ちょうど奈良では「おんまつり(春日大社若宮の祭礼)」があったので、一緒に出掛けた。
時代行列を見て、たくさん写真を撮っていた。
大阪へはフグを食べてみたいということで、クリスチャンと一緒に行ったお店を教えたがシーズンで「高かったので、ひれ酒と白子だけ食べたが、絶品だった」と言っていた。
白子なんてフランスでは食べるのだろうか?
彼はとにかく食べるものは軍隊で鍛えられているので、なんでもトライする。
帰ってくるなり「最高においしかった」と、嬉しそうに言った。
最後の日に京都へ出かける前、「京都はそんなにいいところ?」と聞いてきた。
「長く都があったので、日本文化が集約されている」と答えた。
金閣寺、銀閣寺、南禅寺を見て帰ってきた彼の感想は「京都は素晴らしい」だった。
実はつい最近のメールでは、両親と将来のことなどを話し、「老後は京都に住みたい」と言って両親を驚かせたそうだ。
彼はすっかり日本のとりこである。
こんな彼の二度目の滞在は、スムーズに見えた。
しかしやっぱり最後に一つの出来事があったのだ。
実は彼のクレジットカードが使えなくなって、九州で滞在費を払うとき、その家の外国人の奥さんがフランスの銀行に電話を掛けて、口座間移動のような形の手続きをしてくれたので、払うことが出来たということだった。
キャッシングも出来なくて途方に暮れていた彼を信用して、少しの日本円を貸すことにした。
「帰ったら必ず送る」という彼の言葉に嘘はないと思ったが、フランス人は「帰ったらプレゼントを贈る」と言っても送られてこないことが多い。悪気がなくても忘れることもあるから一抹の不安はあったものの、信用した。
実際は帰国してから、すぐに送ってくれたのだが、このことについて彼だけでなく、ご両親が「自分の息子を信用してくれてありがとう。言葉が見つからないほど感謝しています」と言ってくれたのだった。
このことで私とジュリアンだけでなく、ご両親との絆も出来、リタイアしたら二人で日本に来たいと言ってくれている。
そして彼が両親の家に帰るたびに、私のことが話題になるそうで、嬉しい限りである。
三度目の来日はこれから半年もたたない、翌年の四月だった。
それは東日本震災後、多くのフランス人も来日をキャンセルしたなか、彼はやってきてくれたのであった。
この彼の気持ちは、日本へのエールに思え本当にうれしく、心からおもてなしをさせていただくことになる。
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