。女性や子ども、老人だけになっていたところに突然、ソ連軍が侵攻し、命がけの逃避行が始まりました。ソ連軍だけではなく、それまで抑圧されていた漢人らの怒りも爆発し、日本人は略奪・暴行の的となり、絶望のあまり集団自決も頻発。栄養失調や発疹(はっしん)チフス、冬の酷寒などでも次々に命を落とし、この地で亡くなった日本人は軍人を含め24万5400人とされています。終戦の翌年、日本への引き揚げが始まり、軍民合わせて127万人余りが帰国しましたが、生きるために現地人に預けられたり妻となっていた子どもや女性は、中国残留孤児・残留夫人となりました。また、召集された男性の多くはソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留されました。(シベリア抑留邦人全体は約57万5000人。うち死者約5万5000人)(人数は「引揚げと援護三十年の歩み」「援護五十年史」による)《引用:中日新聞(2005.8.28) 中日サンデー版 世界と日本大図解シリーズ№698「満州」》
=======以下省略===============
満州におけるソ連軍の侵攻後、その占領地における残虐非道ぶりは言語に絶するものがありました。私も過酷な逃避行を経験した人の話を直接聞きました。
ここに書くのをはばかれるような悲惨極まりないことが毎日起きたのです。
若い日本人には満州で起きた悲劇をあまりご存知ないかも知れません。
しかし日本民族が忘れるべきでない伝承として記憶すべき事実と思います。
実は、この他に「「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」というHPには大戦争に巻き込まれたいろいろな民間人の経験した悲劇が説明してあり、客観的な統計も公開しtれあります。
戦争というものを民間人の視点から考え直した第一級の資料と信じています。
皆様も是非このホームページの全体をゆっくりご覧下さい。
平和の有難さがしみじみと胸に迫って来ます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)


今日の甲斐駒岳・・・雲乱れる中にかすかに見える光景

2012年07月15日 | 写真

久しぶりに山々の風景を見たくなり車を駆って往復300kmのドライブを楽しんで来ました。東京は晴れでしたが、南アルプスの山は雲の中です。風が強いのか雲が乱れ山並みが見え隠れしていました。

甲斐駒岳の方向の風景写真です。

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帰りに北杜市、武川町の農産品直売所でいろいろな野菜を買いました。一緒に行った家内がズッキーニとルパーブを買って嬉しそうにしていました。ズッキーニはオリーブ油を入れてラタトーユに使います。ルパーブはジャムにします。


合歓の木の花への惜別

2012年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

それは4年前の2008年7月のことでした。山梨の甲斐駒岳の麓の横手という地区で偶然、見事なネムノキの花を見つけたのです。合歓の木とも書きます。

それは夢見るような雰囲気でした。この世の花でないような印象です。あまり感動したので、同じ場所に翌年も行きました。無いのです。4本あった合歓の大木が切られてしまったのです。わずかに1本だけ残っています。それから7月になると毎年その1本の合歓の木の花を見に行きます。しかし以下の写真のように見事な花は二度と見ることが出来ません。

その2008年夏の合歓の木の花への惜別の心をこめて以下に写真を4枚お送りいたします。

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第二次世界大戦後のシベリア抑留は何故起きたか?

2012年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

日本が第二次世界大戦で敗北したのは1945年の8月15日です。空襲で焼きつくされたた都市の風景が忘れられません。暑い夏でした。焼き尽くされた街に夏の陽射しが照りつけています。そのせいで毎年夏になると第二次世界大戦のことをいろいろと思い出します。

そしてこのような悲劇が二度と起きないように祈りつつ、以下に若い方々のためにシベリア抑留のことについてお送りいたします。

シベリア抑留は満州に突如攻め込んだソ連軍が敗戦後、55万人余の日本兵を捕虜にし、シベリア各地で強制労働をさせたのです。あまりの寒さと飢えで5万人余の日本兵がシベリアの土になり、二度と故国の土を踏むことはなかったのです。

