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気まぐれな神社・仏閣めぐりぶらり旅の備忘録 Ver.2.1

神社・仏閣、史跡などぶらり散歩・旅めぐりでの写真、珍散文を載せていいます。(自分の備忘録)

日光 日光山輪王寺

2018-05-30 | 仏閣 東北
おはよう、
今日(180515)は、福島帰省の途中、日光東照宮一円を参拝、拝観しました。「日光東照宮」の「真新しい陽明門」を拝観するためです。まず車を日光東照宮大駐車場に停め、「世界遺産 日光の社寺(二荒山神橋、日光山輪王寺、日光東照宮、二荒山神社)」を巡りました。
「二荒山神橋」を後にして、「日光山輪王寺」へ
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山号     日光山
寺院号    輪王寺
正式名称   日光山 輪王寺
本尊     阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音
札所本尊   下野七福神(毘沙門天)
宗派     天台宗
コメント   世界遺産(日光の社寺)
       本堂(三仏堂)・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や本坊、
       さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体を指して輪王寺と総称します。
       境内は、山内と、奥日光の2つのエリアに分かれている。
-------------------------------------------------------------参拝日2018/05/15
「輪王寺(りんのうじ)」は、
日光市にある寺院で、天台宗の門跡寺院です。東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称される。近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。現在、「日光山」は輪王寺の山号し、また、「輪王寺」は日光山中にある寺院群の総称です。輪王寺の境内は東照宮、二荒山神社の境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。
(出典元:ネット情報)

世界遺産 日光の社寺」の石碑

日光二荒山神社」の案内板標と、「本宮神社」の石柱標が見える

参道(東照宮、輪王寺、二荒山神社)の石柱標

参道入口の木柱標(結構急な石階段)

結構長い石階段です。神橋付近からのなだらかな参道もあります。なだらかな

石階段の参道を通り、周辺にはいくつもの建物が観られる。(末寺、お堂、お祠など)

2

東門日光山輪王寺」参拝入口(世界遺産めぐり)、今回神橋を見て、石階段の参道を登ってきました。

「勝道上人(しょうどうしょうにん)」の銅像

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「黒門」 「日光山輪王寺」の 山門(逆光)、山門前には「日光山輪王寺」名の石柱標

「日光山輪王寺」境内(大修理工事中です。拝観は可能です。新名所として、「天空廻廊」があります。

境内、催しの案内板標

「日光山輪王寺」 「総本堂(三仏堂)」
三仏堂の内陣には、日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の大仏さま(高さ7.5メートル)と、東照三社権現本地仏(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)という掛仏の、2組の三尊仏がご本尊さまとしてお祀りされています。
仮の姿

(外枠がまだ覆われており、大絵画が飾られていた。(堂内は見学可能)右側の桜の木が「金剛桜」樹齢約500年の大輪です。

鐘楼堂

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少しエリアが離れているが、立ち寄ってきました。(二荒山神社のエリアに隣接しています。)
大猷院(たいゆういん)」 の案内板標
三代将軍家光の徳川三代将軍「家光公」の廟所(びょうしょ)です。
日光山輪王寺の大猷院(たいゆういん)は、
徳川三代将軍・家光公が眠る霊廟である。京都の金閣寺、平泉の中尊寺金色堂に並ぶ有名な黄金建築の一つである。

「二荒山神社」、「大猷院」、「常行堂、法華堂」、「家光公廟所」が見えます。

正面に「仁王門」が見えます。
家光公の廟所(墓所)の「大猷院」です。写真右側には、「日光廟大猷院」の名の石柱標。

日光東照宮が「白と金色」で絢爛豪華なのに対しこちらは 「黒と金色」を使った重厚で落ち着いた造りとなっています。
仁王門からはじまる5つの門、二天門、夜叉門、唐門、皇嘉門です。 東照宮とは趣が違います。かつ仁王門(14段)二天門(21段)鐘楼・鼓楼の前(73段)夜叉門(19段)唐門(10段) 計137段の石段です。

「常行堂(日光山輪王寺 お堂)」、、大猷院にむかう入口にあります。
常行堂の御本尊は、「宝冠五智阿弥陀如来」です.


今回は時間の関係で、すべて回れなかったので、次回のお楽しみに、
以上
コメント;
東照宮と大猷院」の違い;
日光東照宮が「家康」、「神社」、「白と金色」で、大猷院は「家光」、「お寺」、「黒と金色」だという事です。大猷院は「日光山輪王寺」の管理下です。
歴代将軍家のお墓」は、
東京にあり、家光公は、その遺言で日光にお墓を作るようにしましたが、その後の将軍たちのお墓は、「上野寛永寺」と「芝増上寺」に交代で作られた。

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