フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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真面目な弟は、脳外科医の卵

2012年01月21日 | リール・アミアン

秋の初めのやってきたのは、前年三人組で食事に来たうちの一人、ケバちゃんだ。 

 

今回も前年同様に二か月日本でアルバイトをして、その後旅行をするというスタイルだ。違うのは今回は弟さんが来日し、合流して旅行をしているということだ。そして今回は二人で我が家に二泊することになった。 

 

聞けば彼女たちは六人姉弟で、まだ小さな弟妹が四人いるそうだ。

 

弟さんは医学生で、脳外科のスペシャリストと言われる医師になる予定だ。(医師はジェネラリストと呼ばれる総合医と、専門医のスペシャリストに分かれる。このムッシュとこちらのムッシュはジェネラリストである。このムッシュはスペシャリストである。) 

 

ケバちゃんはとても頭のいい子だが、この弟もまた優秀であった。

 

ケバちゃんの友達の男の子がこの後やってくるが、弟さんのことを「とても真面目でしょ?」と言っていたように、フランスの若者にしては内気に思える青年だった。

  

一緒に奈良を観光もし、折り紙や習字をした時もおとなしく真面目な態度で、取り組む姿勢に好感をもった。

 

 

 

 

リールでは二人は一緒にアパートを借りているということで、ここでも決して贅沢をしないフランスの若者の生活が伺える。

  

翌日は仕事があったため、彼らは二人でレンタサイクルで、平城旧跡や古墳なども見に行ったようだ。

 

朝の洗いものをする時間がなく、そのまま出かけた私だが、帰宅したらきちんと洗ってくれていて、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、さりげないことに彼らの実直さ、しつけの良さを感じた。 

 

ケバちゃんはこの後一旦帰国し、10月から1年の予定で名古屋の大学に留学すると言っていた。

 

三人組の他の二人によれば、大学から成績優秀で選ばれてのことらしく、「彼女はほんとうによく出来る」のだそうだ。

  

一時帰国した折に、ケバちゃんと弟さんからリールのお菓子やベルギーチョコレートなど、他にもたくさんのリールの名産が入った小包が送られてきた。

 

両親に負担をかけないよう、つつましやかに生活をしながらも、このようなこころづかいをしてくれた二人の気持ちに心が熱くなった。 

名古屋で一年留学した後、帰国してまた今はアメリカで勉強しているそうだ。

優秀な姉弟は、楽しみながらも勤勉で、夢をかなえるべく今日も頑張っていることであろう。 

若い人をささやかながら応援できたことが嬉しくもある。

 

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三人娘がやってきた♪

2011年12月27日 | リール・アミアン

ケバちゃんと一緒にやってきた三人組の一人セリアは、翌夏、再来日。京都のビストロでアルバイトを見つけ、アパートをシェアし、二ヶ月くらい滞在するという。

 

「また会いたい」と言い、うちにくることになった。

その前に彼女の働く姿も見ておこうと、京都のビストロを訪問した。

日本語もできる彼女は可愛がってもらっているようで、ギャルソン風の制服もなかなか似合っていた。

フランスのビストロのようなお店で、おなじみのステーク・フリットをいただいたが、安くてとても美味しかった。

 

その数週間後、彼女はやってきた。

ルームシェアをしている友人を二人連れ、三人でやってきた。

詳しい金額は忘れたが、京都、平安神宮のそばの古いアパートでルームシェアをしているとのこと、一か月で三万円くらいだったのではないだろうか。とにかく「よくそんな安いところを見つけたね」と、感心したのを覚えている。

 

高校生のBちゃんは、おとなしくはにかみやさんだ。もう一人は元気のいい女の子ハーちゃんで最初アジアの子かと思ったのだが、マダガスカルの出身と言っていた。

なかなか聡明なお嬢さんだった。

 

おとなしいBちゃんはお酒も飲まない。セリアは生ものが苦手なので、冷しゃぶにした。マダガスカルの子は何でも食べる。

三人も女の子が来たのは初めてだったが、にぎやかだ。ちなみに寝るときは、ほぼ雑魚寝状態だった!!