このシベリア抑留が何故起こったかという問題を少し広い視野で振り返ってみます。

日本と枢軸同盟を結んでいたドイツがロシアへ進撃し、優秀な人間や若者の民間人を選んで1000万人銃殺した事実を日本人はあまり知っていません。この話をすると驚く人が多いのです。

第二次大戦でロシアの戦死者は1450万人。民間人の1000万人と合計すると2450万人です。これに対してドイツの戦死者は280万人、民間人の死者が230万人で合計510万人です。

戦争に勝ったロシアが2450万人死に、負けたドイツが510万人死にました。これらの数字は正確には調べようもありません。

(ここで用いた死者の数の出典:http://www.geocities.jp/wdbkwy/wdyhmfwys29.htmlです。) これには日本の戦死者数もでています。

日本ではドイツによる、「ユダヤ人の大量殺戮」のみがよく取り上げられますが、ロシアの民間人の大量殺戮もしたのです。その事を忘れては、歴史を理解する場合の公平性に欠けると思います。

ドイツと同盟した日本がシベリアの脅威になっていたのは事実です。そのお陰で、ドイツの侵入・殺戮を容易にしたと考えるのは自然なことです。日本の枢軸同盟のお陰で多数のロシア人が殺されたとロシア人は思っているでしょう。

シベリア抑留は日本人もドイツ人もやられました。ドイツ人のほうが多数で過酷であったそうです。

何故シベリア抑留が起きたか論理的に考える必要があります。

シベリア抑留は無理無体、無法の極み!残酷なロシアの政策!と、いくら非難しても足りないと思います。全くけしからん話です。

また戦後ロシアが頑なに鉄のカーテンを張り廻らせ東西間に緊張が続きました。しかしこの冷戦も1989年にアメリカの勝利で終わりました。ソ連に占領されていたポーランド、チェコソロバキア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、リトワニアなどのバルチック3国が皆完全独立したのです。

しかし、シベリア抑留も鉄のカーテンもみなロシアの2450万人の死者が原因の一つです。

共産主義は間違っています。でもロシアの冷酷な政策は2450万人の死者を忘れては理解出来ません。

こんな暗い、悲惨な人間の歴史の話の最後に、実に明るい話をご紹介します。

元日本兵の木内信夫さんがシベリア抑留中に描いたスケッチ風の絵画集がインターネットで世界中へ公開されています。http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htmです。

数ヶ国語の翻訳つきです。いろいろな国の人々から感動したという投稿が英語であります。絵画の主題は人々の友情や抑留生活中のユーモアある風景が多いのです。極限状態でも人間を信じ、ユーモアを忘れない木内信夫さんの勇気にみな感動してコメントを送るのです。ロシア人の謝罪と戦争反対のコメントはせつせつとして心にしみます。人類の善意と相互理解の可能性を信じ、筆を置きます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 

後藤和弘(藤山杜人)


日本の各地でオート三輪車が活躍していた頃

2012年07月14日 | 写真

昭和30年頃前後はオート三輪車が全国で活躍していました。野菜や荷物の運送にはきまってオート三輪車でした。

子供はみな憧れて、乗ってみたいと思っていましたが、青果業や酒店などの子供しか乗る機会がありませんでした。

仙台に居た少年の頃、二三度だけ運送業のオジサンに荷台に乗せて貰ったことがあります。危なっかしい助手席にも乗せてもらい怖い思いもしたことがあります。

とにかく乗り心地が悪い、刺激的な乗り物でした。

そのうちこの不思議な乗り物は次第に消えて行きました。

中国や東南アジアにエンジン付きの三輪車が今でも走っていますが、日本のオート三輪とは全く違います。懐かしい乗り物ですが、もう二度と見ることが出来ません。

下の写真は昭和30年頃の小金井市の多摩青果市場の前に勢ぞろいしたオート三輪の写真です。(写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。)

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宗派をこえた共同礼拝・・・一般の人に見て貰いたいキリスト教徒の和解

