後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

孫子の兵法、そして韓国の反日外交の原因としての韓国憲法

2015年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム
皆様こんにちは。少しだけ日韓友好について書きたいと思います。
しかし日韓友好に反対の方々の為に、一昨日撮ってきた富士山五合目付近の紅葉の写真をお送りいたします。写真だけでもお楽しみ下さい。
さて、ある国と戦争をする場合に孫武は2500年も前に教訓を残しています。
この有名な孫子の兵法は戦争の場合だけでなく現在の外交交渉でもよく使われています。それだけではありません。経営者やビジネスマンに愛用されているのです。その兵法の一部だけを示します。
彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。
  彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。
  彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。

実に明快ですね。日本が真珠湾攻撃をし、その後アメリカに敗れたのは、「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。」の通りだったのです。
さて日韓友好や、あるいは外交交渉で韓国に勝つためには日本人は韓国の実態を徹底的に知ることが必要です。
それこそが「 彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。」なのです。
ところで日韓関係の障害の一つに韓国併合があります。1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合した事実です。この後、日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日の朝鮮総督府の降伏まで、35年間続いたのです。これはまぎれも無い明白な事実です。
それを受けて現在の韓国の憲法が出来上がっているのです。
その前文の抜粋を見てみましょう。
「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、1948年7月12日に制定された」
この前文の冒頭にある「大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」という部分を日本人の多くは知りません。当然、無視しています。
三・一運動(さんいちうんどう)とは、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった日本からの独立運動です。ですから現在、韓国では3月1日を三一節として祝日に指定しています。
以上のように韓国の憲法に書いてあることはまぎれもない事実です。
このように書くと1919年に上海で成立した「大韓民国臨時政府」は架空のもので、その首班の李承晩はハワイに居たという感情的な反対をする人がいます。何度も書きますが感情的になればなるほど日本の利益が守れないのです。
たとえ脆弱な臨時政府だったとしても韓国の憲法に「現在の韓国政府は1919年の臨時政府から始まる」と明記してあるのは事実なのです。
日韓関係が良くない原因はいろいろありますが。その根本はこの憲法の前文にあると私は考えています。
さて先日、下のような目立たない小さな記事がありました。
「韓国大統領:上海の改装式典に出席ー臨時政府旧庁舎」
毎日新聞 2015年09月04日 21時12分
 【上海・大貫智子】中国の抗日戦争勝利記念行事出席のため訪中している韓国の朴槿恵大統領は4日、日本の植民地時代に独立運動の拠点となった上海の「大韓民国臨時政府」旧庁舎改装オープン式典に出席した。韓国は、中国が韓国の独立運動を評価したことを歓迎しているが、日韓関係の改善を目指す朴大統領は式典での激しい対日批判は避けた。(以下省略)
また嫌がらせをしていると顔をしかめる人も多いと思います。
しかしこの小さなニュースこそ日韓関係史の中で重要なある出来事を明確に示しているのです。日韓関係を少しでも改善すべきとお考えの方は以下もお読みください。
上海に亡命した人々が大韓民国臨時政府を組織したのです。その代表に選ばれたのが李承晩でした。
しかし世界情勢は韓国にとって不利でした。第一次世界大戦で戦勝国になった日本を尊重し、欧米各国はこの上海の臨時政府を承認しませんでした。
時が流れ、第二次大戦が終了すると韓国は独立します。そしてこの臨時政府代表だった李承晩が初代大統領になったのです。当然ながら李承晩大統領は反日的な政策を次々と実行します。
そして出来上がった韓国の憲法の前文には独立運動の1919年の三・一運動が明記されたのです。
この憲法に忠実に従って槿恵大統領は北京から遠い上海まで行ったのです。
韓国の独立運動の拠点となった「大韓民国臨時政府」が使っていた旧庁舎を改装しオープン式典が行われたのです。
一方、伊藤博文を暗殺したトマス安重根の記念室をハルピン駅に整備したのも中国政府でした。
これらの記念室や臨時政府庁舎の整備は本来韓国の費用でするべきであるのは当然ですが全て中国政府が出したのです。
皆様は上海に1919年、韓国の臨時政府が出来、李承晩がその代表だったことはご存知でしたでしょうか?私は知りませんでした。
今更、日本人が朝鮮の併合を卑屈に謝る必要はありません。
しかし上海に1919年から韓国の臨時政府が存在し、現在の韓国政府はその臨時政府の延長にあると憲法の前文に明記してあることだけは知っておく方が良いのではないでしょうか?これこそが孫子の兵法の「敵を知れば百戦あやふからず」です。
ついでに韓国における反日教育についてのあるネット記事をご紹介します。
以下は、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212123017からの抜粋です。
「私は日本に住んでいる20代の韓国の男です。
恥ずかしい話なんですが質問の通り韓国の小学生時代、学校の先生にそういう反日教育を受けまてました。
当時の私の年齢だとごく一部のことじゃなく全学生がそういう教育を受けてると言っても間違いない位です。
"日本は悪い国""日本製の品物は買っちゃダメ""日常生活で気づかなく使われてる日本語使用禁止""日本語書き込むことなど一切禁止"などです。(韓国の法律には昔も今も絶対こういう法律がないので誤解しないで下さい)
別に韓国の法律に明示されてはないですが、国民の9割以上はこういう傾向がありました。
それが当たり前のことだと思いますし、そういう教育で洗脳されてた私の場合は、たまにどこかに書いてある日本語の文字が目に当たるとすごく嫌な気持ちになってなんか悪いことでもしたようないやらしい気持ちになってたりしました。今はそんなことないですが当時には日本語の文字ってすごく不良な形って感じでした。(今思ったら笑っちゃいます)」以下省略。

さてここで私の書きたいことを書きます。
まず日韓両国民は現在の日韓関係とある距離を置いて少し客観的に考えることが重要なのです。そして韓国人が日本のことを悪く思い、憎むのは韓国人自身の人格を傷つけ、自分が不幸になっていることに気づくべきです。それは韓国人の問題で外国の人にはどうすることも出来ないのです。
同じように日本人が韓国人をさげすみ悪く言うのは、自分自身の人格を傷つけ、自分が不幸になっていることに気づくべきです。それは日本人自身の問題であり韓国人とは関係の無いことです。
日韓両国民はかなりの距離を置いてお互いに他人同士として尊敬しあい、建設的な態度をとるべきだとと私は思います。
それが迂遠ではありますが、日韓友好への道になると信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)