山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

育成会の事、関係ないことも勝手につぶやきます

◇よく分る障害福祉用語

2011年06月22日 | 福祉用語
今回は『療育手帳』についてです。

療育手帳

山形県では、この名前通り『療育手帳』とよばれています。
他の地域では、『愛の手帳』『みどりの手帳』など、別の名前で呼ばれている所もあるようです。

特徴1
知的障害のある人がいろいろな支援を受けやすくなります。
福祉サービス
いろいろな割引
就労支援
などがあります。

特徴2
児童相談所や更正相談所で判定を受ける必要があります。
まずは、市町村の障がい福祉担当の窓口に行きましょう。
学齢期は3~5年に1度、再判定をします。
  うちの子が、18歳になって再判定をした時、「次は10年後です」と言われました。
「手をつなぐ」には、20歳を過ぎると原則として再判定はありません。と書いてあります。各地域によって微妙に違うのかもしれません。

特徴3
山形県の場合、区分はA・Bつです。
A・・・重度(知能指数35程度以下、ただし、身体障害者手帳1~3級所持者は知能指数50以下)
B・・・中、軽度(知能指数75程度以下)
となっています。

ですが、昨年東京都育成会の研修会に出た時は、療育手帳は『愛の手帳』と呼ばれ、等級も段階あることを知り、びっくりしてしまいました。

それに、判定の基準も地域によって多少異なるようです。

山形県は、IQ75以下が手帳の対象ですが、IQ70以下の所があったり、発達障害があれば、IQ90までが手帳の対象となったりする地域もあるようです。

自分の県で発行されている物は全国統一だと思っていらっしゃる方も多いと思いますが(私もそうでした)、療育手帳ひとつでも違いがあるのだな~と再発見ですよね。それが良いのかどうかは別ですが・・・(F)


#地震発生から104日目「避難先で知的障害者急死…」

2011年06月22日 | 災害
 平成23年(2011年)3月11日(金)14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)から104日目(6月22日、水曜日)。
 また、大震災発生から104日目の新しい朝を迎えた。

 早朝、朝靄で遠くをあたり一面隠している。蜘蛛の巣が朝露にぬれて白く糸を目立たせている。

 ところで、避難先で知的障害者が相次いで急死している。そのことを、毎日jpに掲載された「災害関連死」の記事が次のように伝えている。

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【引用始め】

東日本大震災:知的障害者、相次ぐ急死…避難先で発作など

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で避難した高齢者らが慣れない避難先で死亡する「災害関連死」が問題化する中、原発周辺の入所施設から避難した知的障害者の死亡が相次いでいる。毎日新聞の調べでは少なくとも11~67歳の男女4人が死亡し、中には津波で夫が行方不明となった妻が知的障害者の長男を災害関連死で失うケースもあった。専門家は「知的障害者は苦痛を伝えにくい上、多くは持病などを抱え、長時間の移動や環境の変化が致命的影響を与える場合もある」と警鐘を鳴らす。【野倉恵】

 ◇苦痛伝えにくく
 原発から約5キロの福島県富岡町の知的障害児施設「東洋学園」に入所していた小野卓司さん(当時23歳)は震災翌日の3月12日、入所者ら計約200人と同県川内村の系列施設へ避難し、避難指示範囲の拡大に伴い夜に村内の小学校へ移動。周辺住民と一緒の慣れない環境からか落ち着かない入所者が相次ぎ、13日に同県田村市の通所施設(定員40人)に移った。28日夜、持病のてんかんの発作が起き、服薬で収まったが、間もなくあおむけのまま動かなくなり、29日正午過ぎ、救急搬送先で死亡。逆流した食物でのどを詰まらせたとみられる。

 「本当に(頭の中が)真っ白になりました。3週間で2人が……」。同県新地町に住む母みね子さん(55)は嘆く。漁師の夫常吉さん(56)も震災当日に海へ漁船を見に行ったまま戻ってこない。

 卓司さんは幼いころ呼びかけても振り向かなかった。障害が判明した時、夫婦は「一緒に育てよう」と励まし合ったが、卓司さんは外に飛び出しては家に戻れなくなった。小学校に上がる時、東洋学園に入所。障害は重く、成人後も着替えや入浴に介助が必要だったが、みね子さんは学園行事に必ず出かけ、盆や正月の帰省時は常吉さんが車で連れ出した。車中や母の手料理の並ぶ食卓で卓司さんはいつも笑顔だった。

 「ずっと続くと思っていた」日々は震災で一変した。「でも、私は2人に守られた気がするんです」とみね子さん。多くの家が津波で流された中、自宅は無事だった。今、卓司さんと一緒に施設にいたやはり障害者の次男(22)が気がかりだ。「いつもお兄ちゃんが近くにいた。今あの子はぽつんとしているのじゃないかと」

 東洋学園では他に千葉県鴨川市の青年の家に集団で再避難した20日後の4月27日、小学6年の久保田菜々さん(当時11歳)が授業中に施設前の海でおぼれて死亡している。

   ■

 福島県相馬市の障害者支援施設「ふきのとう苑」では大内恵美子さん(当時54歳)が急性循環不全で急死した。原発事故で協力病院の医師らが避難したため3月23日、他の入所者と群馬県渋川市の施設へ6時間かけて車で移動。30日午前7時過ぎ、受け入れ先の職員がたん吸引した際は異常なかったが、同8時ごろ朝食を運ぶと動かなくなっていた。

 「何で、と最初は思いました」と、福島県飯舘村の姉美恵子さん(62)。恵美子さんは長年同村の実家で暮らし、美恵子さんの3人の娘も「えみちゃん」と慕った。歌や踊りが好きで、村の盆踊りで3年連続で仮装の賞をとったこともある。

 40代になるとてんかんの発作が頻繁になった。両親が相次ぎ亡くなり、風呂場やトイレでも倒れて目が離せなくなり施設に入所。骨折で車椅子に乗り、声も十分出なくなったが、美恵子さんが週1度訪ねる度に笑いかけてきた。「恵美子は今は、両親のところへ行ってゆっくりしているのだと思いたい」と美恵子さんは言う。

 他にも富岡町の知的障害者施設「光洋愛成園」の67歳男性が3月12日に福島県三春町の避難所に移動、4月15日に群馬県高崎市の国立障害者施設に入り、5月5日に高熱のため病院に入院して6日未明、肺炎のため亡くなった。厚生労働省は障害者施設利用者の災害関連死を「把握していない」としている。

毎日新聞 2011年6月16日 21時50分(最終更新 6月17日 10時18分)
  
 【引用終わり】

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 知的しょうがい者は、急激な変化に適応するのが苦手。非常災害時には、体調が悪化しても治療もままならない。周りも自分のことで必死で、近くの障がい者のことを気遣う余裕もない。常備薬だって手に入らない。
 こうした最悪の事態にそれなりの努力がなされたが、うまくいかなかった。そう言わざるを得ないことも多い。しかし、こうしておけば良かった、こうすることもできたはずと反省することも多い。
   
 「明けない夜はない」ためにも、この厄災における「災害関連死」を防ぐ対策を将来に向けて構築する必要がある。
 (ケー)