2012年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

おもにヨーロッパで発展してきたキリスト教には困惑するような歴史があります。

堕落したカトリックに反旗をひるがえして宗教改革がおきました。30年間もの宗教戦争も続きました。魔女狩りもあり、違った宗派の間に戦争がありました。ヨーロパ諸国が植民地のぶんどり合戦をし、宣教師も一役かって活躍しました。宣教師が植民地獲得の先兵のようです。

その上、ヨーロッパのキリスト教国の間で第一次世界大戦や第二次世界大戦も起きました。キリスト教は戦争防止にまったく無力だったのです。

そのような歴史を見て日本人はキリスト教は平和維持の役に立たないと判断しました。その宗教は逆に戦闘的で、排他的な宗教と思っています。宗教が無ければ世界がもっと、もっと平和になると信じています。キリスト教は教養として勉強しますが絶対に洗礼を受けようとしません。

日本中に数多くのミッションスクールがありますが生徒達はほとんど洗礼も受けないで卒業します。

公平に見れば上に書いたことが大部分の日本人のキリスト教へ対する見方です。

この日本人の見かたにはそれなりの理由があります。私はそれに対して声を上げて抗弁しようとは思いません。イエス様はそんな声高な議論を喜ばないからです。

今日あったイベントについて静かにご報告するだけです。

小金井市にある11の宗派の違う教会の信徒が一緒にイエス様の福音書を読み、神様が人々を強く愛して下さるようにと祈りました。このような合同祈祷会は既に何回も行われているのです。今日の合同祈祷会は日本アライアンス教団小金井教会で行われました。

自分はカトリックなのでプロテスタン教会の祈り方や儀式の様子に馴れていません。始めの数回はオドオドしていました。

しかし、今日もそうですが、最近は、私は安心しています。心地良いのです。全てをイエス様にお任せして合同祈祷会を楽しめるようになりました。教派の違いが全然気にならなくなったのです。そして今日はまた変なことを考えて祈っていました。

キリスト教を排他的だと思っている一般の人々もこの合同祈祷会を見て貰いたいと考えていました。出席すればキリスト教は排他的でないことがお分かりになれます。戦闘的でもありません。知らない同士が楽しげに、平和に話合っているのです。

16世紀にヨーロッパで起きた宗派の違いによる戦争の敵味方が日本で和解しているようです。いやそうではありません。故ヨハネ・パウロ2世はかつてのカトリックの宗教裁判の間違いを謝罪し、和解を求めたのです。その精神を日本人も大切にしているのです。

今日はいつも出席している我らがディン神父様は黙想会へ行っていて欠席です。でも心細くありません。

このブログで以前ご紹介しました丸山牧師や橋本牧師や宮川牧師がみなニコニコしているのが見えるのです。この小金井KC-ネットワ-クの組織化に尽力した山本量太郎神父の話も出ていました。

そして一般の近所の人々も出席していたらもっと良かったと思ったのです。教会は地域に溶け込んで、地域の人々に愛されるようにと私は祈っていました。それが私の今日の祈りでした。

下に今日の祈祷会関連の写真をお送りします。

説教をしている若い女性はカンバーランド長老キリスト教会の関伸子伝道師です。東北地方の大津波の被災地でのボランティア活動の報告が印象的でした。

宮本起代子さんがオルガンを弾いて下さいました。

祈祷会のあとで三番目の写真のように懇親会もありました。

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人間の心変わりの早さ・・・飽き易さ、根気の無さ、節操の無さ

2012年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

26年間、ヨットを趣味にしていました。昨年の秋、ヨットを売って、キチンと幕を引きました。

この26年間、他のモーターボートやヨットの構造も見て、観察して来ました。出港した後の走りや性能をいろいろ考えて楽しむためです。持ち主が居たら、丁寧に挨拶をしてエンジンや船室の内部を見せていただきます。

