シャンパーニュから帰った後、お腹に優しい簡単な夕食を済ませ、シャンゼリゼでお茶を飲むことになった。
軽い夕食
翌日私はノルマンディーのエトルタに行くことになっていたし、カトリーヌたちもボルドーのカトリーヌの長女の所へ行くと言うので明日は別れになるからだった。
ずいぶんお世話になったので、少しでもお返しのつもりで私が招待することにさせてもらった。本来は夕食のはずだったが、私のお腹の調子が不良のため、軽くお茶をということになった。
カトリーヌ と リシャール(二人は小柄で日本人並み)
アパルトマンから凱旋門迄はすぐそこだし、シャンゼリゼのカフェは凱旋門から5分くらいの所で、「ル・ドーヴィル」というカフェだった。
「フーケ」や「ラデュレ」ほどのクラスでないけれど、ご主人のリシャールが近くの銀行に勤めていた時、良く来てランチを食べたそうだ。
「ル・ドーヴィル」の店内の様子
歩道に突き出た部分
歩道の車道側にも店がある。
またリシャールは「カトリーヌの前の勤めも、前妻の勤めもこの近くだったので、最初は迎えに行くのによく間違えたんだよ。」と笑っていた。もちろんカトリーヌもいる前でこんなことを平気で言うのだ。
リシャールが勤めていた銀行
近くにあるルイヴィトンの店
私が「ラデュレ」に行ったことがあると言うと、ご主人のリシャールは驚いていた。日本人の旅行者なら、折角パリに来たのだからと行ってみて不思議はないところだけれど、元銀行マンとして別荘まで持っている中流以上の生活水準の彼にしても、行ったことが無いらしい。
フランスは階級社会だと言うけれど、こうまではっきり生活スタイルを区分しているとは驚きだった。
そして、フーケとなると、「サルコジのカフェだね。」と言い、つまり「私の行く所じゃない。」と言うわけだ。サルコジが大統領に当選したとき、ここで記者会見をしたのは聞いているが、サルコジのお気に入りの店らしい。
そのあとの帰りにシャンゼリゼを横断する時、私とリシャールは信号が赤だから青くなるのを待っていたけれど、カトリーヌは車が途切れた間を縫ってさっさと渡り始め、中央分離帯でも反対車線の車の途切れるのを少し待ってから、渡りきってしまった。
赤信号のシャンゼリゼを渡ったカトリーヌ
「自分の身は自分で守る。信号があるのも自分を守るためにあるのだから、車が来なくて安全なら、信号が赤でも渡ったって構わない。」とまぁおよそこういう考えによるものだろう。イタリヤ人もそうだと聞いたことがあるから、ラテン的な考え方のようである。
ドイツ人は「信号が赤なら例え車が来なくても、規則なのだから信号が赤くなるまで待たないといけない。」と言うわけだ。
ついでに、信号に関して日本人はどちらかと言うとドイツ的だ。
余談ながら「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」と言う言葉があるとおり、日本人は何事にも「みんな」に合わす傾向が強いと言われるが、かなり当たっている。
そのあと、ばらばらに歩いていると物陰に女性が立っていた。私はピンと来てさっさと通り過ぎたが、リシャールが何か話しかけられているのが見えた。
あとで「何だった?」と聞いたらやはりプロの女性だったそうで、勿論「間に合ってます。」と言うことで済ませたそうな。
こうしてカトリーヌ、リシャール夫妻の温かい歓迎の日々は過ぎ、翌日カトリーヌの車でサンラザール駅まで送ってもらい、ノルマンディーへ出発したのだった。