令和4年8月10日(水)
長崎原爆忌
長崎は8月9日、米軍の原爆投下から77年を迎えた。
長崎市の平和公園では「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が
が営まれた。
式典の開催される前、式場では被爆者歌う会「ひまわり」の
合唱が披露された。 この会のメンバーはご高齢の方が多く、
今回が最後の公演である。
メンバー最高齢者の宇木和美さん(82歳)は、2歳の時に自宅
で被爆された。この被爆体験を基に広く活動を続けられてきた。
そして歌う会に参加され今日まで歌い続けてこられた。
「聞こえていますか被爆者の声が、あなたの耳に聞こえています
か。もう二度と作らないでわたし達被爆者を、あの空さえ悲しみ
の色。覚えていますかヒロシマ・ナガサキ、いのちも愛も燃え尽き
たことを、もう二度と作らないでわたし達被爆者を。あの忌わしい
日を繰り返さないで。聞こえていますか世界の国から、平和を願う
声がするでしょう。」
海星高等学校の山下咲子さんと今道和美さんの司会で式典が開始。
田上富久長崎市長と遺族代表による「原爆死没者名簿」の奉安が
行われた。昨年一年間で3160人の死亡が確認された。累計で
192310人となった。
遺族代表と小中高生の5名による「献水」が慰霊塔に奉げられる。
次いで、「献花」が田上市長、岸田首相の他、政界、来賓等が順
次奉納される。
原爆が投下された午前11時2分、「平和の鐘」を合図に参列者
全員が起立・黙祷を捧げた。
田上長崎市長の「平和宣言」、
「原水爆禁止世界大会が1956年に初めて長崎で行われた折り、
被爆で半身不随となった被爆者渡辺千恵子さんが会場に入った際、
カメラマンのフラッシュが一斉に、、「ヤメロ、見世物じゃない」
という声、、その時に渡辺さんは、「世界の皆さんどうぞ私を写
して下さい。そして二度と私を創らないで下さい」と訴えた。
核保有国のリーダーの皆さん、この言葉に込められた魂の叫びが
聞こえますか。どんな事が在っても核兵器は使わないで下さい。
今もメデイアにより、戦争の現実を目に、耳にします。戦禍で多
くの日常が、命が奪われています。、、、、
私達自らが「戦争はダメだと声を挙げることが大事です。」
被爆者代表の宮田隆さん(82歳)の「平和への誓い」
「82歳の私が10年前に発症した癌の悪化で苦労しています。
然し多くの被爆者は、私以上の苦しみに耐え生き抜いています。
参列者の皆さま被爆者といかに対面し、被爆者の心の痛みと実相
を聞いて世界に広く伝えてください。ロシアの核の警告により、
世界は核の戦争の危機に直面し、一部の国会議員には核の共有論
も出て居ます。核の傘下や共有は「抑止」に在らず。
今こそ核の傘から抜け、平和国家の構築に努力すべきです。
被爆者は77年間、怒り、悲しみ、苦しみを乗越え生きて来まし
た。これからも被爆者のない世界の実現に向け、この願いを引き
継いでまいります。」
この後、山里小学校児童による「あの子」の合唱が披露される。
岸田首相の「式辞」が述べられた。
挨拶の中身は「広島原爆死没者慰霊記念式典」と全く同じで、
原爆死没者へ哀悼と、今後も非核三原則を守り、、云々、、、」
を述べるに留まり、核兵器禁止条約への署名や批准に対しては
何の答弁もなかった。岸田首相には、就任当時に「脱安倍」を
の少し期待を寄せていたが、やはり永年与党の甘い汁を吸って、
怠慢政治から抜け出せない、相もかわなる忖度政治か、、、、。
グテーレス国連事務総長の代読で、中満泉氏の挨拶が在った。
最後に、純心女子高等学校生徒による「千羽鶴」の合唱が在り、
閉会となった。
今日の1句(俳人の名句)
拭いてすぐ曇る眼鏡や原爆忌 伊藤 仙女