フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

カテゴリーの説明

カテゴリーは居住地によって分けています

あのミッシェルさんの隣人だった!!

2011年11月15日 | パリ19区

彼らと一緒に来ていたホテルで泊まったもうひと組のカップルはと言うと、これがまたそのホテルを気に入ってくれたのだった。

 

チェックインの際、前払いと言うことを説明し、枕も選べることと、奥さんは女性だけの特典のアメニティであるいくつか化粧品のサンプルのようなものを選べることに満足そうだった。

私は正直その時は利用したことがないホテルで不安だったが、ロフトベッドがついた部屋が面白かったらしい。そして朝食はパンと飲み物だけの簡単なものがついているだけなのだが、フランス人にはこれで十分なのであった

 

彼らはふとっちょのカップルである。 いかにも人の良さそうな夫婦だった。

駅からホテルまで、前述の夫婦と四人で歩いた時に、「どこに住んでいるの?」と聞いたら、ムッシュが「パリ」と答えた。

 

さらに私は「パリの何区?」と聞いた。

彼は「19区」と言ったので、フランスから帰ってきたばかりで、その時パリの19区に住む友人のところで泊めてもらっていたことを話した。

「どのあたり?」と彼が尋ねてきたので、「ビュット・ショーモン公園の向かい」と言ったら、「えっー!!僕たちも向かいに住んでいたんだよ。住所は?」

 

私が番地を言うと、何と!!ついこの間まで、隣のマンションの住人だったそうだ!!

「何と言う奇遇なんだ!!」とムッシュの顔もほころぶ。「どこかですれ違っていたかもしれないね」

 

ほんとにこんな偶然があるのだなあとびっくりした。

 

先の夫婦の奥さんがパリに住んでいた時、子供が同じ学校に通っていて、それ以来の友人と言うことだ。

夫婦ぐるみで仲良しになって、パリとアヴィニョンと離れているが、別荘は隣同士で買ったとか。

 

この奥さんたち、仲良くなった時は、それぞれ別のご主人だったはずだ。

今、どちらも再婚カップルなのである。

 

 

もちろん翌日の夕食にこちらの夫妻も一緒に招待することにした。

 

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オランジュリー美術館ってあっちじゃないの?

2011年09月19日 | パリ19区

ミッシェルさん夫妻とは、今回は一緒に行動する時間がたくさんとれた。

  

シャルトル以外には、パリ近郊にある複合商業施設、大きなスーパー(巨大なスーパー・Hypermarcheという)と流行りの?アウトレットモールがあるところへ連れて行ってもらったり、マルチーヌも含めてパリの東の方にある中世の町・プロヴァンへも車で行った。もちろんこちらも世界遺産である。 

 

この二か所に関しては、迷うことはなく辿り着いた。 

「まっすぐな道だね」と何度も言うくらいわかりやすいプロヴァンへの道のりではあったが。 

 

お分かりのように二年前と違って送り迎えをされないからと言って、決して不親切になったわけではない。 

むしろ前回よりより遠出であちこちに一緒に連れて行ってもらえ、より親交を深めることになったこの旅である。 

 

しかし彼の方向音痴?のエピソードは終わらない。 

 

パリでの最終日、20時発のフライトまでの時間をパリ散策に充てることになった。

「どこか希望はある?」と聞かれ、「オランジュリー美術館に行きたい」と言った。

何やらネットで検索され、「大丈夫、今日は開館している」とにっこり。

そしてメトロに乗り、コンコルドで降りた。

 

地上に上がり美術館らしき建物を目にした。

しかし、閉まっていた。

 

ミッシェルさんは「おかしいな。ネットで確かめたのに、こんなことがあるなんて。これがパリさ!!」

さしずめ「C‘est la vie(セ・ラ・ヴィ)」と言ったところか。

 

フランス人はよくこの言葉を、さほど深刻でない不可抗力の事態に陥った時、「仕方ないね」と言う意味を込めて、「ケ・セラ・セラ」(なるようになる)のように使う。

なかなかあきらめきれない私を見て、少し離れたところにいたおじさんに尋ねに行ってくれた。

 

「午後から開くと言っているが、そんなに悠長に待つ時間はないね」と。

諦めるしかないのか?と思った私の目に、向かって右側にほとんど同じような建物がもうひとつあるのが確認された。

 

「ミッシェルさん、あっちにも何か」と言うと(確信していても面目をつぶさないように言うのはちょっと難しいこともある)、「えー?ほんとだ。あっちなのかもしれないね」。

 

ガイドブックによると、初めの建物は「ジュ・ド・ポーム美術館」であった。それにしても建物はそっくりなので間違えるのも無理はないが、もちろん建物に記されているからすぐわかるはずではある。普通なら。

 

奥さんは無言だった。

パリ生まれミッシェルさんの面目丸つぶれで、ご機嫌斜めであった。

それはオランジュリー美術館の中までも続き、彼女は一人で見ていた。

 

