後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ルピナスやマーガレットの美しい北海道に花咲いた縄文文化

2016年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の本州、四国、九州の旧石器時代は4万年前から12000年前までの28000年間、縄文時代は12000年前から紀元前300年前までの11700年間、そして弥生時代は紀元前300年から紀元後300年までの600年間と言われています。そしてその後は古墳時代を経て大和朝廷の時代へと続くわけです。勿論この時代区分は日本の地方、地方によって異なります。
しかし北海道の歴史は旧石器時代と縄文時代までは本州北部とまったく同じでしたが、それ以後の弥生時代や古墳時代は存在せず縄文時代が続き、やがてオホーツク文化の影響の強い擦文模様の土器の時代になります。そしてその後に明治時代まで続くアイヌ文化へと発展したのです。この書き方は大変雑ですが北海道の歴史を簡略に示したものです。
北海道は5月頃からルピナスやマーガレットやアヤメの花などが咲きだして美しい野原が広がっています。そして街路樹のアカシアも咲き出します。本州では季節ごとにずれて咲く花々が一斉に開くのです。
白樺や楡の木やブナノキの若葉が萌え、北海道の皐月は観光シーズンの始めです。
それではルピナスやマーガレットやアヤメの花々の写真をご覧ください。

この1番目と2番目の写真は道南の森町の道端で2012年の5月に撮りました。

この麗しい北海道に縄文文化が栄えていたのです。
しかしよく考えてみると、縄文時代(12000年前から紀元前300年前)に日本列島の北部に広く住んでいた人間はアイヌ人でした。ですからアイヌ人が縄文土器を多量に作ったのです。すなはち大部分の縄文人とアイヌ人は同じ人間だったと想定できるのです。
その後、朝鮮や中国か渡来した人が主になって弥生文化や古墳文化を作ったと考えられます。しかし北海道に居た縄文人(アイヌ)は渡来人と混血しないで独自の文化を伝承したのです。この北海道人こそが近年まで北海道に住んでいたアイヌ人なのです。
本州に居たアイヌは大陸からの渡来人と混血し弥生人になりました。そして本州を中心に棲みつき現在の日本人の先祖になったのです。
渡来人の血が濃いのは九州や大和地方の人で、アイヌの血が濃いのは東日本の人です。私は宮城県で生まれましたのでアイヌ人が祖先と言っても大きな間違いがありません。
それはさておき縄文人イコールアイヌ人。そして私の先祖。この大胆な仮説を信じるようになったのは北海道の函館市臼尻小学校付近から出土した多量の精巧な土器や土偶を見た瞬間です。瞬間的に確信しました。北海道にこんなに多量の縄文土器があることに吃驚しました。
岩礁の迫った険しい地形の海岸の臼尻町は孤立した村落でした。市町村合併で函館市になりましたが非常に辺鄙な漁村です。そこに立派な縄文土器の展示館があるのです。衝撃的な展示物は国宝に指定されている中が空洞になっている高さ41・5センチメートルもある大きな土偶です。詳細は、函館市縄文文化交流センターを検索すると出ています。
約1万年前から2000年前にかけて北海道には広く縄文土器が存在していたのです。当時はアイヌ人しか北海道に住んでいなかったのです。ですから縄文人イコールアイヌ人という結論になります。
3番目の写真は私が撮った臼尻町の縄文土器センターで撮った土器の写真です。

4番目の写真は精巧な石器の刃物です。

そして5番目の写真は国宝の中空土偶です。この写真はよく教科書に出ていたので、ご覧になった方々も多いと思います。

国宝級の縄文土器が北海道に存在していたとは驚きです。しかしのちに調べて判ったことですが、縄文文化は北海道西南部と青森県を中心にして花が咲いたのです。、
縄文土器展示館を見ながら係員の専門家へ、「アイヌ人と縄文人は同じ人なのですか」と聞きました。係員は、「いろいろな説があり結論は出ていません。しかし、北海道ではアイヌ人は縄文人の子孫と言われています」と答えます。

もう少し詳しく言うと、北海道から出土する縄文土器は円筒形をしたもので、同じような土器が北東北地方からも出てきます。
同じように黒曜石で作った矢じりや小刀は北海道も北東北も同じ産地の黒曜石を使っていました。矢じりを矢に接着するアスファルトも同じ秋田県産のものを使っていたのです。
この縄文時代の後に、アイヌ人と大陸からの渡来人との混血によって弥生人が出来て行きます。そうしてこの弥生人がアイヌ人(縄文人)を次第に北海道へと駆逐して行きます。
その後、大和朝廷は仙台市の多賀城に北端の城柵を作り、アイヌと違った文化圏を作りあげて行ったのです。
この歴史的な事情が日本人とアイヌ人の分離と住み分けに繋がって行くのです。
そして明治維新以後に、明治政府が北海道開拓を推進し、アイヌ人を日本人へ同化し、混血が進み、アイヌ人は日本人と融合してしたのです。
雄大な歴史ロマンではありませんか?

縄文時代には北海道も北東北も同じ円筒形縄文土器を使っていたのです。
6番目の写真にその円筒形の土器の分布図を下に示します。出典は、「南茅部町と北東北の交流」:
(http://isikari.genin.jp/kitanokodaisi/kitanojiyomon/kitatouhoku/kitatouhoku.html )です。

詳しく書くとあまり長くなるので続きはいずれ掲載したいと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)