しかし、とても心が痛むこともあります。それは持ち主が長い間来ない船が多いことです。ヨットやモーターボートに憧れて購入したのですが、数回乗っただけで、すぐに飽きてしまったのです。一旦始めた趣味を続ける根気が無いのです。係留地を大切にしようという気持ちもありません。一度は愛した自分の船に対して節操もないのです。

三浦半島のヨットやモーターボートの係留地を見るのが好きで、今でも時々行っています。しかし多くの船が長い間、放置されたままです。そのような船は係留ロープがキチンとしていないのですぐに分かります。

有料の係留地にある船はまだ良いのです。管理者が係留ロープだけは緩んでも切れないようにしています。船が沈まないように注意しています。

しかしもっと悪いのは川岸や海岸に無断で係留している船が、放置艇になった場合です。

行政官庁が撤去する法律が曖昧な上に、撤去の予算が無いのです。

下に示した写真には20年以上、放置されたままになっているモーターボートとヨットが写っています。

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豪華なモーターボート1隻の回りに5本のマストが見えます。5隻のキャビン付きのヨットが係留されています。

この風景が、なんとなくロマンチックなので、20年ほど前に、そばまで行って見ました。

ところが、そこには驚くべき光景があったのです。ホームレス達が住み着いていたのです。船の中には料理台もコンロも流しもあり、住むには便利です。特に大きなモーターボートには客室と料理場と寝室が別々にあって具合が良さそうです。

あまり熱心に覗き込むのも失礼なので早々に退散して来ました。

このような持ち主の分からない放置艇が全国に22万隻あるという報告書もあります。国土交通省の平成18年度の調査報告書です。

人間の心変わりの早さ・・・飽き易さ、根気の無さ、節操の無さを示している光景です。心が暗くなります。

何故、このように放置艇が多いのでしょうか?理由は3つほど考えられます。

(1)ヨットやモーターボートのロマンチックな絵画や写真を見て、安易な気持ちで買ってしまう人が多いのです。

特に水着の美人が船の上に立っている宣伝写真が多いのです。このような写真は冗談です。女性は原則として船が好きではありません。恋人や家内が浮世の義理で、たまに来てくれるだけです。絶対に来ない奥さんが大部分です。それが普通です。

(2)中古のヨットやモーターボートは数十万円です。働いている中年の人には気軽に買える値段です。ところがマリーナや漁港の年間係留料が高いのです。100万円以上のところが沢山あります。

そこで無料の川岸や海岸に留めます。しかしそういう場所は台風や大雨になると船が流されてしまうのです。

次第に興味がなくなり、船へは行かなくなります。そして上の写真の船のようにホームレスの住む家になってしまいます。

(3)日本には船を趣味として楽しむという文化が無かったのです。それには根気と責任が必要だという厳しさがある文化なのです。その伝統が無いのです。

日本では昔から船は魚をとるか、荷物やお客を運ぶためにだけ使用して来ました。船はお金を稼ぐ道具です。

船そのものを遊びの対象にする文化が無かったのです。

勿論、川下りの船や屋形船は遊びの船です。しかしそれは景色を楽しんだり、船上で花や月を眺めながらお酒を楽しんだのです。

船そのものの構造をいろいろ変えて、その走り方を楽しむ趣味は欧米の文化だったのです。根気と自己責任が要求される趣味なのです。

放置艇は欧米の文化に深く根ざした「船の趣味」を安易に輸入した証拠です。伝統文化でないので経済事情でされます。バブル経済のころはヨットもモーターボートも急増しました。不景気になると途端に減少するのです、

さて話は変わりますが、このような事は趣味の世界だけに限りません。

明治維新以来輸入した欧米の科学と技術のいろいろな分野や場面に見られることです。

しかし日本人は根気良く修正をして来ました。根気良く改良改善をして来ました。そして有数の工業国になったのです。経済も発展したのです。

放置艇も次第に処分されるようになって来ました。もう十年もすると日本の川岸や海岸から目障りな放置艇が消えてしまうと思っています。日本はもっと、もっと住み良い国になると信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