彼女とはぐれてしまい、慌てたミッシェルさんは「Jクロードはどこに行っちゃたんだろう?困った。困った」

ミッシェルさんが迷子になるともっと困るので、「探してくるからじっとしていて」と言って探しに行ったのはもちろん私である。

 

          

   

          

 

美術館を出たところでマルチーヌが待っていて、やれやれであった。

 

             

 

奥さんのご機嫌はなおり、チュイルリー公園やルーブルを抜けながら、マルチーヌの家でランチをご馳走になって、また空港まで皆で見送ってくれた。         

  

 

          

         

           

 

                           

 

 

             

 

方向音痴の話だけ取り上げると申し訳ないので、最後にミッシェルさんの名誉のために付け加えたい。

 

方向音痴と矛盾するのは、彼が脳の働きなんかを研究している学者であるらしいことだ。

よくわからないが、医学系の学者でもないらしい。

 

ネットで見ると彼の何やら難しい論文などが、たくさん出てくるし、友人のマルチーヌ宅でミッシェルさんが著した立派な本を見せてもらったりした。

 

私にとってはプライベート運転手でなくなっても、やっぱり一番信頼のおけるパリジャン・ミッシェルさん。

 奥さんとのカップルとしても大人で上品な素晴らしい夫婦であり私の自慢の友人である。

 

 

 


オレンジの車は見つけやすいから  でも!!!

2011年09月16日 | パリ19区

3日間のブルゴーニュの滞在を終えて再びパリに戻る前、ブルゴーニュのムッシュは、「リヨン駅からはどうやって帰るんだ?」と尋ねた。 

「タクシーで」と答えた私に「パリの友人は迎えに来てくれないのか?こんな大きなスーツケースがあるのに?」と「それでも友達か?」と言わんばかりに不思議そうに言った。 

私は「そこまで甘えるわけにはいかない」と思いつつも、「そう言えば二年前はモンパルナス駅まで迎えに来てくれたなあ」とも思った。 

 

そしてタクシーでミッシェルさんの家に戻った。 

 

「ブルゴーニュの旅はどうだった?」と聞かれ、ブルゴーニュについて話しながら、私は出掛ける時の、リヨン駅で散々だったことを思い出し尋ねた。 

「あなたはあれから無事に帰れた?」と特に何の意図もなく、「うん」という答えを想定するいわば社交辞令のようなつもりだった。

 

しかし彼の答えはこうだった!!

 

「もうあれから大変だったんだ。駐車場に戻るのに迷い、また車を探すのも時間がかかり、車を見つけるまで一時間半かかったよ」と言ったのだ!!

 

確かに私が列車に乗ったホームから駐車場に戻るのは簡単ではなかったであろう。

ミッシェルさんは少し方向音痴?なところがあるからと想像はできるが、一時間半?それはあまりにも・・・・で、ここまでくると気の毒に思えるくらいだ。

送ってもらった私も責任を感じた。

 

見つけやすいように「オレンジ色の車」にしていると言うわけがやっと理解できた。

 

          

                                                                   

                                                     

そんなことを聞いたら、もう「送ってもらう」ことはできない。

 

実は希望の列車が取れず、この日の夕方パリに着いた私は21時過ぎの列車でブルターニュへと向かわなければならなかった。

慌てて荷物を詰め替えて、夕食を取る時間がない私に奥さんが持たせてくれたドライフルーツとクラッカーを手に、呼んでもらったタクシーに乗りモンパルナス駅へと向かったのだった。

 

方向音痴と言うのはよく耳にするが、本当に存在するのだとよくわかった。

しかしこの現象はもう一回起こるのだが、それは次回に紹介する。

 

 

 


ん!?ミッシェルさん大丈夫!?

2011年09月13日 | パリ19区

シャルトルからの帰り、渋滞に巻き込まれたことは、前述の通りで、彼らの家に到着したのは19時過ぎだった。 

20時の約束なんだけど」と恐る恐る言ってみたが、「それは間に合わないね。メトロで一時間近くかかるよ」と言う答えしか返ってこない。 

 

友人の家は7区と15区の境界あたりで、同じパリ市内であるがほとんど対角線上で、乗り換えを含めるとそのくらいになるらしい。 

もしかして「送ってくれる」かもしれないと、淡い(甘い?)期待があったことは事実であるが、そうはいかない。

シャルトル往復でお疲れであるし、そんな無理はとても言えなくて、「タクシーを呼んでもらえる?」と言うのが精いっぱいだった。

 

タクシーでも結局約束の時間には大幅に遅刻してしまった。

ミッシェルさんが二年前のようなプライベート運転手ではもはやないことを、この時はまだ知る由もない。

 

 

数日後、三泊の予定でブルゴーニュへ行くとき、スーツケースがあるため、

二年前と同じようにまたパリ・リヨン駅まで「送ってくれた」。

「広い駅の駐車場」に車を停めて、出てきた。

 

                            

 

ここで一つ問題があった。

パリ・リヨン駅でフランスレイルパスにバリデート(使用開始日のスタンプをもらう)してもらう窓口を探した。ミッシェルさんはこっちだろうとウロウロし、階段を上がろうとした。

その時私の目にすぐ近くの「窓口」が目に入った。

「スーツケースを見ていて。私一人で行ってくるから」とお願いをして、階段を上がらず、すぐ近くの窓口でバリデードは完了できた。

こういう時、一人の方が問題は早く解決するのだ。

 

さて乗り場は?

