引退すると時間が出来ます。人生のこし方を振り返ったり、趣味を楽しんだり出来ます。気力も衰えてきて、怒る元気も無くなってきます。周囲の人は、「老年になって人格が出来てきた」と、本気で褒めてくれます。本当は怒る気力が次第になくなってきただけです。その頃になると死んだ後に遺族に迷惑をかけないように自分のお墓をたてる気になります。数年前に気楽につくってしまいました。遺族が行きやすい交通の便のよい郊外の墓地です。どんな宗教でも良いそうです。中年になってからヨットを続けてきましたので、墓石には「風」という一字を大きく彫りつけました。広大な小平霊園のそばにある花の絶えない墓地です。良心的な墓石屋さんが運営・管理しています。時々家内と一緒に遊びに行って自分達の墓を見ます。四季折々花々が絶えないように墓石屋さんが栽培しています。小さな花の公園へ遊びに行った気分で楽しいです。
ところが最近、墓をつくらないで海や山へ散骨をする人々が増えて来たそうです。
「散骨の仕方」として検索すると、適切な案内があります。礼儀正しく、周囲の人々へも配慮して行う限り、特別な許可は不要なようです。今日、「人生いたるところに青山あり」という記事を掲載しましたところ、メルさんという方から義父の方の散骨の様子をコメントととしてご投稿してくださいました。以下にご参考までにご紹介いたします。
藤山様
おじいちゃん(義父)の散骨場面を載せてたブログをご紹介して頂いて、ありがとうございます。
父は東大の造船科を出て、初めは軍艦を設計していましたが、余力でヨットを設計しては、自分で作り、母が帆(セ-ル)を縫い、ブログの写真の下田から出たそうです。 その後は 亡き、石原裕次郎さんや、現石原都知事さんの船も設計したりするところまでいきました。
ヨットを自ら設計し、自ら乗り、設計した数は少なくとも60艇はあったそうです。
仲間に愛され、散骨の時は、たくさんのヨットが油壺の海に出て、皆さんに見守られながら、逝きました。(私のブログ、ヨット編に載せています。)
悲しみと、清々しい気持ちが入り交じって 涙したことが昨日の事のように思い出されます。
その後、おばあちゃん(義母)も同じ位置に散骨しました。
きっと今頃は海の底で二人仲良く、幸せに眠っていることでしょう・・メル
(藤山からの補足:このおじいちゃんはヨット乗りには有名な渡辺修治さんです。ヨット専門誌の「舵」へ度々寄稿されていまいたので名随筆をお読みになった方も多いと思います)
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以上は海への散骨の実例です。どなたか山へ散骨された方で、もしその様子をお教えくださる方がいらっしゃいましたら嬉しく思います。
「風」という墓標の下に入るのも良いし、分骨して海や山へも散骨するのも良いとも思っています。すこし欲張りなことを考えて独りニヤニヤして楽しんでいます。
死んでしまえば無になる。墓も偶像も作るなと厳命して涅槃についたお釈迦様の教えに従えば墓も散骨も考えるべきではないのでしょう。さて、皆様をご自分のお墓のことを如何お考えでしょうか?
(終わり)
コメント有難う御座います。渡辺修治さんは有名人なので本名をお書きになっても良いと思います。それと御義父さまの思い出の記を少しずつブログへ掲載されるとヨット趣味の方は喜ぶと思います。
御義母さまがセールを縫ったとありましたが、曲面をどのようにして縫って行ったか興味があります。
コメント有難うございました。
敬具、 藤山杜人
私のコメントをそのまま載せて頂いて恐縮しております。
義父の事をご存知だったので、さらにびっくりしました。
亡くなって4年近くも経ちますのに、覚えて下さっていて、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
義父が「俺のことを忘れないで」と今頃になってまだ、存在を発揮しています。
ひょうんなことからこのブログを始めましたが、まだまだ義父の残してくれた物は多く、メル母さんの姿に変えて、伝えてくれるよう頼まれている気がします。
今後とも宜しくお願い致します。 メル