今日は旧甲州街道の小仏峠まで登って来ました

2012年07月13日 | 写真

平らな公園をいくら歩いても足が強くならないようです。次第に脚力が弱くなるので、今日はほんの少しの登山をして来ました。

旧甲州街道を車で入れるところまで登って、そこの駐車場に置いて、登ります。

小仏峠までは杉林の中をジグザグに登ります。急坂です。今年初めての大汗をかきました。

数多くのウグイスが鳴いています。ホーホケキョ、と谷渡りのケキョ、ケキョ、ケキョという美しい声が交互に木霊しています。

40分で小仏峠に着きました。向こうのほうは相模湖です。小原宿に続く甲州街道が斜めに下っています。

峠の上の広場を散策していたら、甲府に行幸した明治天皇が此処で一休みしたと刻んだ石碑があります。甲武鉄道が甲府まで開通するまでは、この小仏峠を越す甲州街道がだだ一つの交通路だったのです。それにしても狭い悪路です。こんな道が甲州街道だったとは江戸時代の道の貧弱さに胸がつまります。

写真を撮ろうとしたら電池を入れ忘れています。老人ボケです。

下に昨年の5月に撮った写真をお送りいたします。

小仏関所は峠の江戸よりにあります。・・・八王子宿ー駒木野宿ー小仏関所ー小原宿・・・へと続きます。

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日本民族の戦争を考える(4)いろいろな戦争犠牲者と被害者の鎮魂のために

2012年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

夏になり、お盆が近づいて来ました。先日、靖国神社の「みたままつり」に関する記事を掲載してから戦争の犠牲者をいろいろな角度から考えています。

戦争の犠牲者や被害者は本当にいろいろです。

前線で戦闘中に戦死した人。

戦地の食料難で餓死した人。

特攻隊として戦闘機や魚雷艇に乗って敵へ突っ込んで行った人。

輸送船や軍艦がアメリカの潜水艦の魚雷でやられて死んだ人。

戦地で亡くなった従軍看護婦たち。

沖縄ひめゆりの塔の女学生達。健児の塔の旧制中学生達。

樺太で最後まで職務を遂行した電話交換手の乙女たち。

戦地で負傷した多くの人々。

内地や外地での空襲で家を焼かれ、焼け死んだ人。

学童疎開で飢餓を経験した人。

B、C、A級戦争犯罪裁判で処刑された人。

そして復員はして来たけれど人格破壊で家庭崩壊をしてしまった人。

職業につき一見平穏に暮らしたが心の中は死んだ戦友のことで何時も不幸だった人。

そして戦争で人格破壊した夫を持った妻の悲惨な一生。家族の苦悩。

自棄になった復員兵の犯罪の犠牲になった人。

戦争の被害者は数限りありません。

そして敗戦以来、茫々62年。戦争の犠牲者やいろいろな被害者も多くは旅立って行きました。

全ての戦争の犠牲者と被害者の鎮魂を祈る夏が近づいて来ました。

祈りましょう。全ての犠牲者と被害者の冥福を。

お釈迦様の慈悲が豊かにありますように。そして出征して行った村村の鎮守の森で。神社で。そして教会で。神の慈しみがありますように。

戦争は人間を悪魔にします。人格を破壊します。お寺も教会も焼き尽くしました。

欧州でも数多くの教会が徹底的に爆撃されたのです。ユダヤ人の大殺戮もありました。戦争は人間を本当に悪魔にします

二度と戦争を起こさないように祈りましょう。

そしてあなたにとって可能なら、敵国の戦争犠牲者と被害者のためにも鎮魂を祈りましょう。

これで、「日本民族の戦争を考える」という題の連載記事の終りと致します。

全ての戦争犠牲者、被害者を少しでも慰めようと下の4枚の写真をお供えします。

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大きな樹木の写真は小生が撮ったものです。あとの3枚は江島達也さんの許可を貰って彼のブログからお借りしました。出典は、http://hayabusa-3.dreamlog.jp/ です。