 

このリヨン駅、乗り場に注意が必要である。

青と黄色の乗り場があるのだ。

どうやら私の列車のホームは反対の乗り場だ。

どうやっていけばいいのか?

時間も差し迫ってきた。

ミッシェルさんは何人かの人に尋ねてくれた。この時困るのが知らなくても「知らない」と言わず「答えてあげたくなる」人がいることだ。

結構フランス人にこういう人がいる。

彼女もそうだった。どうやら「こっちだ」とか指をさしている。

「そうなのかな?」と歩き始めたところで、柱の地図が私の目に入った。

「ミッシェルさん、違うみたいだよ」と、一緒に見て納得させたが、ここから結構距離がある。

間に合うか、はらはらしてきた私とは違い、おっとりした彼は「すごいね。よく地図がわかったね」とかのんきに笑っている。         

 

                    

 

やっと黄色の乗り場に到着した。

ホームはどこか?一番端だ。

そして何両編成か知らないが、とても長い列車で私の車両は一番前だった。つまり一番遠い。さすがにミッシェルさんも慌てた。そして車両の前に着いて

急いで「ビズ」でお礼とお別れし、飛び乗ったら直ぐに列車は出発した。

時間に余裕を見て出てきたはずなのに、結果はこれである。

 

                        

 

ともあれほっとした私とは別に、彼にはこの後大変なことが待っていたのである。


シャルトル大聖堂もノートルダムの一つということ

2011年09月09日 | パリ19区

翌朝、ミッシェルさんの運転でシャルトルへと向かった。 

 

ノートルダムと言えば、パリを思い浮かべる方も多いと思うが、フランスだけでもノートルダム大聖堂はたくさんあり、その多くは世界遺産に指定されている。 

シャルトルの大聖堂ももちろんそのひとつである。 

しかもパリ・ランスと並び、このシャルトルは三大ノートルダムの一つでもあり、その町に住む人はもちろん自分の町のノートルダムが一番と思っていると言うことだ。

 

                                

 

アミアンに住んでいるフランス人の友人は、パリのノートルダムのことは「ノートルダム・ドパリ」(パリのノートルダム大聖堂)と必ず「ド・パリ」(パリの)を付け加える。

アミアンにも立派なノートルダム大聖堂があるからだ。

 

              

 

さて、話はそれたが、このシャルトルの大聖堂は青のステンドグラスで有名である。

この日も光線が床などに移し出され、きれいに見えるところがあった。

時間帯によってもっときれいに見えると言うことだが、じゅうぶん美しかった。

 

大聖堂で有名な街だが、街自体もなかなか魅力のある町だった。

もともとサーモンを売る家だったとかで、サーモンの木彫の看板が残った古い家等もあり、運河も流れていて、洗濯場だった後もうかがえる。

 

                    

 

                              

その街でHITACHIの小型のユンボーを見て、日本製が活躍している光景に、少し誇らしい気持ちになった。

                 

                              

ある住民が話しかけてきた。もちろんミッシェルさん夫妻に。日本人を連れているので珍しく日本のことを尋ねているようだ。

 

地元のマダムに、「どこから来たの?」と聞かれて「パリから」とミッシェルさんの奥さんが答えていた。

その様子は、日本で「東京から」と答えているニュアンスと同じものを感じ、少しおかしかった

 

さてランチだ。

お店はお任せだ。

トマトの詰め物を頼んだが、これは見た目よりずっと重たかった。しかもチーズが苦手なヤギ系だった。

彼らはサラダ系のものを頼んでいた。

ランチにはサラダでも十分なボリュームのようだ。

デザートもかなり大きく甘く、完食したが、この旅では3日間で2キロも太ってしまい、その後はセーブしながら過ごすことになる。 

 

散策をした後、せっかくなのでこの近くだと言う「ピカッシェットの家」を訪ねたいと言った。

しかしどこなのかわからないらしい。

何人かに尋ねてやっと辿り着いた。と言ってもそんなに遠くはない。

 

                              

私には同じところをぐるぐる回っているように思えた。

これがミッシェルさんは方向音痴?と疑いかけた最初だった。

 

パリへの帰り、パリ近郊で渋滞に会い、私の気持ちは焦っていた。

 この夜は別の友人宅に招待されていたからだ。


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