 

甘いものは三人とも好きで、かぼちゃのプリンを作ったらとても気に入ってくれたらしい。

フランスにもかぼちゃはあるが、日本のように甘味がなく水っぽい。だからスープにしてもプリンしてもいつも好評だ。

セリアは大福も大好物で、よくコンビニで買うとケバちゃんが笑っていた。生魚はだめだが、みりん干しが好きとのことだ。

 

マダガスカルの子の名前は、一度聞いてもなかなか覚えられない。

習字の時に、漢字で名前を書くことになって、○○トラというので、いっそ虎にしようかと思ったが、可愛い彼女にそれはちょっと可哀想で違うのを考えた。

彼女はK大の留学生だと言っていた。

 

夕食を食べた後、最近の奈良の夏の風物詩、燈花会へ行った。

夜でもとても暑い。県庁も屋上に上れ、会議室など見学もできて、いいスポットである。コンサートなども行われているし、最近はカフェなんかもあるそうだ。

 

翌日は東大寺と吉城園(外国人はパスポート提示で無料)へ行った。

柱くぐりは写真の通り、小柄な二人は難なくスルー、ちょっと太っちょのBちゃんは恥ずかしそうに首を振った。

早めの夕食にカレーを作ったら、これも三人とも完全食で、またそれぞれアルバイトのため、帰って行った。

 

このセリアに続き、前年の三人組、ケバちゃんも、男の子もこの年にやってくるのだが、セリアは震災の後の夏に、美しい妹さんとお母さんとともに来日するほど日本が好きである。

 

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「What a beautiful girl!!!」

2011年09月20日 | リール・アミアン

この3人とは、奈良の猿沢の池の近くで偶然出会った。

 

最初はフランス人とは思わなかった。近づくとフランス語をしゃべっている。

男の子1人と、女の子2人である。

 

3人とも大きなキャリーを、JR奈良駅から三条通りをずっと引っ張ってきたようだ。

JR奈良駅からそこまで道は真っ直ぐだけど、緩やかな登りだから相当疲れたろう。

 

聞けば宿屋はもうすぐそこだ。じゃ案内しようと言うことで宿屋まで送って行った。

夕食に我が家に来るかと聞いたら喜んだ。

 

荷物を置いて、一息ついてそれから我が家に連れてきた。

警戒心は全くない。聞けば、大学で日本語を専攻して、先生の紹介で二カ月近く日本に来てあちこちでアルバイトをし、そのあと、そのお小遣いで旅行をしているらしい。

だから、日本人に対するある程度の鑑識眼が出来ていたのかも知れない。

 

中でも背が高い方の女の子は、色が白く(白人だから当たり前だが)目がぱっちりしている。というのは睫毛がかなり長い。それが日本人のような付け

睫毛でなく、「本物」なのだ。

 

                                               

我が家に連れてくる時、すれ違った年配の日本人男性が、その子を見て思わ

ず「What a beautiful girl!!!」と言ったのを覚えている。

 

最初フランス人に見えなかったのは、この子のためかもしれない。聞けばお

父さんはルーマニア人でフランス人とのハーフとのことだった。

 

私から見ると彼女のスカートは短いように思うのだが、彼女らが言うには,

肩や背中や胸を有る程度露出するのは許されるし、正式のパーティなどで

も、そういったドレスほど公式らしい。

しかしスカートの短いのは「娼婦」がすることで、下品でいけないらしい。

 

私は秘かに彼女に「ケバちゃん」というニックネームを贈呈した。持って生

まれたものとは言え日本人の私から見れば、それくらい目立つ彼女だった

 

それにしてもあの睫毛は特別だった。

 

                  

彼女はその後日本に再びきて、弟さんと二人で我が家にやってきた。

もう一人の女の子は、その後また日本語の勉強でやってきて、京都で働いて

いた。

         

そこにも訊ねて行ったこともあるし、別の友達3人で我が家に泊まりに来たり

した。

その後もお母さんと、妹さんとで我が家に来た。この子は「ケバちゃん」ほ

どは目立たないが、綺麗で気立てのいい子だ。

           

男の子とはその後別の男の子の友達と夕食にやってきた。それらはまた別の

機会に紹介したい。

 

 


リールのおばあちゃんと孫娘

2011年07月13日 | リール・アミアン

グループ旅行に参加のおばあちゃんと孫娘(と言っても孫娘は30歳くらいで、おばあちゃんは80歳を超えていた)に出会ったのは、興福寺で薪能が行われるところの近くの南大門跡だった。

 

休憩時間だったのだろう。

どっかりと腰をおろしている何人かの観光客がいたが、このお嬢さんの笑顔に惹かれて?話しかけた。

ハスキーな声のおばあちゃんもお疲れのようだったが、話かけると嬉しそうだった。

リールと言うパリからTGV(新幹線)で一時間くらいの町に住んでいると言う。ベルギーとの国境にも近い。

その時点でリールの知り合いはいなかったので、その地方のことはほとんど知らなかった。

 