日本の政治の混迷を憂える・・・小沢新党の結成

2012年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、小沢氏が党首になって「国民の生活が第一」という新しい政党が結成されました。党員は総数49人で、民主党の342人、自民党の202人に続いて第三番目の政党が出来上がったのです。

消費税に反対投票をして、民主党の処分にあい、除籍させらてたので出来上がった政党です。どたばたと急に作った様子が現在の日本の政治の混迷を象徴しているようで憂慮にたえません。

小沢氏は過去に、新生党(1993年結成)、新進党(1994年)、自由党(1998年)、と3つの政党を自分で作り、自分で解散してきました。

そして今回の「国民の生活が第一」の結成です。

以前からこのブログでは小沢氏に、外交戦略が無いことを非難してきました。財政再建の具体的提案の無いことも非難してきました。

そして今回は「原発反対」も掲げています。多くの国民は原発に反対です。

そして党名を「国民の生活が第一」としています。

国民は誰でも自分の生活を少しで楽にしようと汗水たらして働いています。国民の生活が第一などと言われなくてもそれは当然過ぎることです。

日本人は原発は危険だから止めにしたいと皆が思っています。しかし停電で家の中が真っ暗になるのは嫌です。工場の生産が止まり、経済不況になるのも困ります。

ですからそうならないようにしながら原発を次第に火力発電に換えて行かねばならないのです。水力発電や太陽電池も活用しなければいけません。

そんな事は誰でも分かっています。問題は何年後に原発の割合を20%まで減少させるか?その時の火力発電の燃料コストはどのくらいに増大するのか?太陽電池推進のどのような政策を作るのか?などという具体的な提案や指針の発表が無いのです。

それにしても、いかにも国民に迎合したような、党名と原発反対を掲げたものです。

すべて思いつきのようです。安易過ぎます。

政治とは一時的には国民の反対を無視しても長期的な国益を深く考え、信念を持って実行してゆくべきです。

目先の自分の権力維持だけで右往左往しては国民の生活が楽になりません。

野田総理が偉いように見えるのは目先の増税反対に逆らって消費税増額の政策を衆議院を通過させたからです。それも自民党と公明党を説得して賛成に回ってもらったのです。このような国会運営はここしばらく無かったことです。良い政策を提案すれば、野党も賛成してくれるのです。

そして原発反対の合唱に逆らって大飯原発を再稼働させたのです。この夏の関西地域の停電を防止するためです。それは勇気ある決断です。大飯原発を再稼働したからといって、休止中の48ヶ所の全ての原発を動かすとは決断していないようです。

そのように慎重に現実の問題に対処してゆく野田氏の政治姿勢に比較すると小沢氏の政治姿勢は残念に思います。

勿論、小沢氏を支持し、支援している国民が多くいることも事実でしょう。それが民主主義なのです。ですから小沢氏を憎んだり、個人攻撃をすることは尊敬できません。あくまでも小沢氏の政策や政治姿勢だけを非難したり、支持したりすべきと思います。それにしても最近の政治の混迷ぶりは憂えざるを得ません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)


他人を差別し、軽蔑する気持ちはこうして生まれます・・・恥かしながら自分の気持ちを実例にします

2012年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

どの国の人々でも自分と違う人を差別し、そして軽蔑する傾向があります。人間の「さが(業)」なのです。

見かけによって黒人を差別したりします。そして理由にも無く軽蔑するようになります。それは人間として恥かしいことです。非常にいけない事です。

近年は流石に、そのような人種差別は無くりましたが、つい数十年前まであったのです。アフリカからの奴隷貿易の時代から、それを当然として、全然、恥ていませんでした。恐ろしい事です。

しかし、人間の差別心や軽蔑心が消えてしまったと考えたら、それは大間違いです。

欧米人や日本人はイスラム教国の人々を差別していませんでしょうか?軽蔑していませんでしょうか?

