後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

懐かしいオート三輪車の写真

2014年09月24日 | 写真

昭和30年頃前後まではオート三輪車が全国で活躍していました。野菜や荷物の運送にはきまってオート三輪車でした。それが高度成長期に入ると次第に姿を消し1980年頃には日本では見ることができなくなりまた。

昔の子供はオート三輪車にみな憧れて、乗ってみたいと思っていました。それに乗れる子供は青果業や酒店などの子供だけでした。

仙台に居た少年の頃、二三度だけ運送業のオジサンに危なっかしい助手席にも乗せてもらい怖い思いをしたことがあります。

とにかく乗り心地が悪いのですが、すごく感動的な乗り物でした。

中国や東南アジアにエンジン付きの三輪車が今でも走っていますが、日本のオート三輪とは全く違います。懐かしい乗り物ですが、もう二度と見ることが出来ません。

先日、河口湖自動車博物館でその昔のオート三輪者車を見つけましたので懐かしく思いました。

そこで下に昭和30年頃の小金井市の多摩青果市場の前に勢ぞろいしたオート三輪の写真をお送りいたします。(写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。)

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そしてこのオート三輪者は何時頃から使わられていたか調べましたら、戦前の写真を見つけました。下がその写真です。

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上は浅草のある仏具屋さんの店先の風景です。2代のオート三輪車と自動二輪車が写っています。 出典は、 http://www.nihondo.net/aboutus/histry.html です。

尚、オート三輪の国内での製造の歴史にたついてはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E4%B8%89%E8%BC%AA をご覧下さい。この資料から、 下に戦前からのマツダのオート三輪車の基本形の写真を示します。

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懐かしいオート三輪車の写真 2014年09月03日 | 写真 昭和30年頃前後まではオート三輪車が全国で活躍していました。野菜や荷物の運送にはきまってオート三輪車でした。それが高度成長期に入ると次第に姿を消し1980年頃には日本では見ることができなくなりまた。 昔の子供はオート三輪車にみな憧れて、乗ってみたいと思っていました。それに乗れる子供は青果業や酒店などの子供だけでした。 仙台に居た少年の頃、二三度だけ運送業のオジサンに危なっかしい助手席にも乗せてもらい怖い思いをしたことがあります。 とにかく乗り心地が悪いのですが、すごく感動的な乗り物でした。 中国や東南アジアにエンジン付きの三輪車が今でも走っていますが、日本のオート三輪とは全く違います。懐かしい乗り物ですが、もう二度と見ることが出来ません。 先日、河口湖自動車博物館でその昔のオート三輪者車を見つけましたので懐かしく思いました。 そこで下に昭和30年頃の小金井市の多摩青果市場の前に勢ぞろいしたオート三輪の写真をお送りいたします。(写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。) 0073_11 ・ 0073_21 そしてこのオート三輪者は何時頃から使わられていたか調べましたら、戦前の写真を見つけました。下がその写真です。 Syodai1_2 上は浅草のある仏具屋さんの店先の風景です。2代のオート三輪車と自動二輪車が写っています。 出典は、 http://www.nihondo.net/aboutus/histry.html です。 尚、オート三輪の国内での製造の歴史にたついては、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E4%B8%89%E8%BC%AA をご覧下さい。この資料から、 下に戦前からのマツダのオート三輪車の基本形の写真を示します。

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