ちょうど私が久しぶりに薪能を見た翌日だったこともあって、「昨日ここで薪能があったんです」と簡単に説明をした。

団体ツアーの観光客は奈良に滞在せず、京都から日帰りで来ることが多いらしく、彼らも前日は京都泊で「見ることが出来なくて残念」と言った。

 

そして、いつものようにアドレスを交換したが、おばあちゃんが「フランスに来る時は連絡してね。うちに来てちょうだいね」と言われたので、ちょっと驚いた。

彼女は孫娘と私の会話を聞いているだけで、あまり会話に参加していなかったのだが、その誘いはおばあちゃんからごく自然に出たのだ。

 

メールのやり取りを始めるとき、初めのころは困ることがあった。

と言うのは、見えるとおりにアドレスを入力するとエラーで戻ってくることが何度かあった。

彼女の字はそれほど癖はないのだが、頭文字のVの字が解らず、試行錯誤で見当をつけて、何度目かでやっと届いた。

 

返事はすぐに来て、銀行に勤めていること、またおばあちゃんは旅行が大好きなので、時々高齢のおばあちゃんのため、遠いところは同行すると言う話だった。

確かその年の秋にリーマンショックがあり、ちょうどそのときも「今大変」とメールが来たことを覚えている。

 

翌年だったか、夏におばあちゃんがブルターニュに旅行するからお土産を送ると言ってきた。

楽しみに待っていたが、届いたのは何とクリスマスプレゼントとしてだった。

ブルターニュのクッキー、塩キャラメル、リールのお菓子、フォアグラとともに香水まで送られてきた。

                     

 

フランス人の「すぐ送る」は数カ月後と言うこともあることを知った初めの出来事だった。

もちろん生ものなどはないので、おいしく頂いた。

 

最近また「何かあなたを喜ばせるものを送ろうと思う」と言っていたが、今回もクリスマスになるのだろうか?

 

昨年このおばあちゃんを訪ねるため、リールに足を伸ばしたのだが、それはまた次に。

 

 

 


朱印帳の中に見る「美」への興味

2011年07月04日 | リール・アミアン

この年配のムッシュとは奈良の興福寺の境内で出会った。

 

マダムと一緒で、団体旅行ではないようだった。

興福寺の南円堂で、朱印帳を持っていて、窓口で記帳と印を押してもらおうとしていたところに私が通りかかった。

あいにく言葉が通じず、困っていたようだったが、「May I help you?」と聞くと朱印を押してほしいということだった。

単に朱印をもらいたいだけで、彼はちゃんと朱印帳を持っていたし、今考えてもなにを困っていたのか思い出せない。

 

とにかくムッシュとマダムの間に首を突っ込んで、「May I help you?」と聞き、お寺のおじさんにそう言って、朱印をしてもらうのを手伝ったことは確かだ。

 

しかしどう見てもフランス人らしいから、「Vous etes Francais? (あなたはフランス人ですか?)」と聞いたら、やっぱり「 Oui !」 ときたので、「 Bonjour!」となったわけである。

その後何を話したかも、ほとんど記憶が無い。とにかくアドレスを交換して別れた。

 

仏教徒でないフランス人が朱印帳に興味を持つのは、筆と墨で書く「漢字」と印肉で押す「印」と言う異文化の中に、絵画のような美を見ているからだと思う。

 

帰国後のやり取りで判ったことだが、彼等は夫婦ではなかった。

恋人同士である。

マダムはパリに住み、ムッシュはアミアンに住んでいた。

ムッシュの娘さんが建築学の勉強で東京の有名な建築家の所に勉強に来ていて、その機会に日本へやってきたというのだった。

 

 

やがてその娘さんが日本留学も終わりに近づき、フランスに帰る前に、同じ建築学を学びに東京に来ていたフランス人の彼氏とカップルで関西にやってくるのだが、その話は別の機会に譲る。

 

 

それにしてもフランス人が日本に勉強に来るほど、日本の建築学は進んでいるのだと実感した。

 

このお父さんは最近娘さんの設計で、自分たちの家をシャンブルドットに改造したとのことである。だから泊まりにおいでと誘われた。

アミアンはまだ行ったことがないから、いずれお邪魔することになるだろう。

 

あっそうそう大事なことを忘れていた。

このムッシュのニックネームは「朱印帳」である。

 


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