こような民族間の差別ばかりではありません。

正社員は派遣社員やアルバイト社員を差別しているかも知れません。人間が他人を差別する理由は浜の真砂の数ほどあるのです。

その一つの実例です。ヨットをしている人は、モーターボート趣味の人を差別し、軽蔑している場合があります。内心そのように思っていても決して口には出しません。

はっきり言えば、私はモーターボートを趣味にしている人々を差別し、軽蔑していました。していましたと過去形で書いたのは、現在はそんな恥かしい心を克服したからです。全くバカバカしい差別と軽蔑です。その理由を写真で説明いたします。

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上の3枚はヨットの写真です。江東区の夢の島にある東京マリーナで一昨日撮って来ました。下の写真も同じところで撮ったモーターボートの写真です。

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ヨットには高いマストが立っています。モーターボートにはマストがありません。ですから写真を見るとどれがヨットで、どれがモーターボートかが簡単に区別出来ます。

ヨットもモーターボートも同じ船舶操縦士免許で航海できます。海上に出れば同じ規則と法律に従います。法律の上では全く平等なのです。

そこで何故、ヨット趣味の人がモーターボート趣味の人を差別し、軽蔑する傾向になるか理由を書きます。

(1)ヨットは帆を上げて、その形を微妙に調整して風を掴んで走ります。大変高度なテクニックを必要とします。しかしモーターボートはオートマッチックの自動車と同じようにアクセルのコントロールだけで走れます。高度な訓練が必要でないのです。

(2)ヨットは港への出入りの時だけエンジンを使います。ガソリンがほんの少ししか使いません。モーターボートは常時ガソリンを湯水のように消費します。燃料代が馬鹿馬鹿しいほどかかります。ボートに乗っている人の愚かさを見ているようで優越感を持ってしまいます。

(3)もっと本質的な理由はヨット趣味の人は風や波と静かに遊んでいます。自然を大切にしています。それは高尚な趣味です。モーターボート趣味の人は強力なエンジンで力任せに海面を滑って行きます。風が吹こうが波があろうが一向に気にかけません。自然を征服しようという趣味なのです。とても高尚な趣味とは言えません。つい軽蔑したくなります。

私は以前上のように考えてモーターボート趣味の人を軽蔑していまいた。水の上ですれ違ってもモーターボートは無視です。ヨットの人には帽子を取って挨拶をしていました。

こんな理由にもならない理由で軽蔑していた人に座礁したとき牽引して貰って助け出されたのです。救助の信号を上げて助けを求めたとき助けに来てくれたのはモーターボート趣味の人でした。ニッコリ笑って、「今、引っ張り出してあげるから安心しなさい」と言われた時には心底ホットしたものです。

それ以来、私はモーターボート趣味の人へも丁重に挨拶をするようにりました。

恥かしい、馬鹿馬鹿しいお話で失礼しました。(終り)


暑い日、眺めるだけで涼しくなる風景写真をお楽しみ下さい

2012年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝は暑い陽射しが、目の前の窓の外のムクゲの花に照りつけています。

こんな時に無宗教がいけないとか、仏教徒とキリスト教を比較するとこうなるとかという面倒な議論は止めにしました。そんな事はどうでも良いことなのです。

涼しげな風景写真を見て、今日も一日静かな気持ちで過ごすのが一番良いのです。議論よりも心の平安が大切です。

下の写真は「永平寺の画像検索」からお借りしました。

永平寺は曹洞宗の本山で福井県の山の中にあります。私も3回ほど訪問しました。好きなお寺です。

建物が壮大ということも好きな理由ですが、もっと感心な事は何時でも修業僧が掃除をしたりしているのです。要するに生きているお寺なのです。そうです。今日の写真集のテーマは、「生きているお寺の風景」とします。

人間の姿も含めて以下の写真をお楽しみ下さい。

今日も皆様の心が平安でありますようにお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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